フランス史上の恐るべき女子 第一回 イザボー・ド・バヴィエール

2023年W杯でフランス各地を訪れる際に、歴史を知っていればさらに訪問の価値も意義も深まると思います。

フランスの歴史の中には、時代を左右させた様々な女性の姿があります。もちろん誰も知っていて有名なのはマリーアントワンネットやジャンヌダルクなのでしょう。しかしそれ以外にも、数奇な運命の元、私欲と陰謀が交錯し、裏切りと背徳に染まった女性がたくさんいます。そして彼女たちが結果的に歴史を動かしています。それが大抵はおぞましいいほどの血の匂いがして生臭いものなのです。その中には、単なる噂に過ぎないものや、いつの間にか闇に葬られて史実としては認められていないこともたくさんあります。このシリーズではそんな話を掘り起こしてみたいと思います。

 

はじめに

第一回は、イザボードバイエール、英語読みを日本語化すれば、バイエルンのイザベル。100年戦争の時代にバイエルンから嫁入りしたシャルル6世の妻で、王太子シャルル7世の母になります。フランスではイザボーと蔑んで呼ばれるようになっています。

なぜそうなのでしょうか? シャルル6世は、精神異常をきたした王です。その妃であるイザベルは、その王の病状を尻目に、王の弟のルイのオルレアン派(のちのアルマニャック派)と、シャルル6世の叔父にあたるフィリップのブルゴーニュ派との争いの中で、いわば昭和のTVの昼メロの主人公のように、右に左によろめいて、結果的にフランスを危機のどん底に引きずり込んでしまうことになるのです。

「淫乱王妃イザボー」と「女によって戦争が始められ、乙女によって戦争が終わった」とかも言われています。乙女とはみなさんご存知のジャンヌダルクで、女とはこのイザボーのことです。

すごい話1 夫シャルル6世の病状。

最初に発狂が表に出たのは、1392年の暑い8月のことだった。王の隊列がルマン(今ではカーレースで有名)を差し掛かった時に、林から突然得体の知れない老人があわわれ、予言をしてつきまとうということが起こる。その予言とは「高貴なる王よ、これ以上は進んではいけない。この中には裏切り者がいる」というものであった。それまでも精神が不安定だったシャルル6世はさらにナイーブになってしまう。これはまだまだ事件の前触れがある。そしてその事件が起こる、従者の剣が滑って別の従者の兜にあたり大きな音を立てたのだ。この音がきっかけで、シャルル6世は突然異常行動をする。突然剣を抜き、「裏切り者を殺す」とわめいて襲いかかった。周りの誰彼となく切りつけ、その中には王弟のルイも殺されそうになって危うく何を免れる。この時はなんとか数人に取り押さえられて、出陣は中止になって王室に戻ることになった。

謎を秘めた事件である、突然現れた老人は何者だったのか。誰かの差し金ではないのか?さらにシャルル6世の狂気は演技で、ルイを殺す意思を本当は持っていたのではないか、など噂は絶えない。

その後もシャルルの病状は悪化する。1393年の発作では、自分の名前がわからなくなる。さらには妻のイザボーがわからなくなり、「この者の退室を命ずる。」と叫んだりする。半年ほど意識がなくなったりするが、正常時に戻った時にはまともな発言や判断も行うことできるなどということが繰り返される。

 

すごい話その2 燃える人の舞踏会事件

これはシャルル6世が正常な状態での事件であるとされる。身内の結婚式での出来事である。宴も盛り上がり、最高潮になるとお待ちかねの仮装劇が始まる。音楽に合わせて、全身毛むくじゃらの野蛮人に扮した者が数名登場。その中の一人はシャルル6世だった。しかしこの毛むくじゃらに近くの松明の火がどんどん燃え移ってしまう。すわ、舞踏会が大パニックになる。逃げ待とう貴婦人達、全身大やけどでのたうちまわる野蛮人。会場のサンポール館全体で大混乱。この時、シャルルは何とか王妃イザボーの手によって助けられる。この野蛮人のイベントの企画は王弟ルイであったとされる、また確かに近くで松明を持っていたのも王弟ルイであった。しかし誰もお咎めなしで事故として処理される。果たしてルイの仕業なのか、これも謎を秘めた事件である。

すごい話その3 強欲で日和見なイザボー

なぜそんな疑問が出てくるかというと、この時すでに王弟ルイと王妃イザボーはどっぷりとした男女の仲であったということである。ドイツの血を引くイザボーは、美人というほどではないが、小柄ながら肉付きよくグラマー(いわゆるトランジスタグラマー)で、セックスアピールも強く、男性ならばついつい口説きたくないような女性だった。発狂したシャルルに代わり摂政の位置にあったイザボーは、所詮ドイツからの外国人でルイを頼って統治を行わざるを得なかったという背景もある。

歴史上ではシャルル6世との間に12人の子女をもうけたことになっている。一年のうち数ヶ月も意識不明の状態にあったシャルルとの間に、イザボーが12名もの子女を設けることが果たして可能だとは誰も信じられない。

イザボーは自分の周りの費用の管理を自らの息のかかったものだけで取り仕切り、高級なワインや、ドレス、宝飾品、さらには舞踏会の開催など、自在に国庫から金を使いまくったということも資料に残っている

 

すごい話その4 王弟ルイ暗殺事件勃発

王弟ルイと叔父フィリップ(ブルゴーニュ公)はすでに犬猿の仲、様々な利害(イタリア問題、教皇庁問題、神聖ローマ皇帝問題、フランドル問題)が対立して一触即発の状況にあった。それぞれ軍隊を持って片方がちょっとでも失敗をすれば、すぐにパリに武力で入城して力で政権が入れ替わるということが何度も繰り返えされる。さらに力を追い出された一方は敵国イングランドに助けを求めるという、これまた節操のない政権争いになっており。真ん中に立たされたのはイザボーで、優柔不断でこっちへフラフラあっちへフラフラと行き来する。その判断の基準が贅沢三昧の生活をどちらに着けば少しでも長く続けられるかという、なんとも身勝手な選択。

両陣営は何度も仲直りの儀式が開かれるが、全部形だけで、すぐにその約束はやぶられる。

そんな何度か目の仲直でパリにいた王弟ルイが、ついに叔父シャルルの後を継いだジャンの一派に白昼のパリで暗殺されるという事件が起こる。王弟ルイはイザボーが12人目の子供を出産後すぐに亡くしたばかりで、その見舞いに行った帰りだった。(この12人目はルイの子であることは間違いない)。

ルイは脳天をマサカリで打ち破られ、脳みそが辺りに飛び散ったということである

この時ブルゴーニュ派は確かにパリで人気があった。一度はパリを去ることになったブルゴーニュ派は、この暗殺事件を最初は認めなかったが、うまい演説のプロパガンダでパリ市民を言い含め、逆にもっと人気が出てしまう。このプルゴーニュ派の一連の動きを妨害しようとした、ルイの嫁のビスコンティーも突然の病死となる(恐らくはこれもブルゴーニュ派による毒殺)。もう不倫相手の王弟ルイがいなくなり頼る先のないイザボーは、今度ははっきりとブルゴーニュ派になびくことになる。皇位継承者筆頭の長男ルイの摂政として権力を持つとになる。

 

すごい話 その5 王位継承上位者の謎の死亡

アルマニャック派は、シャルル6世の王太子ルイをイザボーから引き離し、囲い込み、イザボーの排除を画策する。

そんな中、その王太子ルイを始め、王継承者が次々になくなるという事件が発生する。筆頭の王太子ルイが15年に18歳で病死、17年には弟のとジャンも18歳で死亡。そして、王位継承者はついに末っ子のシャルル一人になる。シャルルはアルマニック派によって匿われており、パリを離れて生活している。(これは偶然でしょうか。この事件にはもう一人の黒幕女性ヨランドタラゴンの影がちらつきます。話は第次回で書したいと思います。)

こうなるとイザボーとブルゴーニュ派は反撃に出る。イザボーは自らシャルルを私生児であると公言して自らの子の名誉も貶める。このニュースはフランス全土に広がり信じられてしまいます(DNA鑑定のない15世紀では、そんなことイザボー本人にしか分かるはずがありません。というよりも誰もが疑問に思っていたことを、本人が自らカミングアウトしたのですから)

これで、シャルルとアルマニック派は完全に打ちのめされ、ブルージュに落ち逃げします。(王太子シャルルも「ブルージュの王」などを揶揄されるようになります。)

 

すごい話その6 モントロー事件 アルマニャックの復讐

 

これも何度かの目の和解の儀式を行う予定だった出来事。モントローで事件が起こる。(モントローズは70年代米国のロックバンドですが当然ながら全く関係ありません)。アルマニャック派は和解のためとして、ブルゴーニュ派の首脳をモントローに呼び寄せRる。そして橋の上に差し掛かったところに襲いかかり全員を切り捨てる。ジャンに対しては、やはり凶器にマサカリを使い、脳天をぶち破る。ほぼ10年後度前のパリの路上と同じように、ジャンの脳みそが周囲に飛び散ったということだ。

すごい話その7 フランスをイングランド化させるトロワ条約の締結

こうなると溝の修復は不可能。イザボーとブルゴーニュ派は、イングランドとの和議に走ります。病状のひどい前後不覚のシャルル6世を引っ張り出し出して、トロワ条約というなんとも不条理な条約にサインさせてしまう。
その内容はシャルル6世とイザボーは娘カトリーヌ(シャルル王太子の姉)とイングランドのヘンリー5世を結婚させフランスを王位をイングランドに渡すという前代未聞の内容。またロワール川の以北をイングランドに割譲するという完全にイングランドよりの内容。

しかし、これも偶然なのか、仕組まれたのか、調印した2人の王、イングランドのヘンリー5世とフランスのシャルル6世が調印直後2年の間に相次いで、急死することになる。ヘンリーの死因は赤痢。シャルル6世の死因はわかりません(多分病状の悪化)。イングランド王ヘンリーは、カトリーヌとの仲には一粒種の王子を残す(のちのヘンリー6世)。

こうして、トロワ条約は有効なのか無効なのか、答えは風の中となります。

その後

 

そしてイングランドはその条約を盾に、優勢を極めフランスの中暴れまくり、徐々に領地を拡大していきます。

こんな中に登場するのが救世主ジャンヌダルクなのですが、この話についてもまたのちこどにします。

この話の主人公イサボードバヴィエールは、「ルーアンの解放」、「ランスの戴冠」、「ジャンヌの処刑」、「ヘンリーのパリでの戴冠」まで生きて45歳で亡くなることになります。晩年までイザボーの宮殿では、そんな時代の大変革の中、ノーテンキに宮殿で無礼講の乱痴気騒ぎを繰り返していたという話でありました。

 

 

 

 

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