『百年の孤独』を読む その2 正しい良い読み方とは(ネタバレあり)
正しい読み方とはなにか
結論から言う。
エンターテイメントとして次々に起こる突拍子のない出来事にツッコミを入れながら読むのが正しい読み方だ。
寓意に満ちていそうで、読み様によっては様々に読めるのだが、ここから教訓や人生の学びを得ようとするのは間違っている。
たとえば、何度も同じ名前をまたつけてしまったり、その名前のとおりの性格に成長したりするのはまだしも、タブーの近親相姦に走りそうになったり、兄弟で同じ女に子をはらませたり、世代が変わっても、同じことが繰り返される。突如現れる17人の息子たちなどある。それらに「なんじゃそれは。またやってもーた」などツッコミをいれることだ。
ツッコミをいいれるところといえば、「超常現象」である。何度も生き返る謎のジプシーのメルキアデス。空飛ぶ絨毯、物が動いたり無くなったりするのは普通であるが、黄色の花びらが街中に降り注ぐとか、空中浮遊とか、不眠症と健忘症伝染病がはやるとか、4年11ヶ月と2日雨が降り続くとか、シーツと一緒に天にのぼってしまうとか、自殺の血が村を流れて実家まで続くとか、黄色い蛾が集まる青年とか、それららは創造の域をはるかに超えている。いったりどこから思いつくのか
そこで面白いのは、そんな超常現象には登場人物のだれも驚かないことである。そうなると読者のほうも驚かなくなる、
一方、文明社会からも閉ざされた村に、文明が次から次へともたらされる。
最初はジプシーがもたらした、磁石や望遠鏡、錬金術というようなものだったが。その後宗教がもたらされ、国の統治機構が持ち込まれ、思想対立からの戦争がもたらされ、フランス式の「てれんてくだの技を駆使する娼館」がもたらされる。鉄道がもたらされ、アメリカ資本がもたらされ、労働争議がもらされる。ゴシック的な教条主義も持ち込まれる。最新の婦人科の医療器具なども持ち込まれる。
超常現象にはだれも驚かないブレンディア家の人たちだが、それらにどう反応するのかが面白い。中には異常にのめり込んで気が狂れてしまう者がいる。
初代のホセアルカディアは、新しい「科学技術」にのめりこみ気が触れる。二代目のアウレリャのは「革命」に取り憑かれ何度の危機を何故か乗り切る。4代目は「労働争議」にのめり込む。7代目の「羊皮紙の解読」にのめり込む。それによって起こる悲喜劇はリアルであり、救いようがない。列挙すれば、狂気、自己崩壊、自殺、暗殺、集団虐殺、拉致と監禁、そしてとどめには唯一のタブーだった近親相姦。
宗教や統治機構からはアナーキーである。だからなのか。かれらには規範というものがない。