名曲紹介 「さらばシベリア鉄道」の謎

1、きっかけ

この前にとても変な夢(それはなぜか大滝詠一の葬式の夢でした)を見てしまい目が覚めました。そしたら、目が覚めた時にラジオで太田裕美のこの曲のイントロが流れていたのでした。確認したら真夜中の3時ごろでした。しばらく寝ぼけていて状況が把握できませんでしたが、徐々に思い出したのです。クリスマスの子供たちの景品にLEGOでトナカイを作っていて、そのまま机で寝落ちしてしまっていただってことを、、、。

この曲は太田裕美のバージョンもですが、夢に出て来た大滝詠一のロンバケでのセルフコピーもよく聞いたものです。

「そうだトナカイの目をどうしようか考えていたんだ。」「この曲には歌詞にトナカイが出ていて確か「哀しい瞳」だったな」それからは急に眠気が覚め、冷静な気持ちで、聞き入ってしまいました。そしてその後もアップルミュージックで歌詞を見ながら何度も聞き直すことになりました。

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久々に聞いてみると松本隆のこの歌詞には謎が多いのです。哲学的とも言えるような、格言とも言える様な言葉の連続です。

曲調がロシア民謡みたいで、途中にかっこいい転調があって、そちらの方ばかりに気をとられていて軽く聞き逃していました。というよりも私は歌詞も空で歌えるほど覚えているのですが、音として覚えているだけで、意味として考えたことはなかったのです。

間違えて覚えているところも多々ありました。

たとえば、恥ずかしながら「キミハキンシマナザシヲウケトレナイ」は、「君は禁止」だとして(ダメだという目配せを分かってもらえていないんだ)と思っていたし(正解は君は近視)。「12月の旅人よ」のところは勝手に、「中二ガチの恋人よ」のように完全に間違えてし記憶していました(嘘です。当時は中二病という言葉はありません。12月だったかもしれません。途中から記憶が中二にすり替わっています)。「不意に北の空を追う」も「冬に北の空覆う(渡鳥が北の空を覆う様にたくさん飛んでいる)」だと勘違いしていました。冒頭の「哀しみの裏側」も含めてこの曲の歌詞は、普段の会話では普通は絶対に出てこない唐突な言葉の組み合わせのオンパレードだからなのです。

漠然とした全体のイメージは太田裕美の代表曲「木綿のハンカチーフ(作詞は同じ松本隆)」のように、若くて不器用な恋人同士のビミョウにすれ違う男女の気持ちが交互に歌われているだけだと思っていて、特に深くは考えてはいなかったのです。

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2、タイトルの問題

曲のタイトルは「さらばシベリア鉄道」。僕らの世代では、「ロシア」、「さらば」、などのキーワードから連想されるのは、作家の五木寛之です。五木寛之といえば「青春の門」ですが、デビュー作で映画にもなったのは「さらばモスクワ愚連隊」なのです。五木寛之の小説のイメージは、なんというか甘酸っぱく、ニヒリスティックでメランコリック、少し冷めて乾いているものなのです。40年ほど前にはその様なイメージしかなかったと思います。でも、今のZ世代なら「さらば青春の光」なんていうお笑いコンビのイメージになってしまうのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

改めて曲のタイトルを考えてみると、まずそのタイトルからして謎です。「さらば」の意味がわかりません。松本隆もロシア文学つながりの五木寛之のイメージで「さらば」を採用したに違いないとは想像できます。普通に考えれば「さらば」の意味は「おさらば」、「バイバイ」、「さようなら」です。しかし、そうなると「シベリヤ鉄道におさらばを」という意味になり、歌詞の内容とは違って来ます。だって主人公の恋人の女性(?)はまだシベリア鉄道に乗っていて(=シベリア鉄道と彼女は同一視されています)男性からの目線で「さらばシベリア鉄道」としてしまうと、それは恋人への決別のタイトルになり、「いついつまでも待っている」という言葉とは裏腹になってしまいます。逆に女性側の発言で「さらばシベリア鉄道」なのでしょうか、もうシベリア鉄道を降りてしまい、「哀しい瞳をしたトナカイ」のいる極寒の氷原に足を踏み出してしまっているのでしょうか?

 

3、シベリア鉄道はどっち行きなのか

また、主人公の居場所=この男女が生活していた場所の設定や、シベリア鉄道がどちらへ向かうのかも気になります。

仮にそこが日本であると考えると、シベリア鉄道をウラジオストックからモスクワに向かうルートになります。目的地はその先のレニングラード(今はサントペテルブルグ)なのでしょうか?実は当時は冷戦下で軍事基地であるウラジオストックには日本人が足を踏み入れることはできませんでした。ウラジオストックまでいくとしてもそこまで日本から線路がつながっているわけでもなく、船かプロペラ機でいかなければなりません。船は12月は港が凍っていて無理です。西ゆきのシベリア鉄道の終点はモスクワであって未知の綱領とした氷原とは食い違います。

そうなると一緒に暮らしていた場所は、冬のリビエア(作詞:松本隆)の南仏か北イタリアのどこかということだと思われます。今のポーランドやウクライナ(当時はウクライナもソビエト連邦)を通り抜けてモスクワから東のツンドラの氷原へ向けてのシベリア鉄道に乗ったと考えるのが正しいと思います。

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4、1番の歌詞について

冒頭の「哀しみの裏側」から始まる1行は相当なインパクトがあります。一体哀しみの裏側には何があるのでしょう。またこの言葉は誰の言葉なのでしょうか。

普通に考えると1番は全てシベリア鉄道に乗っている女性からの手紙の文面に思えますが、そうなるとこの最初の1行だけがどうしても浮いて来ます。最初の1行は手紙を受け取った男性がその文面(物理的には裏表のある紙)の中の悲しみを受け取って、その悲しみの裏側の気持ちに思いを馳せているとも考えます。しかし、ここは「何があるの?」という女性言葉でうたわれますのでそれも疑問です。逆で手紙を受け取ったのが女性で鉄道に乗っているのが男性の方なのでしょうか?太田裕美があの声で歌い始めてしまうと混乱します。

全てが手紙の内容でなくて、手紙が書かれている状況の描写や、自問自答する独白として捉えるべきなのでしょう。

「人は誰でも心に冬を隠している」ですが、ここも哲学的です。

「心に闇を持っている」なら聞いた事がありますが、ここでは心の冬です。冬の意味は冷淡な部分とか冷徹な部分とかなのですが、誰もが隠しているなんてそんな事はないと私は思います。この女性は、騙されているのか、誤解しているのか、一人で思い込んでしまっているのかしか考えられません。

いずれにせよ、手紙を書いている当人の気持ちが気になって仕方ありません。悲しみに満ちている文面なのでしょうけど、相当にきつい表現です。ただし、手紙を書くということは飛び出した時よりも少しは落ち着いて、しかもなんらかの後悔や未練も感じ始めているのに違いありません。全く切れてしまっていては手紙なんて書くわけがありません。

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5、2番の歌詞について

2番では手紙を受け取った男性(女性?)の反応が描写されます。急に恋人がいなくなって混乱していたところに、当の本人から手紙が来て、しかもすでに遠くのロシアの郵政機関の管轄内にまで行ってしまっている、という事実に、驚き、さらに混乱し、責めるに責められずに戸惑ってしまい、言葉も出ないという状況です。そんな時は人はふと上を向いてしまうものです。「不意に北の空を追う」の追うは目線で追うの意味でしょう。(まさか本当に自ら飛行機で追いかけてではないと思います。)不意に窓から空を見上げると、北に向かう旅人である渡り鳥が見えて、その渡鳥に「いつまで待っているから帰って来てほしい」というメッセージを彼女に伝えてほしいと願っています。

いや、ちょ、ちょっと待ってください。

渡り鳥っていうのは12月ごろは北から南に渡ってくるものですよね。今度北に向かうのは春先です。12月に北に向かう渡鳥なんていないはずです。そうなると12月の旅人とは恋人本人の事とも考れられます。恋人に向かって呼びかけているのでしょう。私が「旅人よ」を「恋人よ」と勘違いしたのもそんなこともあったかもしれません。ここでは12月の旅人とは、鳥だけでなく一般に12月に旅する人たちや鳥や風など動くもの全てが対象になっているそういう願いだとも解釈できます。

ここで、気になるのは自分自身は自ら探しに行こうとする選択がないことです。何かその場を離れられ理由でもあるのでしょうか。広大なロシアの氷原思い浮かべ、探すのは困難と諦めたのでしょうか?それとも文面から帰ってくる可能性を読み取っていて、待ってることに決めたのでしょうか?急に帰って来られて、すれ違いになるという事の危険性を冷静に判断したのでしょうか?

手紙の文面は哀しみに溢れ、きつい表現でも、その「哀しみの裏側」にはすぐに帰ってくる様な可能性を読み取れた、と思いたいです。

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6、4番の歌詞について

一緒に付き合っていた頃の状況が歌われます。

2人は近視の女性と優柔不断でシャイな男性のカップルです。歌詞だけだとここだけがラブコメの様なプロットになっていて、微笑ましくホッとはします。でも曲の方は転調で半音上がったがったことで、より緊迫感がでて来ていてもたってもいられなくなってきています。

そんなでも突然「近視」なんて歌詞が出て来るのは変です。こんな歌詞は聞いたことがありません。松本隆恐るべしです。私は前に書いた様に、「君は禁止の眼差しを受け取れない」と思っていたので、相方はこれまでに何度もロシアに行っていて危険な目に遭っていて、もうロシアに行くのは禁止です。という意味だと思いこんでいたのです。それでも相当に変な歌詞ですが、今回「近視」だと知って、さらにびっくりすると同時に、そうなのかと妙に納得しました。ちょっとユーモラスなすれ違いですが、これは相当な悲劇です。

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7、懐疑論の怖さ

人は「疑うことを覚えて生きて行く」

デカルトを始め多くの哲学者は懐疑論者です。なんでも「本当なのか」と疑ってかかります。自分の手を見て、「本当にこれが自分の手なのか」と突き詰めて考え始めます。「今の風景は現実なのか、現実だと思っている夢なのか」とどうして判断できるのでしょう。水槽の中に脳だけ浮かんでいて、電気信号を送られているだけかもしれません。全て「胡蝶の夢」なのかもしれません。疑い始めたらキリがありません。

日本の若き哲学者古田徹也氏はその最新の書「このゲームには終わりがない」でアメリカの哲学者のスタンリーカヴェルの下記の様な言葉を引用しています。

「他者の心についての懐疑論は懐疑論ではなく悲劇である」

本当のことを読み取るには実際に会って目と目を合わせて、言葉だけでなく全体からくるオーラを読み取って安心して信じられるものです。「鎌倉殿の13人」の山本耕史の三浦義村の様に、言葉巧みな人にも嘘のときはつい襟を触ってしまうという癖があるのです。今回は手紙から「悲しみの裏側」の真意を読み取らねばならないのです。肉筆の手紙からなら筆跡や筆圧などから真意も少しは読み取れるでしょう。

しかし、今の様なLINEや電子メールなどのやりとりだけではそれもできません。誤解を生みさらには炎上してしまうのです。最近の詐欺も多いのはこのためです。陰謀論やフェイクニュースなども出ています。知らず知らずに「疑うことを覚えて生きて行くこと」を覚えてしまっています。不意にでも愛の意味を知ることになればそれはまだいい方で、愛の意味を知らずに疑いながら一生を終えてしまう人がほとんどなのではないかと思ってしまいます。悲劇です。

一方シャイで言葉にできず、愛の表現を眼差しに頼って安心してしまっていた方にも問題があります。懐疑論者もシャイで無口な人も、ある日突然に失ってしまった後に「愛というものの大切さ」を知ることになり後悔するのです、

「愛の言葉」もたまには口に出せる様にしておかなければなりません。

8、タイトルの問題再び

前にも書いた様に、「哀しみの裏側」にあるものが、未練やもう帰りたいという気持ちであることを祈ります。そしてものカップルがまた元に戻る様に願いたいです。

タイトルの「さらばシベリア鉄道」とは、彼女も手紙を書くことで、その自分の悲しみの裏側にある本心に気づき、シベリア鉄道におさらばをして彼氏の元に帰っていくことだと考えたいと思います。男性の目線からももうシベリア鉄道なんてこりごりでおさらばしたいとうことだと思います。

でもよりを戻したとして、思い込みが激しく近眼で衝動的で行動力のある彼女と、シャイで優柔不断で、不精な彼という不器用なカップルが長続きするのかどうかは難しいかもしれません。いや結構あっているのかも。

9、おまけ

なになに、結局LEGOのトナカイの目はどうなったのかって?

結局は全く哀しみのかけらもないこんな目になってしました。

 

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