10月2日 マントン エリス少年の墓参
この日のイベントはこのフランスツアーのハイライトの一つでもある。
コートダジュールはイタリア国境近くの町マントンまで足をのばしエリス少年の墓参に行くのだ。
19世期初めごろ、イングランの真ん中あたりのラグビー校でのエリス少年の物語(すでに神話になって入る)は誰でも知っている。彼が2年生の時フットボールのゲーム中にボールを手に持って走り出した。これがラグビーの初まりだという物語である。その年は1823年とされ、今年2023年はそれからきっかり200年の節目の年となるからである。
途中、ニースによって昼食。ここが世界中の金持ち達のバカンスの巣窟だ。そしてここは数日前にジャパンとイングランドが戦った地でもある。私たちも束の間のセレブ気取りで、リゾート気分に浸ってみよう。ワインは当然甘口のロゼの発泡タイプと決め込こもう。そして、マルシェでエリスの墓に捧げる「バラの花束」を購入する。
そう言えば、2015年のWh杯の際の思い出がよみがる。グロスターの宿から車を飛ばしてラグビーの街を訪れた時の記憶。ラグビー校に到着し、「日本から来たんだ」と頼み込んだところ、「日本は素晴らしいから特別だよと」グランドに入れてもらえた。それは「ブライトンの奇跡」の翌々日だったからだ。イングランドどこへ行ってもその話題でもりきりだった。
ここマントンは小さな街である。教会横の通路を抜けて丘を上がれば、海の見えるところにエリス少年の墓がある。きっと他の参拝者も多く、花で飾られていると思われる。ここから見える海岸線と地中海はとても美しいはずだ。
墓まいりを終えれば、海岸線のハイウェイを戻って、この日の宿泊地アルルへと戻る。
プロバンスの宿をアルルに宿を決めたのは、もちろん孤高の画家ヴィンセントヴァンゴッホの足跡を辿るためである。「黄色い家」、「ローヌ川の星空」、「跳ね橋」、「ひまわり」、「夜のカフェテラス」などゴッホの有名作品のほとんどがこの地で描かれた。浮世絵に感化されたゴッホが南フランスの気候が日本そのものであると信じ込み、ゴーギャンなど画家仲間を待ち続けた。しかし、親友のゴーギャンとも仲違いをして、「耳切事件」を起こしてしまう。
滞在するホテルはIBIS。なんの個性もない世界チェーンの安ホテル。私にはニースの高級ホテルなんかより、こんなホテルの方が逆に落ち着ける。
夜は、ゴッホの絵にある、「夜のカフェテラス」の店でワインを開けよう。ちょっとキツイがゴッホの飲んでいたアブサンでも良い。アルル滞在は2泊の予定である。
10月3日 プロバンス観光の一日
この日は丸一日、プロバンス観光と決めている。これがレンタカーの強みである。
まず訪れるサンレミプロバンスには、ゴッホが入っていた精神病院が残っている、この窓からあの有名な絵画「星聖夜」が生まれた。この街はあの大予言者ノストラダムスの生まれた地でもある。天気が良ければ(フロバンスで天気が悪いなんてことは考えられない)、足を伸ばせばセザンヌの習作のサントヴィクトラール山も見えると思われる。
北へ行き、次の目的地はアヴィニヨンだ。14世期に教皇の権威は失墜し、ローマカソリックの教皇庁はこの地に置かれた。「アビニヨン捕囚」と言われる期間だ。ローヌ川に突き出て、途中で切れているアビニヨン橋は「橋の上で踊ろよ踊ろ」で有名な橋である。(誤解されやすいのだが、ピカソの有名な「アヴニョンの女達」はここでの絵ではない)
そのあとはポンデュガールだ。紀元前ローマ時代からフランスはガリアと呼ばれ、ローマ帝国の属州だった。おかげで、ローマの卓越した土木技術が高さが48mもあるこの巨大な水道橋を完成させたのだ。
ニームでもローマ帝国時代の巨大建築遺跡を見ることができるだろう。円形競技場や円形演劇場など、ローマ市の遺跡よりは小ぶりだが、保存状態はここが一番だ。
そこからは車は地中海の方面へ向かう。目的地はエグモルト。中世のまま残る巨大な城塞都市である。エグモルトとは「死んだ水」という意味であり、この城塞都市かつては淀んだ海の中にあった。
その名前も不気味だが、ここには様々な猟奇的逸話が残っている。城壁には多くの塔がそのままの姿で残っているが、その中に「ブルゴーニュ人の塔」というものがある。百年戦争の際、王統派だったこの街は、イングランドと結託したブルゴーニュに占領されてしまっていた。そんな中、市民が結託して反乱を起こし、ブルゴーニュの兵士たちを皆殺しにした。しかし、至る所にある異臭を放つブルゴーニュ人の死体の処理に困った市民が、この塔のなかに次から次へと死体を投げ入れ、近くの塩田から大量の塩を持ち込み、一緒に入れたのだ。つまり、ブルゴーニュ人の塩漬けの完成である。
その塩田のある、この日の最後の目的地カマルグ湿原。泡かが生まれたという野良の白い馬やフラミンゴの群れに出会えるだろうか。カマルグ塩田で天然塩をお土産にGETしたい。
10月4日 リヨン再訪(寄り道あり?)
この日はアルルを後にして、ツアー出発のリヨンを再び訪れる。
リヨンはフランス第二の大都会である。ソーヌ川とローヌ川が流れ、地中海とパリとを結ぶ、交通の拠点として商業が発達した。裕福な商人たちで街は活気付いた。フランス革命の際には、ジャコバン秘密警察のジョセフ・フーシェにより、ブルジョア市民達の反革命派を抹殺する「リヨン大虐殺」が起こったという暗い過去もある。(日本のジョセフはそんなことはないと信じたい)
リヨンへの道中、道を西に外れてフランスの中央山脈に分け入り、ルピュイアンブレへ立ち寄れるだろうか?(その気力と体力と時間があればの話だが)この地の景観は異様で一見の価値がありそうだ。町の中に忽然と現れる険しい岩山の上に教会が立っている。そしてもう1つの岩山には巨大なマリア像が街を見下ろしている。
それでもリヨンに早めに到着できれば、車を公共の駐車場に放り込んで、リヨン の旧市街を少し徒歩で散策する。
夕食はブション(地元の料理屋のこと)で庶民感覚のプション料理をいただこう。
ここはなんと言っても「美食の街」リヨンなのだ。
10月5日 ニュージーランド対ウルグアイ
この日のメインは ウルグアイとニュージーランドの一戦である。
キックオフが21時なのでゆっくり市内散策が可能だ。
リヨン町の発祥もローマ時代であり、その起源はソーヌ川右岸のフルヴィエールの丘に始まった。フルヴィエールの丘にはリヨン のシンボル、ノートルダムバジリカ大聖堂があり、ロープウェーで丘の上に上がれる。旧市街は丘とソーヌ川その丘の間に細く南北に広がっている。この旧市街には「トラブール」という迷路のような抜け道が残されており、その抜け道が観光素材になっている。異国の地の迷路のような路地裏で迷い子になった気分を味わいたい。
「美食の街」リヨンでは、「国際美食館」、「ポールキューズ市場」を是非おとづれ試食をして、この時間でお土産の品を確保したい、
ウルグアイとニュージーランドのゲームはOLスタジアム、今回はパスでなく電車でアクセスしてみる。ウルグアイの奮闘に期待したい。