ラグビーの伝説(付記)桜その3 日本での桜イメージの変遷

先週NHKの番組「日本人のお名前」で桜の特集を行なっておりました
興味深い内容が多くありましたので新しい情報も付け加えて紹介します。

 

 

 

1、日本では平安時代までは花見といえば桜でなく梅だった
万葉集には 桜を詠んだ歌は39、梅を詠んだ歌は110(NHK)

2、それが桜に変わったのは819年嵯峨天皇が初めて花見を行なったから。831年からは天皇の年中行事として定着。
そして息子の仁明天皇は山の桜を初めて自宅の庭に植樹(NHK)

空海も「吉野の桜」の歌を数多く詠んでいる。

3、戦国時代、日本人に人気だったはずの桜を家紋にする武家はなかった
桜はすぐに散ってしまうので、死のイメージがあり避けられた。(NHK)

4、ここまでさくらといえば花見といえば山桜、1594年秀吉は「吉野の花見」を実施

4、江戸時代初期

天海大僧正が今の上野の山に桜を植樹、江戸の花見といえば上野山だった。だだし上野山で騒ぐことは禁止だったために、1700年徳川吉宗が、隅田川や飛鳥山にも植樹し江戸町民も花見ができるようになった。

5、江戸中期から後期

吉野の桜のブランドにあやかり、江戸の染井地区の植木屋が新しい桜を発売、それがソメイヨシノ。
ソメイヨシノのソメイは江戸の染井地区のこと。ソメイは江戸を表すイメージで、吉野、江戸という2大ブランドイメージが全国でマーケティング的に大成功。(NHK)

江戸を離れた地方(特に東北地方)で桜(ソメイヨシノ)の植樹が大ブームになる。

今現在日本全国、いや世界中の桜の木(ソメイヨシノ)は江戸の染井の1本の木のクローンである。同じ遺伝子を持っているので、春先になると一斉に花を咲かす。(NHK)

 

5、戦前戦中戦後

散り際の潔さのイメージから、軍歌に登場する
『貴様と俺とは同期の桜』
 桜の散る姿にはかなさ、美しさを重ねる。

 

6、昭和時代

女の子にさくらという名前をつけることはことんどなかった。(NHK)
やはり、薄幸のイメージがは拭えていない(映画「男はつらいよ」の寅さんの妹さくらも苦労する女性のイメージ)

7、平成時代

平成になり突然さくらの名前が女子の名付けトップ3に急上昇
ここで一般民衆にさくらのイメージがポジティブに変換する(NHK)
一つの理由は戦争を知らない世代が結婚をして子供を持つ頃となり、桜ー戦争ー戦死 のネガディプなイメージは持ってなくなったから

8、そしてポジティブへの変化を決定づけたのは2001年、福山雅治「桜坂」の大ヒット(NHK)

9、その後さくら日本の卒業シーズンに歌われる定番として続々と登場し全て大ヒット。JPOPに「桜ソング」と言われるジャンルを形成するに至る

桜(独唱) 森山直太朗 2003年
桜 コブクロ 2005年
さくら ケツメイシ 2006年
SAKURA いきものがかり 2006年
Sakura レミオロメン 2009年

 

日本代表ラグビーの「ブレイブブロッサム」も2003年のW杯オーストラリア大会からです。桜ソングによる桜のイメージ復権と時が重なります。

 

そのほかNHKでは「サクランボのンボ」で何という話も興味深い。梅の実(梅干し)は梅ンボとは言いません。ンボは坊の意味です。

日本では桜は花が主体で、実は付属物。対して、梅は実が主体で、花が付属物、梅といえば梅の実、花は梅の花というのが一般的。

対して、桜は花が主体で果は一般的ではなかった、そのため、桜といえば桜の花、桜の花の実は桜の子(サクランボ)と呼ぶのが一般的。(NHK)

欧米ではCHERRYはサクランボ、桜の花がCHERRY BLOSSAMで、日本とは逆で果実が主体。

 

番組はNHKオンデマンド、見逃し放送で見ることが可能です

ここです

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