スコットランドラグビーと音楽 スコットランドの花にまつわる話

 

スコットランドの花「フラワーズ オブ スコットランド」

スコットランドの曲と言えばバグパイプで演奏される「スコットランドブレイブ」をご存知と思います。
「ターターラ ララララ ターターラ ラ ラララ タータラ ターララ、ターラ ラ ララララ」
というあれです。

マレーフィールドでのテストマッチでは、ゲームの前にキルトス姿のバグパイプの楽隊が出てきて
まずこの「スコットランドブレイブ」を演奏します。

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その後に選手たちが入ってきて、まずアウェイのチームの国歌が演奏され
次に国歌である「フラワーオブスコットランド」が歌われます

このマレーフィールドの「フラワーオブスコットランド」ですが、マレーフィールドでの演奏と歌われ方には特徴があります。
まず、マレーフィールドの観客席の屋根の上(たぶん地上30mはあると思いますに)1人のバグパイパーが立ち、一節を演奏をし始めます。
すると間もなくスタジアム中が大合唱となります。バグパイプの演奏は1番だけで終ります。、
2番は無伴奏のアカペラだけで会場全体で歌われます。これがお約束になっています。

また 途中で掛け声が入るのもお約束です。

 

さあフラワーズオブスコットランドの歌詞を覚えよう

歌詞はこうです

O Flower of Scotland,
When will we see your like again
That fought and died for
Your wee bit hill and glen.
And stood against him,
Proud Edward's army,
And sent him homeward
Tae think again.

The hills are bare now,
And autumn leaves
lie thick and still
O'er land that is lost now,
Which those so dearly held
That stood against him,
Proud Edward's army
And sent him homeward
Tae think again. 

 

この中の 1番と2番のアゲインストヒムの後に「ホイ」とも「オイ」ともいうような掛け声が掛かります。
2019年W杯ではスコットランドは日本と同組で最大のライバルですのでノーサイド後仲良くなれるかちょっと心配、勝っても負けても、パブで一緒に歌えはスコットランド応援団とのサイドはなくなり友達になれるはずです。

 

エドワード2世そのあまりにも悲惨な末路

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この歌は1314年のイングランド軍との「バノックバーンの戦い」でのロバートザブルースの勝利をたたえるものです。
ロバートザブルースはウイリアムウォレスと並んで、スコットランドでは最大の英雄としてたたえられています。
この内容は、後で映画「ブレイブハード」をご覧いただければと思います。

誌の中にでてくる、エドワードの軍とは当時のイングランド国王 エドワード2世の軍のことです、
戦いに負けて逃げかえる様が唄われています。

そのエドワード2世という王様ですが、スコットランド軍に負けて逃げ帰っただけでなく、
イングランドではとても人気の無い王様の一人です。
初代プリンスオブウェールズとして期待されていましたが、男色趣味で政治や戦争が苦手でした。
王妃イザベラにも裏切られ、いいようにあつかわれ、長らく地方の古城に幽閉されます。
最後はなんと死因が判らないように熱い火カキ棒を肛門に入れられて殺害されました。刺客を差し向けたのもその王妃イザベラだとされています
ただし、その事実を隠すべく葬式は国をあげ盛大に行われました。

このエドワード2世の墓は、ハリーポッターの撮影もされた、英国のグロスター大聖堂に残っています。

グロスターといえば、そう、2015年のW杯で南ア戦のあと中三日で日本とスコッドランドの一戦が行われたあの地です。
(今年の11月には日本とロシアのテストマッチも組まれています)
当時のスコットランドのキャプテン、レイドローは 当時このグロスターのクラブでプレイしておりました。

 

「フラワーズオブスコットランド」はラグビーが国歌にした

この歌は実は古い歌ではなく1967年に3人組のフォークグループ、コリーズによって発表されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

作詞作曲はメンバーの一人ロイウイリアムソンです。メンバーはその後、そのロイウイリアムソンとのもう一人のロニーブラウンの2人組になりましたが、1990年ロイウイリアムソンの死去によって活動も終了しています。このロイウイリアムソンは若い子頃はグラスゴーウォリアーズのラグビー選手でした、

この歌がなぜスコットランドの国歌になったかというと
1974年英国代表のライオンズの南アフリカ遠征の際にスコットランドから選出された選手より歌い始められ、これが国営放送のTVで取り上げらて大人気になります。

1990年のファイブネーションでのイングランド戦で使い始めたわれます。翌年の私の観戦した1991のW杯ではマレーフィールドで高らかに歌われました(私も一緒に歌いました)、1997年にスコットランドラグビー協会は1997年に正式にこの曲をゲーム前に演奏すると決めています、2006年の国民の人気投票では2位の「スコットランドブレイブ」に2倍の差をつけて、断とつ、もう今は色々な場で国歌として使われています。

 

スコットランドを救った「アザミの花の伝説」とは

因みに「スコットランドの花」とは、スコットランドのラグビージャージの胸のエンブレムのアザミのことです。

何故アザミがスコットランドの花になったかといえば、バノックバーンの戦いをさかのぼること50年1263年の「ラーグスの戦い」の伝説から来ています。

その伝説はこうです

当時のスコットランドの悩みは北方から侵略してきた、バイキング(デンマークのホーコン)でした。
バイキングはとても勇猛で強力で、スコットランド軍は敗戦敗走が続きます。

夜の闇にまぎれ、ひそかに最後の総攻撃をかけようとしたバイキングの軍でしたが
斥候の一人がラーグスの森の中でアザミの花を踏みつけ、とげが足にささり大声をあげてしまいます。
これを警戒していたスコットランド軍が聞きつけ、夜襲を見破ります、
スコットランド王アレクサンダー3世はそしてバイキング軍に大勝利したというものです。

スコットランドを救った花として「アザミの花」がスコットランドの花になったのです。

 

秩父宮、エジンバラ、グロスター、そして横浜

1991年のW杯での準決勝 対イングランド戦、マレーフィールドで高らかに誇らしげに歌われますが、

さて、その2年前、宿沢ジャパンは秩父宮でそのスコットランドに歴史的勝利をします。
このときは日本協会は「フラワーオブスコットランド」ではなく、イングランド国歌「ゴッドセイブザクイーン」を流しました。これが、スコットランドの士気をさげたという説があります。これは誤解で、前記の様にまだ正式には決まっていなっかたのが正解です。しかし、もし「フラワーズオブスコットランド」が流れていたなら、勝敗は逆だったかもしれません。
当時のスコットランドは主力をライオンズにととられえておりスコットランドでは今でもこれを正式なテストマッチとは認めていません。
次戦は91年W杯のマレーフィールドで再戦でしたが、今度はジャパンはスコア的には完敗でした。当時のスコットランドは、ヘイスティング、ホワイトシャークなど最強メンバーです。
今のスコットランド代表のSOは、そのヘイスティングの息子アダムヘイスティング(現在CAP3)なのです。

先回のワールドカップでの南ア戦中三日のスコットランド戦はみなさん記憶の通り。

いろいろな逸話や歴史の詰まった「フラワーオブスコットランド」です。
スコットランドとJAPANとの関係もその後も新しい伝説が積み重なっています。

さあ、2019年10月13日 横浜でのJAPANとのラウンドロビン最終戦が楽しみです
新たな伝説は歴史にきざまれるのでしょうか?

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