準々決勝その3 フィジーVSイングランド「ヒールの親玉の覚醒」

すっかりヒール役が身についたイングランドはこの日もヒールぶりをいかんなく発揮した。親玉のファレルが10番、ぎょろ目が怖いイトジェに、何かを企んでいそうなマーカススミスが15番と役者は出揃った。コイツラの前では2mのコートニーロウズさえ、従僕なちょっとやさしいパシリに見える、髪型だけは怖いシンクラーやマーラーは最前線のヤンキーにみえてしまう。

しかし、なんの因果か、あろうことにも笛をふくのが、トラブルメーカーの仏頂面、英語の堪能でないフランス人のマシュレイナルとなった。どうしてイングランドやフィジーの試合になると彼が出てくるのだろう。

世界的大事件となったってしまったパレスチナガザ地区の戦争被害にたいしての黙祷もささげられた。しかしこの場はこの紛争の原因が英国の悪名高き3枚舌外構にあったことなどすっかり忘れ去られている。ノーテンキな「ゴットセーブザキング」と牧歌的で平和な「ゴッドブレスフィジー」が子どもたちの声で歌われる。そしてフィジーの無限ループを表す特別なシンビにもイングランドは不敵な笑いで答え、会場はイングランドやラグビーとは全く関係のない歌詞の歌「スイグロウ」の大合唱で答える。

両チームとも気迫がすごいし、テクニックも素晴らしい。迫力もあり。力がこもる、個性豊かな選手が個性が光る。しかし、両チームとおもわず「やっちまった」というプレーが多くて調子に乗り切れない。

ジョージアに対してはフィジカルだっり、ポルトガルに対してバックスのリターンだったりと、相手に対抗してムキに付き合いたくなってしまうフィジー。そんな弱点を知ってか知らずか、底意地の悪いイングランドはあまり有効ではないキックを何度となく仕掛ける。SHミッチェルのキックなど素人かと思えるほどコントロールされてない。しかしするとフィジーはその悪魔の誘いにまんまとハマってしまう。ミチェルのキックは戦術的に有効なくても精神的に有効なキックなのだ。フィジーはもっと強みを発揮できる選択があるのにそれを出さなくイングランドのキック合戦につきあってしまう。
キックが伸びすぎたり、回せばいいのにキックしたり、我慢すればいいのに行き過ぎたりと、プレーの選択もまったく理にかなっていない。おたがいの気迫や勢いだけが勝敗を決してしまう。でもこれもこれで「ラグビー」なのかもしれない。
フィジーは乗ってしまえば手がつけられないが、点差が開けばアイランダー特有の諦め速さという悪い癖が顔を覗かせかねない。この日のフィジーはその寸前ギルグリでうまく押しとどまった。そして14点差から7点差になると一気に動きが変わりフィジーのラグビーを遂に思い出した。一挙に簡単にトライをつづけ同点になってしまう。こうなるとフィジーの勢いをとめるのは容易ではない。会場もフィジー応援に染まってくる。その歓声には「スイングロウ」も打ち消される。一挙にフィジーのペースが続くと思われた。しかし、ここではお約束、いよいよ親分ファレルの登場となる。20mのドロップゴール。伝家の宝刀、伝統の技、批判も文句も何のその、「勝てばいいのだラグビーは」そう言わんばかりにそのボールは無慈悲にクロスバーを越えた。フィジーの勢い、会場の声を黙らせてしまった。

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