お祭りにならなかった「早明戦」

コロナ禍の中、今年も早明戦が開催できた。
96回目となる伝統の一戦である。
結果は明治の圧勝で終わった。結果はともかく開催できたことは喜ばしいことであった。

しかし、いつもの盛り上がりに欠けるものを感じざるを得なかった1日であった。

一つは間違いなくコロナの影響であろう。もう一つは試合内容に関することにある。

お祭りとしての早明戦

伝統の早明戦であるが、この日はラグビーファン、および両校の関係者にとっては1年に1度の「お祭り」の様なものであったはずである。今年の早明戦は残念ながらその「お祭り」にはならなかった

日本の伝統的「祭り」だけでなく、世界各地の「祭り」には、宗教的側面だけでなく、社会的側面がある。その日は人が集い、旧交を温め、帰属コミュニティーの結束を確認し合うのだ。さらにその日は、民衆にとっては、普段の抑圧された日常からの解放される特別な日という意味もある。人はその日に心と体を解放し、次の日からまた真面目に労働や学業や家庭生活に戻るのである。

そもそもラグビーの元である原始フットボールは、「灰の水曜日(2月中旬)」に行われ、村と村同士の荒くれの男どもが、三百人ほどでゴールを競う「祭り」であったのだ。その日は無礼講で馬鹿騒ぎをして良い日であった。翌日からは四句節(レント)となり、悔い改めの40日間としての静かな生活をしなければならない

今年のコロナは、世界各地の「祭り」を力を無力化してしまった。日本のラグビー界の「祭り」である早明戦も例外ではない。

今回の早明戦。開催のために様々な措置が取られた。2枚だけの前売り券の発売、一席開けての観客席は、「祭り」の持つ「集いの力」を無力化した。そして、アルコールの持ち込み禁止、飲酒禁止、声援禁止ということが、「解放の力」を無力化した。(その措置は当然で、開催できる様に知恵を尽くした関係者には頭が下がる思いである)

それよりも第三波が到来している中で、ラグビー観戦しているということの「後ろめたさ」「罪悪感」の様なものが観客の自粛ムードを形成していた。

結果、お祭りにはならず、早明戦が「ラグビー現象」としての特有の盛り上がりにはならなかった。

筆者も通常なら、「反省会」と称して試合終了後近くの居酒屋に直行し、早稲田、明治両校のファン同士の交流も夜がふけるまであるのだか、15分程度のコーヒーだけでその時間は終わったのだった。

ゲーム内容

次は試合内容である。

縦の明治、横の早稲田。力の明治、技の早稲田。無骨な明治、知的な早稲田という様な何年も繰り返されてきた対照的な両校のぶつかり合いが、単純でわかりやすく多くのファンを作り上げてきた。これが伝統であった。
昨今の早明戦はこの構図は当てはまらない。
明治のラグビーが、知的で理にかなったスマートなラグビーになっているからである。誤解を承知で簡単にいうと、明治の早稲田化という現象である。

この日の明治のラグビーも理にかなっていた。

縦をついてからの飛ばしパスが大外でのゲインを何度も生み出した。その縦を突くのも真っ直ぐ当たるだけでなく、ステップで芯をずらして少しでも前に出てラックを形成する。かと思えば斜めに走り込む、内返しのパスを送る。ディフェンスの意識をそこに集めておき、そしてボールをライン側に持っていくのだ。早稲田のキックに対して、キックで蹴り返すのではなくランを選択する。
これらは全て、慶應戦での敗戦の反省からきているのは明らかである。慶應戦では慶應のキックに対してキックで蹴り返してしまい。明治のフィジカルを生かした攻撃の時間を自ら少なくしてしまった。さらに、慶應の前にでるディフェンスに対して闇雲にうち返しのパスを連発して、タックルの術中にハマってしまった。

さらに、ラインアウトの空中戦でも完全に早稲田を制圧した。試合後の箸本キャプテンはBチームが完全に早稲田のラインアウトをコピーして練習台になってくれたと感謝の意を述べた。早稲田は丸裸であった訳である。スクラムの圧勝も多分同じく研究の成果だと想像される。

ディフェンスでも工夫が見られる。ラインプレイクされた時に、ナンバー8の箸本がコーナーフラッグまでまっしぐらにカバーに入っている。そして最後の最後でトライを阻止している。数年前のジャパンとオールブラックス戦、リッチーマコウが福岡賢樹のトライを阻止したプレーを思い出した。

この日のスコアは34−14 であるが、もっと点差の空いて良いゲームだった。フィジカルに優勢な明治が、キャプテン箸本のトライで先制し、そのモーメンタムを80分間維持したのだから。この得点差に終わったのは、トライ間際でのノックオンやインゴールでグランディングできなかったというプレーが4−5回あったことに起因しているだけである。

 

最後に、

近年早明戦が大学選手権でも再戦があり、12月の早明戦で負けた方がリベンジを果たすということが続いている。このことが早明戦の持つ相対的価値を落としているのではないかという懸念がある。ファンにとってはお楽しみが増えて嬉しいかかぎりだが、お祭りは年に1回だから価値がある。早明戦は一つのゴールであって手段となってしまってはオールドファンとしては悲しい。

特に今年は春夏と対外試合ができずに、対抗戦を通じて試しながらチームを作っているという非常事態であり、両チームともまだまだ成長の途上にある。
両チームの成長を見届け、1月11日には再戦を期待したい。

それには、早稲田の成長を期待するしかない、まずは19日の慶應戦(と思われる)であろう、そして2日には帝京か東海を破らなければならない。早稲田がこの試練を乗り越えた時に、成長を遂げた2つのチームの互角の熱戦をなることは間違いない。

早明戦が行われた当日。慶應は帝京と大熱戦を行なっており、海の向こうでは若手のフランスがイングランド相手に大健闘をした。この様なゲームになることを期待したい。

残念ながら昨日の早明戦はその様なゲームとはならず、一方的ゲームになってしまったことが残念であった。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です