in a GURAUND イングランド 第三回 ブラッディマリー 圧政から解放の日11月17日

  1. イングランドはラグビーのホームグラウンドであります。現在、元日本代表HCのエディさんがHCをつとめ、11月17日にはJAPANとの一戦もあります。 ロンドンは単に観光やファッションという華やかな面だけでなく、過去のさまざまな悲惨で残酷な歴史の上に成り立っています。そういうわけで怪奇現象が多く目撃されるスポットも多い訳です。このシリーズでは数回に分けてロンドンやイングランドでのミステリアスな現象を紹介します。

リメンバランスデイ/ANZACDAY

今日11月11日は、1918年第一次大戦が終わった日として、欧州では戦死者の追悼の日です。リメンバランスデイとして、今年はちょうど100年です。ポピーの花を身につけることで、その意を表します。今朝のテストマッチでも多くのチームがポピーの花をジャージにつけて試合を行いました。なぜポピーかというと、英国在郷軍人会が、募金を募るために始めたのがきっかけです。(ニュージーランドとオーストラリアでは、第一次大戦で多くの戦死者を出した、ガリポリの戦いの4月25日がANZACの日となっており、やはりポピーを身につけます。)

LouKelly / Pixabay

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の話はその1週間後イングランドー日本戦が行われる11月17日の話です。

この日は1558年の11月17日にあったあることをきっかけに、その後200年に渡り、イングランドでは、お祝いの日でした。1558年11月17日は今からちょうど460年前になります。

ヘンリー8世からエドワード6世へ

前々回には、ヘンリー8世の6人の妻の話をしました。ヘンリー8世は1547年55歳で死去しますが、死去の前に、3人の子女に王位継承権を与えました。

第一継承者 エドワード 第三の妻ジーン・シーモア長男
第二継承者 メアリー  第一の妻メアリーオブアラゴンの長女
第三継承者 エリザベス 第二の妻アン・ブーリンの長女

エドワードは、生まれてすぐに母ジーン・シーモアを亡くします。(ジーン・シーモアは幽霊になってハンプトンコートには現れます)。ヘンリー8世の死去で1547年わずか9歳で王様になります。

 

 

 

 

 

 

 

のちにマーク・トウェインの「王様と乞食」のモデルになっていますので、ご存知の方も多いと思います。

エドワードは病弱だったので、15歳の若さで病死します。

ジェーン・グレイ 9日だけの女王

エドワードが病弱だとわかると、次の継承者メアリーはカソリックから改宗しないので厄介となるので、取り巻きは私情をからめ色々画策します。枢密院のノーザンパパーランド公は、ヘンリー8世の妹の孫、ジェーン・グレイと自分の息子を結婚させ、エドワードの死を待って、女王に仕立て即位させてしまいます。イングランド初めての女王の誕生です。(正式な女王と認めない説もあります)

これを察知したメアリー側は、一旦ロンドンから撤退しますが、市民を巻き込んで、ジャーン・グレイと取り巻きを捉えます。のちに全員を反逆罪で死刑にされます。この時の模様が、例の昨年日本で公開された怖い絵です。ジェーン・グレイはロンドン塔の幽霊になって、時より現れます。

 

 

 

 

 

 

メアリーチューダー ブラッディーマリー

メアリーチューダーは国の宗教を元のカソリックへ戻します、そしてプロテスタントへの弾圧を激しく行います。多くの人を次々に処刑、ブラッディーマリー(血まみれのマリー)と呼ばれる女王です。

どのくらい酷かったかというと、在位は5年ほどだったのですがこの間に

前女王ジーン・グレイとその関係者数名

ジョン・ロジャーズ
ジョン・フーパー(グロスター主教)
ニコラス・リドレー
ジョンカンタベリー大司教トマスクランマー

その他プロテスタンドの市民約300名(女子も子供も含まれいています)

そのほかプロテスタントの600名ほどの市民が他国へ亡命

ブラッディマリーはウォッカをベースにしトマトジュースで割ったカクテルです。まるで血のように赤い飲み物です。この名前はメアリーチューダー(血まみれのメアリー)からもらっています。

jnprice73 / Pixabay

 

 

 

 

 

 

 

 

メアリーは母の故郷スペインから夫を迎えますが、気性の荒いメアリーとは性格が合わず、すぐに逃げられてしまいます。また子供はなく、懐妊かと思われたのが悪性の卵巣腫瘍でした。その病気が元で亡くなります。在位は5年ほどです。

そのメアリーの命日が今回の表題の「11月17日」です。「圧政から解放された日」としてその後200年に渡りお祝いの日になりました。

このメアリーのプロテスタントへの弾圧に関して、2008年になってカソリック教会は、事実を認め、謝罪を表明しています。今では11月17日は忘れられた日になっています。

血の好きなロンドンっ子

ちなみに「血の一杯のバケツ」という名のPUBがコーンウェルにあるそうです。


ロンドンのにも「血の一杯のバケツ」という部屋のあるPUBがあるようです。

 

 

 

どちらのメアリーとは全く関係がなく、また他の流血事件だそうですが、イングランドの人はほどほどに流血が好きですね。

イングランドラグビーチームのジャージが白いのは、「ホームであるので色がない」ということですが、「激しいプレーで真っ白なジャージが血に染まっていくのがたまらない」、というイングランドファンの声も多いので、変えないという説もあります。

 

 

 

 

 

 

2015年のW杯初戦フィジー戦で初めて白でない赤のジャージが着用されました。当時、この時のジャージの色で一悶着ありました。

エリザベス1世の誕生

そして、アン・ブーリン(こちらも今はロンドン塔、時よりハンプトンコートにも出現の幽霊)の娘、第三の継承者エリザベスが女王として即位します

その後数十年に渡り、君臨、スペイン無敵艦隊を破り、大英帝国の元を作ります。

みなさんよくご存知のエリサベス1世です。

WikiImages / Pixabay

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