高校ラグビー 桐蔭対決
今日の高校ラグビー決勝戦、昨年度の準決勝の熱戦を思わせる桐蔭学園と大阪桐蔭の桐蔭対決でした。ジャージもよく似ています。大阪桐蔭は白地に胸に紺の段柄、桐蔭学園は紺の地に胸に白の段柄です。
この東と西の桐蔭ですが、学校法人としては全く別のものです。また、和歌山にも和歌山桐蔭があります。こちらは県立高校です。
設立年度で言えば、1948年和歌山桐蔭、1964年桐蔭h学園、1988年に大阪桐蔭が設立です
ただし、3校共に設立者、命名者は東京高等師範ー教育大ー筑波大の関係者、またはその教育思想に大きく影響された者であることは間違いありません。東京高等師範、教育大、筑波大は全国に多くの教育者を排出しています。
3校の桐の校章は東京高等師範のからのものです。教育大を経て筑波大学の校章も桐です。ちなみに現筑波大学のラグビー ジャージもスカイブルーに白の胸段柄で、両校のジャージと同じデザインです。
高校ラグビー で言えば、茨城は茗渓学園ですがこれはまさに、筑波大の関係学校です。筑波大の卒業同窓会「茗渓会」が母体となって設立した学校です。校章はもちろん同じく桐です。(なぜかラグビー ジャージは3色の段柄です)
筑波大学、茗渓学園、(東京高等師範)
神奈川 桐蔭学園
大阪桐蔭
いだてん
東京高等師範学校は昨日から始まったN H K大河ドラマ「いだてん」の舞台となっています。役所広司扮する嘉納治五郎は東京高等師範学校の学長を何期も勤めました。主人公の金栗四三もオリンピック出場後、東京高等師範学校でスポーツの指導者になり箱根駅伝開催などにも尽力しています。
先日第一回の「いだてん」を観ましたが、役所広司の嘉納治五郎はユーモラスなまでに愚直な人物として描かれています。まだ出番は少ししかありませんでしたが、金栗も素朴で愚直な愛すべき人物として描かれることでしょう。
桐の木と鳳凰の伝説
鳳凰が千里万里を飛翔する前に必ず桐の木の陰で羽を休めるという伝説があります。桐蔭の名前には、若者が鳳凰のように社会で飛び回る前に力を蓄える場所としての学校であるという考えが根底にあります。
また、桐の木は真っ直ぐに早く伸びます。女の子が生まれると桐の苗を植え木に育った時にその木で箪笥を作って嫁入り道具に持たせたという習慣もありました。また高級な桐箪笥や桐の箱に使われるのは、桐の木に変な虫がつかないからです。
桐には若者に真っ直ぐに育って欲しいという願いも込められているのでしょう。
筑波大学宣揚歌「桐の葉」とは
現筑波大学には校歌はなく宣揚歌として「桐の葉」があります。卒業しても結婚式など定番で歌われます。
この歌は、大正中頃に高等師範学校の大学昇格運動の際に、その意気込みを歌ったものです。真っ直ぐな気持ちや身の引き締まる決意がうたわれます。
桐の葉は 木に朽ちんより 秋来なば 先駆散らん 名のみなる 廃墟をすてて 醒めて起て 男の子ぞ我等 日の本の 教の庭に いと高き 学舎ありと 人も知る 茗渓の水 よし涸れよ 濁さんよりは
それにしても真っ直ぐですね。
この歌に出てくる茗渓は神田川の別名です。川辺で茗荷(蕎麦の薬味や天ぷらが美味しい)が多く自生していたので、学校のあったところだけ茗荷谷と呼ばれていました。今の丸ノ内線茗荷谷駅の近くです。この茗荷から茗渓となったのです
この茗荷谷の名をとったのが教育大、筑波大の同窓会の茗渓会でその名をとった学校が茗渓学園です。筑波にあっても東京の茗荷谷の名がついてます
大正時代から歌われた「桐の葉」には昭和、平成になって、3番と4番が作られています。
3番 年を経て 百年過ぎぬ 今ここに 水は渇るとも 新泉は 筑波の麓に いざ立たん 若人われら 4番 桐の葉は 筑波の庭に いや繁り 三十年過ぎぬ 新しき 世紀を拓き いざ行かん こぞりて吾等
3番は教育大から筑波大に移転する際、4番は筑波大になって30年たった際に作られました。あと100年後まで歌い続けられるでしょうか?平成の終わる今年、次の元号の時代に5番が作られるでしょうか?