ラグビーの伝説 世にある「伝説」は、実はほとんど事実とは異なります。 途中で脚色されたり、都合の悪いところはしょってしまったりしています。 しかし、世に伝え、語りつぐ意味があるから「伝説」なのであり、 事実と違っていようが、その意味や意図が変わるものではありません。 ラグビーにも伝説があります 一番有名なのが、ラグビーの始まりとされる「エリス少年の伝説」です 昔は情報は非常に乏しかったし、映像に残っているとしても20世紀中盤以降であり、映像すらないことも多い。口から口へ想いが語り継がれて伝承、伝説となります。 今は情報化時代であり、様々な角度からの映像がありますし、当事者もSNSなどで発言したりします。伝説ができにくい時代になってしまいました。 このコーナーはラグビーの伝説を伝説として、聞いたことの記憶を、そのまま記しておきたいと思います。 ここでそうしないと、もはや「伝説」が語り継がれなくなってしまうかもしれません。 (オールドファンの中には同じ話を違った展開で聞いている人も多いと思います。そのように様々な形になってしまうのが伝説の伝説たる所以です) 「信じるか信じないか、それはあなた次第です。」
1982年1月2日
1982年1月2日大学選手権準決勝の事です。
同志社大学には、林、大八木、萩本、平尾など大スターが揃い、翌年から大学選手権3連覇をする前の年です。明治には怪物河瀬がナンバー8に据えています。河瀬は現在早稲田のフルバックとして活躍の河瀬選手のお父さんです。国立競技場は6万を超える観衆で埋まっています。
同志社大学が7−3とリードして後半の20分を迎えます。
明治は同志社サイド、メインから見て左手前に攻め込みます。
何度かラックができて、河瀬が突っ込みます
そしてボールがダウンされた瞬間、笛が吹かれます
退場の宣告の笛
ここで高森レフリーは同志社の14番大島を呼び肩を叩き笛を吹いたのでした。それは退場の宣告の笛でした。
当時はシンビン制度などなく、1人退場すると残り時間は14名で戦わなければならないルールでした。今えいえば一発レッドの判定です。
退場を宣告された、大島選手は訳がわかりません。
6万の観客席でもなぜかわかりません。
TVの解説をしていた日比野さんもよくわかりません。
解説の日比野さんは「レフリーはよっぽど確信がある判定だったに違いない」とだけ言っています。
退場を宣告された大島は、当然少し否定のそぶりをします。ただし、当時のレフリーの判定は絶対です。後ろ髪を引かれる思いでピッチを後にします。
大島選手はベンチで号泣していました。後になって当時を振り返って「岡先生だけが暖かく受け止めてくれたことだけしか覚えていない。」と語っています。
その後の試合展開
明治はその後ぺネルティーで、ゴール前スクラムを選択、ナンバー8川瀬のトライが生まれ、ゴールも決まり7−9とひっくり返します。1人足りない同志社は、劣勢を跳ねのけられずに7−20で敗れ決勝進出を逃してしまいます。
試合後、高森レフリーは、
「ラックの中で大島が意図的に相手をふみつけた」とだけ説明しました。
TV中継でも、土門アナウンサーが北島監督のインタビューの後にそう説明があったと伝えています。
その後明治は決勝戦で再び早稲田と対戦し優勝を遂げます。
同志社は翌年から大学選手権3連覇を果たします。
関係者はすべて無言
しかし、1月2日の試合終了のその時から、高森レフリーは、それ以上のことは全く語りません。
なんと不思議なことに、明治のメンバーの中にも踏みつけられたと自覚する選手は誰も現れません。
当時はレフリーの笛は絶対とされていましたが、疑問を持つ者がいて、非難の記事もありました。しかし、レフリーを強く責めることはなされませんでした。一部には決勝戦が早明戦になれば盛り上がる協会の策略だなどと書いた記事もありましたが、全体的にそのような笛で試合が進行したわけで無く、全体的に公正な笛に見えます。
ただし、この笛が勝敗を決したのが明らかであります。
高森レフリーはこの試合の後、静かに笛を置き、その後大阪で行われるゲームのレフリーを全て断り、それ以降、2度とレフリーとして笛を吹くことはしませんでした。
高森レフリーが笛を置き引退したのは、誤審をしたことを認めたのかどうか、それも語られていません。いまだにこれが誤審なのか、それもどうかわかりません。誤審だとしても協会は高森レフリーを処分したという事実はありません
一方の退場になった大島は、仲間と京都に戻っても慰労会にも参加せず、責任感や虚しさで、引きこもったまま卒業します。同志社大学、岡監督も高森レフリーの判定に対して異議を申し立てることもしませんでした。
大島も相手を踏みつけたことを認めて責任を感じたのでしょうか、それも当時は語られていません。当時はそういう風潮だったのです。
ただし事実として大島が引きこもりになり、卒業後近鉄に入社するも、1年でラグビーをやめてしまったという事実です。
一つの笛が、2人のラグビー人生を変えてしまう事につながる大事件として語り継がれます。ただし本当のことはまだ誰もわかっていません。
後の偶然の再開
のちになって大島と高森はその後両者とも指導者という立場になり、ある指導会で偶然再会します。その時は高森から声を掛けたとされています。大島もなぜか、自然に高森と接することができたと言います。時間がたち2人の間では無言のうちに既にわだかまりは消えていたということです。
関係者の方はもう忘れてしまいたい事かもしれません。しかしこのコーナーは真実を突き詰める事は致しません。
やはり謎は謎として伝説のまま残しておきたいと思います。
「この話を信じるか信じないかはあなた次第です。」
この記事は下記を参考にしています。
^ 誰がために笛は鳴る – 安威川敏樹のネターランド王国 2008年12月11日付