早明戦の軽さ(12月4日)

軽い。軽すぎる。

どんなに軽いかというと、ボップコーンの様に軽い。その軽い塩味のように軽い。ダウンジャケット様にも軽い、いやダウンジャケットはまだ存在感がある。そうだ高級羽毛布団のように軽い。なんともフワフワと軽い。いや羽毛布団は高額すぎる、屋台で気軽に買ってしまう綿菓子のようだ。

早明戦が軽いのだ。これは問題だ。

すでに両校とも帝京に大敗して帝京の優勝(対抗戦は優勝とは言わないが)が確定してしまっている。順当に行けはこの勝負に関わらず3週間後に大学選手権の再戦が決まっている。昨年も順位は逆だが同じであった。

これでは早明戦の大安売りだ。

ここ数年は公正を重んじたばっかりに、大学選手権の組み合わせを機械的に決めてしまうやり方だが、その悪い面がでているようだ。その昔、対抗戦が終わった後、対抗戦とリーグ戦Gとのたすき掛けの交流戦があった時代が懐かしい。(もっとも、その後発表される大学選手権の組み合わせは、毎度物議を醸し出したものだが)

そんなわけで、今年も年内に2回の早明戦があることがほぼ決定している。

この背景があったせいなのか、今年の早明戦はラグビーのプレーも軽い、軽い。重厚感が感じられない。明治にはかつての重戦車のイメージは微塵もない。軽いステップでヒョイヒョイと間をついて、軽く連続3トライ。難しいゴールも軽々と決め、あっという間に21−0になってしまう。早稲田のアタックも明治の軽く前へ出るディフェンスでなすすべもなく後退するばかり。単調な軽いリズムで右左に流すだけ。明治は早稲田を軽く止められるのでブレイクダウンにも人数をかけない。早稲田の課題であるラインアウトもキックオフから同じ失敗を2度続けて、責任を重く感じるべきスローワー(ここでは名前は伏せます)もなんとそれを難なく笑顔で軽く受け流す。
この時点で普通は勝負はついていたのだが、今度は明治が軽いプレーを連発する。なんでも無いところで反則やノックオン犯して、軽々とトライを献上してしまう。そう、早稲田のトライも軽い。どんなに軽いかというと「すかしっぺ(表現は一緒に観戦していた早稲田OBの私の義理の兄からいただきました)」のように軽い。
後半は早稲田がキックを多用したことで、一度は軽々と明治の出足を封じてしまう。こんなに簡単に止められるなら前半からなぜキックをしないのか?

しかし、ゲームを決めたのも、明治のインターセプトでのトライという、いかにも軽いプレーでした。

この軽さの印象の原因は、新国立競技場の建物としての軽さが後押ししていたようにも思える。現代的で素晴らしい建造物であることは間違いない。なんともスマートなデザインだ。木材ををつかって重厚感を消し去っている。そして、私は3階席だったのだが、なんと3階まではエスカレーターを乗り継いで階段を一歩も上がらない。まったく負担はなく軽々と席に移動できる。

軽さは運営側にもあったように思える。入場での持ち物検査なし(ビールの持ち込み禁止だと早とちりした私はまったくの拍子抜け)。そして歌ってはいけない軽いノリの校歌斉唱(校歌静聴?)。CDを流すだけの軽い演出でストップの箇所が微妙にずれて2番が始まってしまう軽いあつかい(おいおい編集ぐらいしておけよ)。日本代表のオールブラックス戦では陸上タータンを人工芝で隠したのに、今回はむき出しでなんとも手抜き感満載。例年の明大スポーツや早稲田スポーツの熱い配布合戦もみられない。

いつからこんなに「早明戦」が軽くなってしまったのだろう。

トップリーグ、リーグワン、ワールドカップ、日本代表のテストマッチなどトップレベルのゲームを見慣れてしまっているということもある。学生がスマートになって、野暮ったさがなくなったのもあるかもしれない。

やはりここは、学生ラグビーのあり方をもう一度見直して、年に1度の定期戦の魅力を取り戻してもらいたい。代表レベル、プロレベルとは違う学生ラグビーの魅力があったはずである。

ラグビーはどこか一番強いかではなく、どちらが強いかを競うスポーツであったはずだ。

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