無観客の花園 聞こえる音

今年の花園は無観客で行われている。

ガランドーの観客席の様に、見える景色も違うが、聞こえてくるく音の景色も違っている。

応援の声が無いの当然だ。プレーに沸く声、ピンチの際の悲鳴にも聞こえる声がない。そして常連校のピッチに立てない部員たちの伝統的とも言える独特のメガホンを塔しての応援の声も無い。

例えば
「〇〇のトライが見たーい見たーい見たーい」
変な抑揚をつけた「ティーアールワイ、TRY」✖️3、「ティ、あーーーーーるワイ」 などが聞こえてこない。

代わりに聞こえてくるのは、生駒下ろしの風の音。隣のグランドのアナウンスの音。澄んだ空気に高らかに響くホイッスルの音。フリー の声もよく聞こえる。

そしてもちろんプレーの際の音も聞こえる。例えばボールを蹴る音、芝のピッチをスパイクが蹴って走り去る音、そして選手同士が体を張ってぶつかり合う時にグランド全体に響き渡る「バシッつ」という鈍くて大きい音(これは日常生活では決して耳にしない音である)。

そして一番興味深いのが、選手たちの声である。スペースを見つけたタッチ際左ウィングのボールを呼ぶ声、ピンチの時に意識を確認し合う声、トライを取られたあとにチームの士気を鼓舞するキャプテンの声。トライやタックル、ジャッカル など自分として最高のプレーができたときに発せられる、腹の底から思わず出てくる「雄叫び」。

さらには、ゲームが終わった後には、敗戦したチームの部員たちの中、止まらない涙を拭おうともせずに、しゃくり上げる嗚咽が響く。そしてそれを慰める部員たちの声にもなっていない声、来年に託す3年生の声、うなずく下級生の声。冷静な監督さんの声。それらがみんな聞こえてくる。

しかし、時には、聞きたく無い声も聞こえてくる。それは試合中に監督やコーチがピッチ上の選手を罵倒、愚弄する声である。一部にその様な学校、監督コーチがいることは残念である。それは、まともな人間が真っ当な人間に向かって発せられる言葉とは思えない。ピッチの中は若者たちの特権であり、全てのプレーの選択はピッチ上のプレーヤーに任せるべきである。結果が良くなくても良い、セオリー通りでなくても良い。それで結果勝利を逃しても仕方ないではないか。ピッチ上で判断や選択したプレーには尊重すべきで、間違いはない。

社会も変わり、世の中も変わり、会社や、役所、学校などあらゆる組織が変わってきている。もちろんラグビーも変化し、変容している。旧体依然とした硬直した会社組織に未来がないのと同様に、旧体依然とした頭ごなしの指導に頼っている限り、ラグビーの進歩はない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です