フランス史上の恐るべき女子達 第二回 ヨランド ダラゴン

2023年W杯でフランス各地を訪れる際に、歴史を知っていればさらに訪問の価値も意義も深まると思います。

フランスの歴史の中には、時代を左右させた様々な女性の姿があります。もちろん誰も知っていて有名なのはマリーアントワンネットやジャンヌダルクなのでしょう。しかしそれ以外にも、数奇な運命の元、私欲と陰謀が交錯し、裏切りと背徳に染まった女性がたくさんいます。そして彼女たちが結果的に歴史を動かしています。それが大抵はおぞましいいほどの血の匂いがして生臭いものなのです。その中には、単なる噂に過ぎないものや、いつの間にか闇に葬られて史実としては認められていないこともたくさんあります。このシリーズではそんな話を掘り起こしてみたいと思います。

 

日本ではあまり有名でありませんが、今回はヨランドダラゴンです。
なんかウルトラマンに出てくる怪獣のような名前ですが、見栄えは上品ですが中身は怪獣といっても差付けないでしょう。ものすごく頭がキレるし、思慮深く、我慢強い女で、決断力や実行力があります。しかし決して表舞台には顔を出しません。
ヨランドダラゴンはフランス語読みで、スペイン語読みを日本語化すると、アラゴンのヨランダ。今はスペインのアラゴン国の生まれで、アンジューのルイに嫁に行っています。

恐るべき布石 その1 シャルル6世の末っ子シャルルと娘マリーとの婚約

シャルル6世の末っ子のシャルルに目を付けたヨランドは、娘のマリーをまだ幼きシャルルと結婚させ、シャルルを引き取り自らの手で育て上げることを考える。シャルルの母イザボーは末っ子のシャルルはあまり気にかけた子でなったらしく、ヨランドの申し出には簡単にOKを出した。ヨランドは気が弱く自信のないシャルルの背中を本当の母親のように押し続け、ジャンヌダルクの登場でランスでシャルル7世として戴冠したのちには、娘婿の母として宮廷入りして、待望の権力を持つようにまでなる

 

恐るべき布石その2 次々に謎の死を遂げる王位継承上位者

引き取ったシャルルには二人の兄がいて、王位継承権は下の方だった。しかし、1417年から19年にかけ王位継承者のが相次いで死亡する。2人とも18歳になったばかり。謎の死である、当時、王のシャルル6世は発狂し容態は思わしくな状況。フランスはアルマニアック派と、ブルゴーニュ派が激しい争いをしており、摂政となって権力を握りたい王位継承者の相次ぐ死はどちらかの暗殺ではないかと疑られても仕方がない。しかし、よく考えると死んでしまえば摂政になれないのだから意味がない。これを末弟の嫁の母ヨランドダラゴンの仕組んだことと考えれば、話ははっきりしてくる。病死とされる2人の皇太子であるが、連続の死亡とは、不自然極まりない。これがヨランドの差し金ならばシャルルの王位までの道筋をつけることで非常に有利になる。

恐るべき布石 その3 ジャンヌダルクの発見と登用

ジャンヌは12歳の頃、生まれ故郷のフランス北東部のドンレミ村で神の声を聞き、「シャルル王太子に接見し、ランスで戴冠させ、フランスを救え」とのお告げを聞く。そしてその実現のため、近隣の領地の主人、ボードクーリュに遭って、シノン行きの手配を頼むが、最初はあえなくおい返されてしまう。この時のボードクーリュのセリフが有名な「平手を撃って、追い返す」というもの。しかし再度ジャンヌが訪ねた時には、あっさりとシノン行きを了解してもらえる。この態度の変化の背景にはヨランドタラゴンの力があったとされる。ヨランドはドンレミやボードクーリュの領地には深く関わっており、この風変わりな乙女は「今後使えるのでは?」というアイデアら浮かんできたと思われる。

また、そこのろ、敗戦濃厚なフランス軍とフランス国内で、「近く救世主が現れ、フランスを勝利に導く、その救世主はうら若き乙女である」という噂が流れ、これが全国にひろがり、イングランド軍の中にも信じるものが出てくるように信じられるようになっていく。この噂がどこから出たのかどうしてそんなことになったのかは歴史には記されていない。しかし、この噂の出所がヨランド自身であると考えても全く不思議ではない。いやヨランドが流したものであると考えた方が全く合理性が高い。

さらに、もっともらしい説としては、ジャンヌそのものが、実は王族の一人であって、ヨランドと結託して、救世主の役割を演じさせ、シャルルを勇気付け、フランスを勝利に導いたのではないかという見方もできる。精神に異常をきたしたシャルル6世には、愛人がいた。その愛人の名はといい、二人の女の子を産み落としているが二人ともその後の消息は歴史から抹消されてしまっている。二人ともジャンヌの生まれた1411年ごろに生まれたころに一致する。二人のうち一人がもしジャンヌだとなら、シャルル王太子と異母兄妹になる。

どちらにせよ、ジャンヌの登用につき、裏側から力を注いだのは、ヨランド自身であることは間違いない。

 

恐るべき布石 その4 シノンでの対面の準備への援助

シノンでシャルルに面会するまでの準備に、ヨランドは非常に大きな働きをしたことが記録されている。ヨランドはジャンヌに対し、体に合う戦争服、鎧を製作して貸与する。さらには救世主であることの証明をするために処女検査が行われたが、この処女検査をヨランド自身が買って出て自ら行なっている。もしかしたらヨランドはジャンヌが処女ではないことをすでに知っており、ヨランドが自ら検査を行うことでその秘密が公になることを防いだ可能性がある。

また、ジャンヌが王族のひとりであるという説ならば、このようにヨランドが手をかけて準備をすることは当たり前の出来事に過ぎないことになる

 

恐るべき布石 5 シノン城での対面の手ほどき

シノン城での対面の際、ジャンヌを疑ったシャルルはわざと王座に部下(ラウルドゴークール)をすわらせ、自分は100名にも及ぶ家臣の列の中に紛れ込んでいた。しかし、ジャンヌは王室に入るやいなや、王座には目もくれず人混みを探しわけ、シャルルを探し当てる。シャルルの前に歩み出て、ひざまづき、「あなたこそ王となられる人にあらせられる」と言ってのけた。インターネットはおろかプロマイドもない時代、面識のない王子を見分けるのは不可能。これで会場全体はびっくりし、これこそ天の使い、救世主だと信じたという。その後、シャルルとジャンヌは耳打ちして何かを語り合った。これで何かを聞いたシャルルはそれまでと打って変わって自信満々になったという。

シャルルは自分の母イザボーからも、公然と王の子でないとカミングアウトされ、自身喪失で無気力になっていた。それがジャンヌの出現で自分は正規の王太子であるとの自信を付けたのであった。

この一連の出来事はまさしく芝居がかっている。

シャルルの性格や過去の出来事をよく知っているヨランドタラゴンが全てを演出しているという有力な説がある。すなわち、ヨランドは、シャルルに王座でなく家臣の列の中に紛れるように助言し、ジャンヌにはシャルルの特徴を教えておく。さらには、シャルルが自分は王の息子であるという自分では確信のできないが証拠となる情報を持っていて、そのことを肯定するような言葉をジャンヌがシャルルに耳打ちさせたとも考えられる。(例えば、「王太子様、あなたが秘密理に大事にしているそのロケットは、神から選ばれた者の証明であらせられます。私も同じものを神から承って所持しています」とか)もちろんその言葉はヨランドが前もってジャンヌに知らせておいた言葉だったであることであろう。

さらに、ジャンヌ王族説であれば、実はシャルルは本当に非嫡出子で、ジャンヌも本当の隠された継承者の一人。シャルルとジャンヌはすでに面識があり、ヨランドも含め3人で芝居をうって、臣下全員を奮い立たせる賭けに出たという見方もできる。

恐るべき布石 その6 ジャンヌの活躍の裏で

ジャンヌは、オルレアンの戦いで先頭に立ち、フランス軍を鼓舞し、包囲するイングランド軍の砦を次から次へ攻め落として、オルレアンを解放に向かわせる。
この時の勝因は、ジャンヌの救世主としての神がかった行動にあるとされる。
しかし、落城寸前だったオルレランにイングランドは長期戦で挑んでおり、短期戦を取ろうとした戦略の徹底が必要で、それにも誠意鼓舞は必須であった。そのためにジャンヌの登場がタイミングよくハマったのではないかとされる。

これも考えようによっては、アルマーニュ派の幹部の中での意見の対立を知ったヨランドがジャンヌを通じて一つにまとめさせる(=流行りの言葉ではワンチームですね)という作戦であったと考えられる。

これもジャンヌ王女説によれば、王女がシャルル王太子ができない当たり前のことをシャルルにとってかわって実行したに過ぎないということである。

実際に本当に救世主であれば、イングランドの矢はジャンヌに当たらないはずなのに、ジャンヌはこの時、矢に打たれて負傷して治療されている。

 

恐るべき布石 その7 パリ奪還への不参加とジャンヌの見殺し

ジャンヌの一団はより勢いをまし、国内の人気も高まってくる
ジャンヌは一挙にパリの奪還に臨む。しかし、シャルルはそれには参加しない。そのためジャンヌのパリ奪還はあえなく失敗する。さらにロレーヌへの出兵もジャンヌが単独に行なっている。

なぜ、シャルルはパリやロレーヌ奪還には向かわなかったのか、ジャンヌを見殺しにした形になっているが、なぜなのか。これにもヨランドの画策が絡んでいる可能性がある。ジャンヌはシャルルとその軍全体を勢いづけるのが目的でそれ以上の活躍や性急な動きは予定外だったと思われる。事実ヨランド自身がブルゴーニュ軍に捕虜になってしまうという事も起こってしまっている。

ヨランドは最終的にブルゴーニュ派との和解を狙っていて、その準備を最中にジャンヌが早まったということ、ランスで戴冠を終えるまでがジャンヌの役割で、それ以上は、勇み足、出すぎたマネで予定外のことであった。あくまでも主役はシャルルで、王としてがヨランドの狙いだったと言える。

ジャンヌはこの後の戦いでブルゴーニュ派のに捕らえられてしまう。そしてブルゴーニュ派はイングランドとフランスに共に身代金を要求しオークションにかけた。競り落としたのはイングランド、フランスは競りに乗ってこなかった。イングランドはジャンヌが聖女であるとしたら神の前で悪者になってしまうので、裁判にかけ何としても魔女として証明する必要があったからである。

この時フランス、シャルルは競りに参加しなく、結果ジャンヌを見殺しにしたこともヨランドの入れ知恵ならば納得できる。ヨランドにしてみてば、芝居がバレてしまっては神の力もなくなる。何としてもジャンヌの口をふさぐ必要があった。それをイングランドがやってくれれば、救世主のままシャルルの天下は続く。

ジャンヌ王女説ならばもっと話は簡単であり、シャルルがランスの戴冠を終えた以上、ヨランドとしては真の王女など邪魔者の一人でしかないのである。

 

恐るべき布石 その8 リッシュモンの影の力

ヨランドは決して表舞台に出ずに、自ら元帥にさせたリッシュモンを前面に出して、リッシュモンを後押しする。まずは、リッシュモンを使ってシャルル7世の寵臣ピエールドジアック、カミーユドボジュの二人を暗殺させる。しかしこの時に協力したトモエルがリッシュモンを追い出し、後釜に座ってしまう。そこでヨランドはリッシュモンの復活に力を注ぐことになる。しかし、トモエルが武力で反撃に出たために、ヨランドは強硬手段をとりトモエルを誘拐、権力の座から力で引きずり下ろす。そしてその後釜にヨランドの実の3男シャルルを座らせる。リッシュモンは元帥としてイングランド力を注ぐことができ、百年戦争は終結に向かう。

 

最後に

最後に、ヨランドタラゴンは薔薇の品種の名前にその名を残しています。
ちょっと控えめで、知的な感じのピンクの薔薇ですが、それでも薔薇にはやはり棘があります。ヨランドタラゴン本人と同じです。

 

 

 

 

 

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