RWC2023 開催都市紹介 その2 リール

ラグビーフランス大会の開催都市と会場を予習していくシリーズです。

開催都市とスタジアムは下記の9つが決まっています。

 

サンドニ(パリ)         Stade de France 80688人
デシーヌ=シャルピュー(リオン) Parc Olympique Lyonnais 59186人
マルセイユ            Stade Vélodrome 67394人
ニース              Allianz Riviera 35624人
ボルドー             Matmut Atlantique 42115人
トゥールーズ           Stadium Municipala 33150人
ナント              Stade de la Beaujoire 35322人
ヴィルヌーブダスク(リール)   Stade Pierre-Mauroy 50157人
サンテテディエンヌ        Stade Geoffroy-Guicharda41965人

注)収容人数は1月現在のもの、実際のチケット販売数は当然違います。

スタジアム名は現在ネームライツが使われていますが、W杯ではネームライツは使えないので名称も変更になります。
3月には開催のスケジュールが発表されます。
JAPANのとイングランドの対戦はどのスタジアムになるのでしょうか?

 

 

今回はその2回目 リールです。
リールはなんと、日本のラグビー関係車なら誰でも知っているあの言葉と関係があります。

 

1、リールの位置とスタジアム

リールはパリから北に200Kmベルギーとの国境の街です。交通の便がよくフランスの北の玄関口としても知られています。TGVでパリから1時間、ユーロスターでロンドンから1時間40分、ベルギーのブリュッセルからは38分です。

実はスタジアムのスタッド・ピエール=モーロワStade Pierre-Mauroy)はリールの中心から5キロほど東南にあり、街の境界を越えた隣町ヴィルヌーブルダスクにあります。(千葉にあるTOKYOディズニーランドと同じ関係です)

 

この一帯はフランドル伯が治めたフランドルという地域になり、フランスから独立した地域でした。フランドルは、現在の南オランダ、ベルギーの西半分、北フランスの一部に渡った場所です。フランドルはオランダ語ではフランデレン、英語ではフランダースです。(そうです世界名作劇場の「フランダースの犬」のフランダースです。この件に関しては後述します)

特にイングランドとの交易で栄えた一帶ですので、W杯ではイングランドからユーロスターで大勢のサポーターが来るものと予想されます。そうなるとイングランドのゲームが多く組まれそうです。私は注目のジャパンとのプールマッチの有力な候補地ではないかと予想しています。

スタッド・ピエール=モーロワStade Pierre-Mauroy

https://www.stade-pierre-mauroy.com

2、フランドル地域の波乱万丈の歴史

この地域は地政学的にヨーロッパの十字路を言われる重要地点で、豊かな経済力があり様々な国の利権争いの対象になったのです。また大国の争いの中で常に干渉地帯としての役目を果た差ぜるとえなくなります。そのため国境線は何度も変わります。(現在のリールはフランスノーム県の一部)

しかし、そのことで、オーストリアハプスブルグやスペインの一部だったこともあり、また、ブリュージュなど海上貿易でイタリアとの交流も深かったため、初期ルネッサンスを初め、様々な文化が花開いた場所でもあります。

できるだけかいつまんで書くと、

「金箔車の戦い(1303)」
フィリップ4世の支配に対抗して、いわゆる「ブリュージュの朝」に民衆が立ち上がりフランス人を殺戮。さらにリールの近くのコルトレイクの戦闘で、肉屋のヤンと、織布工のピーターが活躍してフランス軍に民衆軍が勝利。その後に金箔の戦車が多く残されたことから「金箔車の戦い(1303)」とされる。

(11月3日はベルギーでは大国に対抗した民衆の意気は、今でもこの地域の風土に根付いているのです。しかし)

「100年戦争勃発(1337年)ブルゴーニュ公国編入(1369)」

カペー朝が断絶、100年戦争が勃発する。フランス王ジャン善良公の4男フィリップはポアチエの戦いのの功績からブルゴーニュ公に就任。その後フランドル伯一人娘マグリットと結婚(1369)。ブルゴーニュはイングランドと組み、フランスと対峙。ジャンヌダルクアラスの和平でフランスとブルゴーニュは和解し、100年戦争も終結する。その時のブルゴーニュ公、フィリップ善良公の時代にブルゴーニュ公国は繁栄する。初期ルネッサンス絵画など文化も勃興。

 

「オーストラリアハプスブルグ家傘下に(1482)」
ブルゴーニュ公 の一人娘マリー、フランス王ルイ11世の圧力に対抗するため、オーストラリアハプスブルグ家マクシミリアン1世と結婚(1377)も、結婚5年後に落馬事故で死亡という悲劇(1482)。

「スペインハプスブルグ傘下から神聖ローマ帝国に(1519)」
故マリーの長男フィリップ美公、スペイン王女ファナと一目で恋に落ち結婚(1496)もスペイン訪問時冷水にアタって死去(1506)。その後王女ファナは発狂し、夫フィリップの棺とともにスペイン国内を放浪、王女の身分のまま幽閉される。長男カルロスはフランドル在住のまま、母とイスパニアを共同統治。さらに神聖ローマ皇帝選挙に当選し、神聖ローマ皇帝カール5世としても即位(1519)。カール5世は、宗教改革問題で奔走。

(狂女となったファナにはいろいろな逸話が残されています。また小説になったり、映画になったり、絵画になったりしています。


(フェリぺの亡骸とさまよう狂女ファナ)

 

「ハプスブルグ分割(1555) スペイン栄華
カール5世(カルロス1世)は高齢のため、ハプスブルグ家を2つに分割して引退(1555)。長男フェリペはスペイン王フェリペ2世として即位しフランドル地域も継いだ。さらにフェリペはポルトガル王にも即位。新大陸から多量の銀が持ちこまれ、絶対王政が確立。スペインは「太陽の沈まぬ国」として栄華を極める。

「宗教戦争、オランダ独立(1664)、オランダ世界へ躍進」
フェリペ2世はウルトラカソリックで、異端審問所を創設、オランダのカルバン派を強権で弾圧する。それに反発してオランダの独立運動がぼっ発(1568)。スペインの栄華も新大陸の金が途絶え始め、アマルダの海戦での敗戦(1588)など雲行きがおかしくなり、実質的にオランダ独立が実現(1600)。現在のベルギー、北フランスに当たる南ネーデルランドはカソリックが多く独立には反対の立場をとり、独立後もスペインハプスブルグ家の統治下に置かれることになる(ミュンスターの和約)。

(オランダは世界の海上運輸をになってスペインに代わって大躍進します。日本との交流が深まったのもこの頃です。)

 

「リール包囲戦、ダルタニアン派遣」

フランスのルイ14世は、王権神授説、自然国境説を称え、次々に隣国へ戦争を仕掛る。ネーデルランド継承戦争でリールはフランス軍に包囲(1667)されて、フランス軍に降伏(アーヘンの和約)。そしてルイ14世はダルタニアンをリールの総督に派遣(1670)。ダルタニアンはその後のベルギー国境近くの戦いで戦死(1673)。その後リールはフランスの手で防備整備するが、スペイン継承戦争(1701)で今度は連合軍に包囲されて再度降伏(1709)。ユトレヒト条約(1713)を補完するラシュタッド条約(1714)で現在の国境線まではオーストリアの領地となる事で決定される。

(ダルタニアンというのは。あのデュマの「三銃士」のダルタニアンで実在の人物です。日本のラグビー関係者にとってはご存知の言葉(これは世界では日本だけだそうです)「ワンフォーオール、オールフォアワン」は、この「三銃士の」第9章に出てくる言葉です。実際の言葉はラテン語で「Unus pro omnibus, omnes pro uno」こんなことからも、リールという土地とラグビーがつながりがあるなんて新しい発見です。)

「フランス革命とブラバンド革命」

フランス革命時にブラバンド革命フランス軍がオーストリアを破り、南ネーデルランドを併合、この時、フランス語を強要したことが、現在の言語問題にまでつながる。(リール はもともとフランス語圏だった)

「ベルギーがオランダから独立、一部フランスへ編入」
フランス7月革命の影響でオランダから南ネーデルランドの独立運動ぼっ発(音楽革命)、この際、リールなどの一部地域がフランスに編入されてベルギー王国の独立が承認される。

かいつまんだつもりが長くなってしまいました。

そして現代になり、大変重要な2つの大戦を迎えます

「第一次世界大戦」「第二次世界大戦」

この2つの大戦では、ベルギーは完全にドイツの占領下に置かれてしまいます。

3、フランダースの犬とフランドル絵画

リールまで行くのなら、フランドル地域を国境を越えてベルギーまで足をのばしてみたいものです。

フランダースの犬は日本では誰もが知っている超人気な児童文学の名作として特にアニメで知られていますが、実は、当のアントワープでは全く知られていないという事実があります。作者のが英国人で英語で書かれていたことや、最後があまりにも悲しすぎるので全く売れませんでした。一時期アントワープの大聖堂に日本人観光客ばかり大挙して訪れるので、現地の日系企業のトヨタがお金を出して、大聖堂の前に記念碑を建てたことがありましたが、現在ではそれも撤去され中国資本のネロとパトリッシュの像が建てられています。

ネロがどうしても観たかったルーベンスの絵は今でも大聖堂の中に展示されていますリールからベルギーのアントワープまでは車で1時間半ほどです、

さらにフランドル絵画に興味がある方は、アントワープへ行く途中にあるガント(ヘント)の聖バーフ大聖堂にある「ガントの祭壇画」は見逃せません。

ファンヤンエイクは油絵を発明した画家として知られています。

 

https://www.stade-pierre-mauroy.com

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