ラグビーを哲学する ドイツ観念論の立場から カント その2 実践理性

「ラグビーを哲学する」のシリーズは、多くの哲学思想にラグビーを当てはめて考えようとする試みです。ラグビーの本質をよく知ることにもなりますが、同時に哲学のおさらいになり、普段の生活を見直してみることにもつながっていくかなと思っています。

今回は2回目になる最難関と言われるカントの哲学です

「純粋理性批判」による理性のうちの実践理性を取り上げます。
理性の働きのうち 「私は何を知り得るのか」というものを理論理性とよび、「私はは何をなすべき」かという側面を実践理性とよびます。
さらにカント世界平和のために何をなすべきかというところまで話は及びます。

理論理性の部分は前回の記事を参照ください

カントの考える自由とは道徳的に生きることであり、そのことが幸福に値すると主張します。

 

理性の働き

理性は完全なものを知りたいという欲求があり、さらに完全な生き方をしたいという欲求もあるのです。
理性に従って道徳法則に則って行動する時に、人は自由になるのだとします。

理性は 「すべし」と命令してきます。この時2つの命令の種類があり、無条件に何々すべしというする命令を「定言命法」、条件ありで何々すべしという命令を「仮言命法」としました。例えば、「電車の中で年寄りに席を譲れ」と無条件に命令してくる時もあれば、「周囲にカッコよく見えるから席を譲れ」と命令してくる時もあります。カントは無条件な命令に従うことを良しとして、条件付きの命令に従っていては自由ではないと考えます。これを「動機説」と言います

 

道徳法則のことの説明を
「汝の意志の採用する格律(=マクシーメ=行動原理)がつねに同時に普遍的立法の原理としても妥当するように行動せよ」と言います。
簡単に言い直せば、世界中の誰からも非難されないような様な行動をしなさい。

「汝の人格の中にも他の全ての人の人格の中にもある人間性を、いつも目的として用い、決して単に手段としてのみ用いない」
これは人と付き合うときに、「人脈として役にたつから付き合う、とか、「パシリ」をさせるとか、「見返りを求めて付き合う」とか、「踏み台にしてのし上がる」とか「何かの手段として扱ってはせんよ」ということです。

しかしカントは、道徳的に生きても幸福が保障されるわけではないとします。幸福になることを期待して道徳的に生きるとした段階ですでに動機説から離れます、道徳的に生きようとしても、人の欲求がいつも邪魔をします。それでも理性に従って行動するには結構しんどいものがあります。カント は人が道徳的にいくることを支えてくれる存在が必要であり、それが、神や神への信仰であるとしました。だから、カントは人には神が必要なんだと言います。(認識論の分野で叡智界にあって認識できない神は、存在するともしないとも論じることができないとしたのにです)

ラグビー部動機説

ラグビー部に入部する際の動機について考えてみましょう

ラグビー部に入る動機は「かっこつけたいからラグビー部に入る」、「モテたいからラグビー部に入る」、「先輩の勧誘に断れきれなくてラグビー部に入る」、「親の進めに従ってラグビー部に入る」など人様々です
しかし、上記の様な動機はカントに言わせれば不純な動機であり、仮言命法にしたがっているだけになります。

しかし、私は思います。不純な動機でも、これで良いのではないでしょうか?
そんな不純な同期で一旦ラグビーを体験し、ラグビーが好きになってしまうと、ラグビーの虜になってしまいます。ラグビーが手段でなく目的になります。純粋にラグビーを求めるようになります。夢中でプレーしていると他のことは全く忘れてしまいます。ラグビーにはその様に人を純粋な気持ちにさせる力があるのだと思います。
億の金をもらってるプロのラグビー選手だろうと、高校生だろうと、草ラグビーだろうと、子供のラグビーだろうと、必死にラグビーをプレーしてる時の純粋な気持ちは、同じです。

闘争の倫理

純粋に必死にラグビーをプレーをしているときには、そこに理性が働いています。わからない様に反則しようとか、トライを取ったらガッツポーズしようとか、そんなことを考えてプレーしていたとしらら、その時点でラグビーの精神に反していることになりますし、カッコ悪いです。

しかしながら、カントの道徳論は自分に厳しすぎるように窮屈に感じます。トライとったときにおいいいビールを思い浮かべてしまうくらいはいいのではないでしょうか。カントのように規則ただしく、時間に正確な暮らしをしていくのにはしんどいものがあります。

ラグビーのゲームの最中に、相手に敬意を持って、人として考えることは実践理性の定言命法であります。大西鐡之助の 闘争の倫理です。

目的の王国

ラグビーで ワンフォーオール、オールフォーワンとう言葉があります。このフォが目的は何かを指しているのです。ラグビーではチームのメンバーの一人人が目的なのです。その人のために無条件で理性に従ってプレーするのです。

ラグビーでは自チームで15人✖️14の目的があります。相手も入れれば30✖️29です

まさに目的のオンパレードです。ラグビーのフィールド上は。目的にあふれています。

カントはこの様な状態を「目的の王国」と呼びました。
これこそが平和のために理想の社会であり、争い事のない社会だとします。

先の大西鐡之助はラグビーはなんために存在するのかと問いに「戦争をしない様にするためだ」と述べています。

カントは1795年に「永久平和のために」という書を発表しています。

カントは現在の国と国の争いを起こさせないために、「軍縮」と「国際連盟」などの平和維持期間が必要だと考えています。ものすごく先進的な考え方だっと思います。日本の鎖国のことも評価しています。

 

 

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