この度、たまたまナポレオンのフィギュアが手に入りましたので、この機会にナポレオンの生涯について数回に分けて書きたいと思います。
1、コルシカ島
コルシカ島はジェノバの領地でしたが、何度となく独立の機運が高まっています。コルシカ島の田舎貴族ボナパルト家も独立運動に参加していました。しかし、ジェノバは不景気で資金がなく、コルシカをフランスブルボン家に売り渡します。
ナポレオンが生まれたときにはすでにフランス領でした。独立を考えていたのに今度はフランスです。
ナポレオンが10歳の時に両親に告げられます。
「ナポレオン、おんめえ、ちょくらパリにさ行ってくんろ。そこでフランスのこと勉強してきてくんろ。」
「わかったよかーちゃん、なんだかわかんねーけどオレパリってところに行く。」
2、パリの学校
「ヘーイ田舎者!」「なんか喋ってみろよ」「背が低いな!」
田舎から出てきたナポレオンは、陸軍士官学校に入学しますが、背が低い上にフランス語もままならず、同級生にばかにされます。
そんな時ナポレオンは自室に篭って、一人ギリシャやローマの歴史の本を読んで気を紛らわすしかありませんでした。本の中の英雄たちに憧れます。愛読書はブルタコスの英雄伝でした。
「カッキー カエサル最高!!、オレもあんなになりたいな、そうすれば馬鹿にされないもんな」
この経験が少年ねぽレオンに「カッコ付けたい」、「皇帝になれたらな」というたわいのない夢を抱かせたのでした。それが20年後に現実になるなんで本人も夢にも思っていませんでした。
学校の方はほとんどついていけませんでしたが、数学だけはいつも満点でした。フランス人は苦手な数字も、イタリア人はお金の計算が早いのです。その上図形も得意でした。
紙とペン、半分は頭の中で「カラカラカッキーン」ですぐ計算の答えが出ます。
その数学のおかげで学校をなんとか卒業しフランス軍に入ります。
3、トゥーロン
ナポレオンは学校を卒業しフランス軍の砲兵隊に入隊します。時代はフランス革命の真っ最中です。しかし、もともとイタリア人のナポレオンはフランス革命がなんでなんだか全く理解できていません。
ジャコバン政権の中、反革命勢力の王党派はイングランドの支援を受け南フランス、トゥーロンの港に入港します。そこで王党派鎮圧のためにナポレオンの砲兵隊が派遣されます。
(ちなみにRCトゥーロンはラグビーの競合チームです。五郎丸が一時在籍していたことでも有名です。現在は、南ア代表のエツベス、アルゼンチンのイサ、イタリアのパリッセも在籍、フランス代表ではフランカーのオリボン選手なども在籍しています。)
上官からの命令 「大砲用意」
ここでナポレオンの数学の天才ぶりが発揮されます。
(距離はこうしてこうして、こちらは丘の上だから、風向きはこうだな、そうすると、、、、)
「カラカラカッキーン、角度は〇〇度 これで打てば当たる確率が〇〇%」
結果は百発百中(百発も打っていないけど)。王党派の船は壊滅します。
「お前すげーな、ジャコバン派に入らないか」
と声をかけられます。声をかけたのはポールバラスです。
「なんだか知んねーけど ジャコバン派ってかっこいーかも」
ということで、ジャコバン派に入ります。
4、パリ牢獄
ところが、ロベスピエールのジャコバンは、恐怖政治が行き過ぎテルミドールのクーデターで政権がら引きずり下ろされ、ロベスピエールやサンジェストなどほぼ全員が捕らえられギロチンにかけられます。
「かっこいいかも」と単純な理由で入党したナポレオンも捕まっています、ギロチンを待つばかりでした。
「かーちゃん、オレもう終わりだー」
「おんめえ、調子にノリすぎだで、死罪もしかたなかんべ」
そこに
「ナポレオンはおらんか、ナポレオン!」呼び出しがきます
「ついに順が回ってきたか、、、」
しかし呼び出したの死刑執行官ではなく政府の要人でした
実は新しい政権 相殺政府は力が弱く、パリでは毎日のように暴動が起こります。パリについに5万人もの王党派が結集します。(バンデミール13日の蜂起)
頭を抱えた政府側の一人がトゥーロンでナポレオンに声をかけたバラスでした
「そうだのトゥーロンのあの若者をよべ、どこにいる」
「今ギロチンを待っています」
「すぐに呼んでこい」となったわけです。
「大砲用意」
(距離はこうで、風はこうだから、でも建物があるからこうだな)
「カラカラカッキーン でました。これでど真ん中に命中だ」
「でもパリのど真ん中で大砲使っていいんですか?」
「いいからやれ」
「まいいか、やっちゃえ」
(ドッカーン)
5万人の暴動は即鎮圧
ナポレオンはギロチンにかけられる大ピンチから脱出できただけなく、新政権の中で出世します。
(この記事は、史実を基にしてはいますが、創作も含まれています)