ラグビーと「寛容論」

ジョナロムーというラグビーのスーパースターをご存知でしょうか?
元オールブラックスのウイング、195cm115kg、「空飛ぶ巨象」と呼ばれました。95年のW杯準決勝、イングランドのマイクキャットに真正面から当たり、カーペットにして乗り越えてのトライは強烈でした。これを超える破壊的なトライは人類史上まだ現れていません。

彼は子供の時に悲惨な家庭環境に育ちます。叔父に預けられますが、その叔父もギャングの抗争で打ち殺されてしまいます、荒んだ生活のロムー少年ですが、高校でラグビーを始めてから人生が変わりました。あれよあれよというまに代表レベルになり、19歳でオールブラックスの一員となり、その後は大活躍しました。
しかし絶頂の時に、腎臓機能の病気が見つかり、一時プレーから引退します。腎臓移植手術で一時回復し、2019年の日本のワールドカップのアンバサダーに選出されましたが、2015年11月に病気の再発で死亡。40歳の若さでした。


最近あることで、このジョナロムーのインタビューを思い出しました。
ロムーが生前日本に来た時にラグマガに掲載されていたものです。たしかこんなやりとりだった様な記憶です。

インタビュアー「ラグビーで得たことはなんですか」

ロムー 「寛容さを学んだことです」

この答え、深すぎませんか。

寛容さ。許すということ。キリスト教文化圏でない私たちにはわかりにくいですが、キリスト教文化の中では、異教徒、異端を認めるという特別な意味が込められてます。歴史が深いです。そこには「寛大な心」があります。人が生まれながらに持っている犯してはいけない権利=人権ということに関わってきます。

18世期にヴォルテールは「寛容論」を発表しました。フランス南部の街トゥールーズ(WRC2023ではジャパン戦2試合が開催されます)で起こった「カラス事件」という冤罪事件で裁判のやり直しを求めるためでした。ヴォルテールの言いたかったことは、「自分のやられて嫌なことを相手にしてはいけない」ということです。当時の宗教や社会は不寛容に満ち溢れていました。ヴォルテールは不寛容は人の道に反する(=自然法ではない)ということを明らかにしました。フランスでは、この本がきっかけで、啓蒙思想、人権思想が広がり、フランス革命、共和制、民主主義へとつながっていきます。

 

話は戻って、ジョナロムーはラグビーを通じて、何を許したのでしょうか?ラグビーを始めた頃は許せなかっただろう下記の様な事を、ラグビーをプレーし続ける中で学んで、許せる様になったのだと思います。

それは、心が広くなった=人間としての成長を果たしたということを意味します。

1、ゲーム中の自分のチームの誰かのミス

2、自分が犯してしまったミス、反則、判断ミス

3、自分のチームが負けたという事実

4、相手チームの反則まがいのプレー

5、レフリーの間違った笛

6、完全でないピッチの状況

7、心ない観客の罵声

8、心ないファンの握手やサインの要求

8、インタビュアーのつまらない質問

10、肌の色に対する偏見差別

などなど

そして、最後には両親のことも、自分の病気のことも受け入れて許せる気持ちに至ったことだと思います。

 

上記のことを思い出したのには訳があります。
実はこの1週間のうちに、同じ様な2つの微笑ましい場面をTVの画面で立て続けに見たからです。

一つは6ネイションのゲームです。アイルランドの途中出場の新人SHキャッシーのスローファワードに対する、セクストンの眼差しです。もう一つはトップリーグで東芝の新人フッカー大内くん(元日本代表大内さんの息子さんです)が、いきなりラインアウトのスローをミスしてしまった場面でのリーチマイケルの眼差しです。二人とも暖かく、涼しく、澄んだ目をていました。優しい同じ目で見守っていました。実に微笑ましく「心がポカポカする(byアヤナミレイ)」ものでした。

たぶん天国のジョナロムーがこの2つ場面を見ていたならば、セクストンとリーチマイケルと同じく、暖かく、涼しく、澄んだ優しい目をしていただろうと思います。

ラグビーで何かを成し遂げたものだけが達する境地なのでしょうか、そんなことはありません。

ラグビーのゲームの中ではいろいろなことが起きます。ミスのないゲームなんてありません。それでもプレーは続きます。その事情をありのままに受け入れ、次のプレーに進まないと間に合いません。ラグビーとは言わば「ミスの連続」、「許しの連続」なのです。受け入れて許すのは普通のことです。

たぶんこの日デビューの若い二人には、まだ、すぐには自分のミスを許せないかと思います。でも二人ともラグビーを続けていく上でさらに広い「寛容さ」を学ぶことができるでしょう。そうしてプレーヤーとしても人間としても大きく成長することでしょう。

いろいろな事情をありのままに受け入れ、次のステップを見つけて一歩前に進めること。ラグビーW杯日本大会の招致と運営で活躍された徳増浩司さんはこれを「受容」という価値で、「ラグビー憲章」におけるラグビーコアバリューの6番目に入れるべきでないかと提案されています。(ちなみにラグビーのコアバリューとされているのは「品位」「情熱」「結束」「規律」「尊重」の5つです)

下記の本を参照ください

コロナやレイシズム、災害、格差や分断など困難な問題に溢れる今だからこそ、「受容」や「寛容」といったことの重要さを改めて感じさせられます。

追記:97年のセブンスの大会で、個人的にロムーのサインをいただくことができました。その時の優しい目を思い出しました。

 

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