準々決勝その2 ニュージーランドVSアイルランド「究極のラグビー」と「ラグビーを超えた何物か」

これは凄まじいラグビーだった。たしかに究極のラグビーを見た。いやはたしてこれはラグビーだったのか、ラグビーを超えた何物かだったかもしれない。

結果は優勝候補ナンバー1、世界ランキング1、ここ2年間負けたことのなかったアイルランドが今回も4強いりを果たせずこの場でフランスの地を去る結果になってしまった。このゲームはそんなゲーム勝敗、結果やトピック、記録を抜きにして、歴史に残すことになる意義がある、記憶の留める意義がある。それはそんなことより何倍も大きいものである。

ニュージーランドのカパオパンゴをアイルランドは8の時のフォメーションで受け止めるとことで

一つ一つのぶつかり合い、ボールの継続と争奪、個人のプレーの選択、身のこなし、テクニック、知性、理性。意地と伝統。チームの意思統一、我慢の継続、ピンチの意識、チャンスの行動、全てにおいて一級品。完璧にできあがっていると言ってよい。そして80分間いや80分をゆうに超えても終始緊張感、緊迫感が高いレベルで継続する。

それらを象徴したのが、最後の37フェイズを数えるアイルランドの連続攻撃である。

力がこもる、固唾を飲む、目が離せない。黙らずにはいられない。危うくなる瞬間も何度もある、そこではもう大声で叫ばずにはいられない。

そしてすべてが終わった瞬間、軽い疲労感を感じ、目尻に熱いもの感じた自分がいることを発見した。そして、のどのほうはカラカラであった。

4半世紀をこえるワールドカップの歴史の中でも垂涎ものの出来事のなかでお筆頭に数えられるであろう。
いやこれから50年後60年後にも同じく何度となく語られるのではないだろうか。日本にいる私でもそうなのだから、今晩、パリ、サンジェルマンのアイリッシュPUBではなんども同じ話がくりかえされ、ギネスが相当飲まれたことだろう。そして、これから何十年もたったあとのダブリンの酒場において、この場に居合わせた高齢になった青年たちが、やっとビールが飲めるようになった子や孫に何度も同じ話を語り聞かせるだろう姿も簡単に想像できる。

アイルランドのラグビーは特殊なことをやっているわけではない。フィジーのうにスリリングでもなければ、フランスのように個が洗練されてもいない。ましてやオールブラックスのように華やかでもなく、南アのようにパワフルだけでもない。
ただ単にシンプルなラグビーをシンプルに体現しているだけである。ただしまじめに一つひとつのプレーを丁寧に完璧に遂行する。「これぞラグビー」ただただそれだけだ。ただただ、それだけなのにそれがこれだけの魅力を放つのだ。ラグビーの持つ魅力がここに確かにある。セクストンという稀有な存在がそれを可能にした一つであることは間違いない。今その巨星が去ったあともアイルランドのラグビーはそれを愚直に続けることであろう。そして世界中の目の越えた通なラグビーファンを唸らせ、アイルランドコールを共に歌い、1パインドのビールのグラスを何度もカラにさせるのだ。

一方のこの日のゲームの勝敗に勝ったオールブラックスは完全に枠役だった。開幕戦でのフランス戦の敗戦の衝撃をただ単に振り払い、忘れたい一心のような無手活、無慈悲で破壊的ラグビーを続けるオールブラックス。強いしすごいのだがそれだけに見えてしまう。

オールブラックスのラグビーはボールを持つ全員が動きたいように動き、もたない全員もそれに呼応し動きたいように動く、システマチックに見えるがそうではなない。すべてが個がその時その場面で個人レベルで間違いのない反応をして行動できている(判断をしているわけでない)。言わば分散型コンピューターシステムだ。そうでなければ、有機的自立生命体といってよい。生命体だから病気になることもある。ある機能が機能不全になり失われることもある。この日も2つのシンビンになってある機能が少しの間失われた。しかし、有機的自立生命体は、そのとき自己保全機能を遺憾なく発揮する。ある組織が少しづつ変化しその機能を完全に保管してしまうのだ。免疫システムや自律神経、皮膚感覚が個々の細胞から組織全体に広がり、また生命体全体の組織を変化させ、機能させる。そして、その生命体は元の姿にない新たな機能をも追加してくる。
この日のオールブラックスはそのようなものであった。あらゆる外的な過激な攻撃をもうけとめ続け、最後には無力化してしまうのだ。

これはもうラグビーではない。ラグビーを超えたSF的、近未来の出来事なのかもしれない。いや実は人間の生命システムも実はこれに近いのかもしれない。最新の脳科学では、頭にある脳だけが知性や行動をコントロールしているのではないことは証明されている。また人間が数億年にわたり作り上げた歴史や街、文化、文明なども同じことが言えるかもしれない。さまざまな個性が混じり合い、補完し、最大限の力となって発揮されてくる。

アイルランドのラグビーは正しく「これぞラグビーだった」。しかしオールブラックスのラグビーはもはや「ラグビーを超えたなにか」である。

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