スタンダード (花園1、2回戦印象)

高校ラグビー

1回戦と30日の2回戦をTV観戦した。
1回戦、2回戦も大差のゲームはあったが、たとえそれが大差のゲームであってもどのゲームも非常に面白い。

それは、敗退したチームも含め、ラグビーのテンポが格段に上がっているということだ。

ボールの動き、人の動き、特にFWの選手の機敏な動き、判断の速さ、攻守切り替えの速さなどなど、どのチームもすごく早い。しかしただ早いだけでなく芸が細かい。いうならば4ビードのような牧歌的ラグビーはなく、8ビートの力強さでもなく、みんな基本は16ビードのラグビーになっていてる。さらに16分音符で刻みながら32分音符がときより絡むようなものである。

20年春からのコロナの猛威があったのになぜレベルが上がっているのか?考えてみれば、彼らはグランドに出られない時間を、ネット上での有名選手のプレーを見て過ごしていたに違いない。ネット上では地域差がない。憧れの選手のプレーを何度もみればそれを真似したくなる。

例えばブレークダウンでは、姫野選手の得意とするジャッカルや一度ボールを置いてからのPICK&GOを披露すると見れば、攻撃では20フェーズを超える連続攻撃や倒れながらのオフロードパスやキックパスを連発する。高校生のルール上以前ではあり得なかったスクラムでの駆け引きにも微細にこだわるなどである。

その速さと細かさは間違いなく一般の大学レベル以上に思える。少し前の6ネイションであってもこんな早いのは、フランスや一時期のウェールズくらいであったろう。ヒガシや桐蔭など花園常連校がそうなっていたのはもう何年も前ごろからと思えるのだが、今回驚くべきことは、一回戦からそういったプレーが随所に見られることである。これは日本全国津々浦々、初出場校や予選も10チームに満たない県のチームや、部員が20人にも満たないようなチームでさえ、ハイレベルのリズムやテンポのラグビーが行われているという、紛れもないの事実を物語っている。

これは日本ラグビー全体の明らかな成長、底上げを表しているといえる。その原因はW杯効果にほかならない。15年のブライトンからはじまり、19年W杯でピークになったことで、ラグビーがTVなどマスメディアで露出する機会が増えたことは、都会の一部、有料チャンネルの一部でしか行われていなかったトップレベルのプレーがお茶の間に入って来たことにある。もう日本全国だれでもジャカルという言葉は知っているし、どのようなプレーがかっこ良いのかを知っているのだ。

だれでもが子供の頃には家庭での話題に影響される。15年のブライトンから19年のW杯を経て、21年の6年間を多感な小学校高学年から高校生になまでを過ごした世代が今の花園の世代である。19年のW杯後の20年の春に高校入学した子どもたちも、21年の12月は高校二年生になっている。

さらに80年代から90年代のラグビーバブル人気選手の2世がこの記事に丁度高校生から大学生になっているという、世代のめぐり合わせもあると思われる。
今回の花園でも、法政優勝の中瀬の息子は桐蔭で、大東大全盛期の青柳の息子は国栃、ナモアの息子は桐生一高で、日本代表の小野澤選手の息子は静岡ですでに大活躍している。現在の大学生~日本代表まで広げれば、早稲田の河瀬、今駒、相良 大東の戸野辺、田村兄弟など、親父は80年代後期に一世を風靡した大スターであった。オイディプスのコンプレックスではないが、父を超えたいと思うのは男の子の本性でもある。

またそのような大スターの息子でなくても、中学生の頃にスクールウォーズ(84年)を見て、受験競争を経て、学生時代に枯芝の国立競技場で母校の校歌を歌ったり(87年雪の早明戦)、ノーサイド(発売は84年)を歌ったユーミンの歌に乗せて冬のデートを楽しんだりした普通の男女の子どもたちが、今の高校生から大学生の世代に重なるのである。今の花園の親の代はにわかラグビーファンでなく、かつてもラグビーファンでもあった世代なのだ。

すなわち、日本全国で確実にスタンダードが上がったのである。
スタンダードがスタンダードになるということは、時空を超え世代をつなぐことにほかならない。

Vladvictoria / Pixabay

 

 

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