フランス史上の恐るべき女子たち 王妃アリエノールダキテーヌ

ワインで有名なボルドーですが、ラグビーファンには2007年の杯カナダ戦です。

この一帯アキテーヌ地方はヘンリー2世のプランタジネット朝の頃、イングランドの一部でした。若くしてこのアキテーヌの領主となり、フランス王王妃、そしてイングランドのヘンリー2世の王妃になったアリエノールの、波乱万丈の生涯を追ってみましょう。(注:エリアノールという表記もありますが英語読みです。同一人物です。)

15歳でフランス王妃に

当時はフランス国王は国王とは名ばかりでパリ周囲の小さな領地しか持っていなかった。それに比べて、アキテーヌ領はフランスで最大の領土であり、ワインの生産も多く、豊かな土地と経済力を誇っていた。

アリエノールの父アキテーヌ公ギョームは、優雅で自由奔放な生活を謳歌する人物であった。しかし15歳になる娘たち(アリエノールとその妹)達もそのような宮廷恋愛遊戯を真似するように育ったのも見て、今度こそ絶対に悔い改めようと決心し、スペイン、サインチアゴ・デ・コンポステラへ巡礼へ向かう。

しかしそれを不幸が襲う。

川の水を飲んだのがきっかけで、重い赤痢になってしまう。サンティアゴ・デ・コンポステラを目の前にぼボルドーに戻ってこざる得なくなってしまうのである。
そして、遺言として、残された心配のタネの(幼い?)アキテーヌの後見人にフランス王ルイ6世を指名した。そしてあっけなく亡くなってしまう。

これを聞いたフランス国王ルイ6世は、(同じように遊びすぎが祟って赤痢の病の床にあったのだが、)文字通り小躍りして喜んだ。実はルイ6世は数年前に長男のフィリップを落馬事故で無くして、次男ルイの嫁を探していたところだった。それよりも目の上のたんこぶだった広大なアキテーヌ領も一緒に手にはいるのだから笑いが止まらない。

早速パリからボルドーに早馬が走る。

あっという間に次男の王太子ルイとアリエノールの婚約が決まり、喪も開けないその年の夏にはすぐにボルドーのサンタンドレ大聖堂で、盛大な結婚式が挙げられた。ボルドー市のお祝いの祝宴は数日間も続く。

しかし悪巧みは決して成就できない。

新居となったポアティエに移っても、ここでも飲めや歌えの第狂乱は続く。最高潮に達しようというそのその真っ只中に、伝令が届く。なんとサンドニ(ラグビーW杯決勝のスタッドフランセがあるところです)で治療を受けていたルイ6世の病状が急変し危篤であるという知らせ。
新郎新婦は宴もそこそこにサンドニに向かうが、もう既に手遅れであった。

こうして、早熟で、おてんばで、わがままで、自由奔放に「お嬢様」として遊び呆けていた15歳のエレアノールは、アキテ-ヌの全財産を相続し、フランス一の大金持となり、そしてすぐに王太子妃、そしてその数日後にはフランス王妃となるのである。

この時の心情をアリエノールにインタビューしてみましよう。
インタビュアー
「波乱万丈な半年でしたが、いかがでしたか?」

アリエノール
「おほほほほ、誰でも運命ってものを持っているものよ、お兄さんあなたにもよ、私のものはちょっと特別だっただけねー。

(るせー、はっきり言ってメーワクなんだよ。もう少しゆっくりワイン飲ませろってんだよ。でもルイってすっごくウブでちょっとは興味あったしー)」

十字軍遠征に参加

エレアノールにとっては、パリは冷たく寒く、退屈な場所であった。ルイも失政が多くなんと頼りなかった。うまくいくわけがなかった。エレアノールにはなんかこう強い刺激が必要に思えた。

その時ちょうど十字軍の呼びかけがあった。勇壮で男らしく、正義感に燃えている、聖地巡礼という名のみたこともない異国の地への冒険旅行。これにはエレアノールは心が躍った。ルイにもそうあって欲しかった。

エレアノールには実はもう一つ内なる思いもあった。
それはまだ少女の頃に憧れていた叔父のレイモンに会えることであった。叔父のレイモンはエレアノールの8歳年上で、今は十字軍植民地アンティオキアの領主となっていた。(もちろんこれはルイには内緒)

そこで内気なルイをそそのかし、自分も一緒に十字軍に参加することにした。

しかし、当時の十字軍の遠征はそんな甘いものではなかった。気軽に物見遊山を決めていたアリエノールは、途中で嵐にあったり、誘拐されたり、這々の体でパリへ逃げ帰る羽目になる。

インタビュアー
「本当に大変な目に遭われたのですね。」

アリエノール
「おほほほほ、ほんの若気のいたりですわね、もうよろしいでしょう。

(うるせー、十字軍なんてもう糞食らえだよ、死にそうにも成ったしー、いいことなんて全くねーよ)」

 

離婚そして電撃再婚

パリでの生活に戻るが、やはり夫婦生活はうまくいくわけがない。それでもアリエノールは第二子を出産する。また女の子であった。離婚話が再燃する。

そんな中、その後のフランスとイングランドの歴史を動かす運命の出会いがあった。

51年シテ島をおとづたノルマンからの一行の中に、若き18歳のヘンリーがいたのである。この時アリエノールは28歳。若くてたくましいヘンリーにアルエノールは一目惚れする。謁見の間アリエノールの熱いまなざしはヘンリーに釘付けであった。当然ヘンリーもそのことを感じ取っていた。果たしてその夜がどうなったかは簡単に想像される。



翌年52年3月には離婚が成立、同年5月にはヘンリーと再婚する。(やることが早い)

インタビュアー
「最初に誘ったのはあなたの方からだったのですよね」

アリエノール
「おほほほほ、そうお思いになってもよろしいですわよ
(ルイなんて男、こっちからも願い下げですよ。本当にもう、お願いしますよ)」

こうして、フランス史上最も巨大な領地となるアンジュー帝国が出来上がる。北はノルマンディから南はピレネー山脈までがその領地である。イングランドでは、王位継承を巡ってまだ戦争中ではあったがそれもすぐに決着する。ヘンリーとアリエノールは正式にイングランド王、王妃としてロンドンで戴冠する。プランタジネット朝の始まりである。

フランス王ルイ7世は地団駄を踏んだ。「よりによってイングランドとくっつくとは」こうやってその後のフランスとイングランドの長い戦争の遠因は作られた。

 

 

反乱を企て幽閉される

ヘンリーとの生活は今度はうまくいった。二人とも気があった。領地を拡大し、それを完全に支配したいところでも利害が一致した。欲張りで策略家で行動派のところも瓜二つ。当然、会話もウィットに富んで刺激的で、その掛け合いは毎日スリリングだった。お互いに対等であり、お互いに尊敬もしていた。騙し騙されの緊張感のあるゲームのような夫婦関係であった。

子供達にも恵まれた。長男ギョームは3歳で亡くなるが、次男ヘンリー、3男リチャード、4男ジェフリー、5男ジョンを始め5男2女をもうける。

しかし、二人の強すぎる支配欲は、領地の支配や度々ぶつかることになる。度々別居と同居を繰り返すことになる。

成長した子供達も強烈な両親の遺伝子を受けついだのか、互いに反目する。その性格もそれぞれ個性的であった。慎重で疑り深い次男若王ヘンリー、勇猛で喧嘩っ早い3男リチャード、クールで我が道を行く4男ジェフリー、そして何をやってもダメな男5男ジョン。

アリエノールは次男ヘンリーをアデル王女と結婚させようとしたが、父ヘンリーがこのアデル王女に手をつけてしまう。さらに次男ヘンリーは養育者で尊敬していたトマスベケットを父ヘンリーが暗殺したのを知り、アリエノールと次男ヘンリーが同盟を結び、ついに夫婦喧嘩は戦争に突入。

ヘンリーは危険人物アリエノールをイングランドのソールズベリー城に幽閉する。この幽閉はその後16年間続く。それでも離婚はせずに関係は続く。幽閉といっても行動が規制されるだけで、実は贅沢三昧な暮らしではあった

インタビュアー
「幽閉の身になってその生活はいかがでしたか」

アリエノール
「おほほほほ。ボルドーからのワインが届くのが遅い時は流石に困りましたわ?
(るせーな。16年間だぞ。分かってんのかよ)」

ロザモンドの毒殺事件

ヘンリー二世はアリエノールの幽閉をいいことに、10代の若い娘ロザモンドに浮気する。「麗しのロザモンド」と言われるほどの絶世の美人である。

彼女をイングランドのウッドストック城(ロックフェス会場ではありません)に住まわせた。この城は周りを難解な迷路で囲われており、誰も簡単に城に近付けないようにしてあった。すでにバレバレなのに、特に45歳となったアリエノールが近づくことがないように、幾重にも防衛線が貼られた。

ところが、数年後このロザモンドが何者かに毒殺されるという事件が起こる。

インタビュワー
『ズバリ聞きます。本当はあなたの差し金でしょう。ロザモンドを毒殺したのは?世間では噂になっていますよ、どうやってあの迷路をくぐり抜けたのですか」

アリエノール
「おほほほほ、何か証拠でもお持ちなのかしら。世間の目なんてどうせそんなものよ。そこは永遠の謎ということにしておきましょう、おほほほほ」
(げ、私が犯人だって。どっからそんな話が出てくるんだよ、ゲロったやつはタダじゃ置かないわよ)」

冬のライオン

ヘンリー2世はできの悪い末っ子のジョンを可愛がる。アリエノールは勇敢な3男リチャードを溺愛する。継承権を持つ次男のヘンリーは面白くない。家族は当然離れ離れになる。

こんな家庭にもクリスマスは訪れる。1183年のクリスマスは久々に別れ別れになった家族がロワール河沿いの美しい城シノン城に集まる。そこには特別ゲストとして、悔しさの中で他界した元夫ルイの息子で若きフランス国王フィリップの姿もあった。

skeeze / Pixabay

この時のシノン城でのやりとりが映画になっている。
「冬のライオン」アカデミー賞も受賞。
(実は史実では、家族が集まったのは前年の82年で場所もノルマンディーであった。フランス国王フィリップの参加もフィクションである)

インタビュアー
「映画「冬のライオン」をご覧になりましたか?キャサリンヘップバーンの迫真の演技はいかがでしたか?」

アリエノール
「おほほほほ、楽しませていただきましたわ。私はともかくリチャードがかっこよくてよろしいでしたわ」
(るせーてんだよ。何百年も経ってから、こんな映画なんか作りやがって)」

 

その後

若王ヘンリーが若死にする。ヘンリーはアキテーヌ領を末弟ジョンに継がせようとする。すると今度は三男リチャードが反乱を起こす。フランスとイングランドの戦争になると、フランス王フィリップはリチャードを仲間に入れる、さらに末弟ジョンもこの連合に加わり、親子戦争の形相となる。
この戦争の中でヘンリー2世は失意の中で亡くなることになる。

後を継いだのがリチャードだが、戦争好きのリチャードは戦争が絶えない。十字軍にも参加する。ところが十字軍で囚われの身になってしまう。
海外遠征が多く留守がちのリチャードに変わり摂政となったのが、16年間の幽閉生活から解放されたアリエノールだった。
リチャード解放には多額の身代金を工面しなければならなかった。そして反目するリチャードとジョンを和解させた。

しかし、リチャードは繰り返しの戦争の中で戦死する。後を継いだのが末弟のジョン。

ジョンは小さな時から無能だと言われ、何をやっても「ダメダメであった。王となった後も、王国の土地をほとんど奪われてしまい、のちに「ジョン失地王」と呼ばれることになる。これ以降ジョンという名は嫌われ、ジョンと言う名の王様はイングランドには出現しなかった。●世という名がつかない王はジョンだけである。
また、ロビンフッドに出てくるダメな王様はこのジョンであり、ダメダメであった上に「マグナカルタ大憲章」を突きつけらてもした。ある意味で民主主義の父なのかもしれない。

アリエノールはこのジョンが王の執政中についに天寿を全うする。82歳であった。1204年、4月1日であった。明日でちょうど816年になる。

遺体は、ロワール川沿いにあるフォントヴロー修道院ののヘンリー2世の横に埋葬された。

Franck_Sabat / Pixabay

 

 

インタビュアー
「人生を振り返っていかがでしたか、波乱万丈でしたね」

アリエノール
「おほほほほ。そうですわね、ボルドー のワインのような味わい深いものだったとでもいうべきかしら。おほほほほ。」

 

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