ラグビーを哲学する 実存主義 ハイデガーと田中史朗

「ラグビーを哲学する」のシリーズは、多くの哲学思想にラグビーを当てはめて考えようとする試みです。ラグビーの本質をよく知ることにもなりますが、同時に哲学のおさらいになり、普段の生活を見直してみることにもつながっていくかなと思っています。

ハイデガーについて

ハイデガーは1889年 訂正ドイツの南西の小さな町のカソリックの一家の長男として生まれます。父はカソリック教会の管理人でした。帝政ドイツ時代は、ドイツを一つにまとめようとビスマルクの文化闘争が進められますが、南西ドイツではそれに反発する気質が高かったと言います。

1919年フライブルグ大学で現象学のフッサール の元で助手として研究にあたります。そのフッサール の勧めで、マールブルグ大学に教師として移ります。この時に学生であった「人間の条件」のハンナアーレンとは不倫関係にあったと言います。この時書いた論文をもとにしたのが「存在と時間」です。この「存在と時間」はそれまでの哲学の存在論に決定的な回答を提示する画期的なものでした。その後実は第一部だけが執筆させてその続きは書かれていなく未完に終わっています。その後の現象学、ポスト構造主義などに大きな影響を与えています。

戦前からハイデガーはナチス党に入党していました。戦後になって、ナチス桐蔭、反ユダヤ主義者であることを指摘されます。そうするとハイデッガーは全ての役職を捨てて、フランス、スイスの国境近くのトートウナベルグの山荘にこもります。そこで記述をしたり、相次ぐ山荘への来訪者と対談したりし、影響力を発揮し続けました。

 

ハイデガーの思想と特徴

ハイデガーの使う言葉は難解ですが、なんともかっこいいです。わざとカッコつけて難しく言っている様にも思えますが、ハイデガーにしてみれば、これまでと同じ様に捕らえられたくなかったので新しい言葉をたくさん作り出したのだと思います。

人はその存在そのものを問うことができる今ここにいる存在として「現存在=Dasainだと定義します。自分で振り返り反省できるのは物や生物の中で人間だけなのです。
また、人は世界と共にあり世界とつながりを持った存在であると「世界ー内ー存在」であるとも言います。しかしそれに慣れて何もなさずに生きていると。無個性で世の中に没してしまうダスマンになっていまうといいます。著書「存在と時間」の様に時間軸を取り入れたのがハイデッガーの特徴です。人はいつかは必ず来る死を免れることはできない「死への存在」なのです。いつ死がおとづれるかわかりません。ですから常に明日死んでも後悔しない様に今を精一杯生きよと解くのです。自分の選択や行動ですこしでも悔いのない人生を遅れと言うのが、ハデガーの主張です。

ハイデガーは言います「人間は、時間的な存在である」

田中史朗の話

この話を聞いて、スクラムハーフの田中史朗の話を思い出しました。

田中史朗は、ゲームの前の日に必ず奥さんにこう言うそうです。

「明日俺は死ぬかもしれんから、そしたらあとはよろしくな」

大袈裟に思えるかもしれませんが、ラグビーでは体の小さい田中が海外の2m級、130キロ級の大きな選手とぶち当たるのですから、本気で死ぬのではと思っているは確かです。その死ぬ覚悟が田中の体をはったプレーを生み出しているのです。

田中の転機となったのは2011年のW杯でした。それまでなんとはなしに周りに合わせてラグビーをプレーしていた(=世界ー内ー存在)だったのですが、期待の2011年W杯ではフランス、ニュージーランド、トンガ、に敗れ、最終戦のカナダにも最後に追いつかれて引き分けに終わってしまいました。このまま日本に帰るのではダスマンになるとことです。

しかし、これをきっかけに田中は変わります。現存在として自ら新しい運命を切り開く決断をします。単身NZに乗り込み、NZの国内リーグに参加、日本人で初めてでスーパーラグビープレーします。その頃から常に死を意識して、今できることを精一杯やることに集中していたのだと思います。

その後のトップリーグやW杯での活躍はご恩じの通りです。

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