今回はチリの歴史についてざっとおさらいしておく。
1、スペインからの独立
16世以来スペインの植民地の一地域(ラプラタ副王国)であった。アメリカ独立の機運を受け、フランス革命後のナポレオンのスペイン侵攻による混乱に生じ、南米各国で独立の動きが起こる。アルゼンチンの独立戦争時、アルゼンチンの独立阻止に加担するペルー付近のスペイン政権を牽制するため、サンマルティンはアンデスを越えて、まずサンティアゴ付近でまずチリを独立させ、そこを起点にペルーも独立さる(1819年)。その時のチリの国土はまだサンティアゴ付近の小さな国であった。周囲の独立国はカウディイリョと言ういわば任侠の親分が、暴力で恣意的権力の座にあったが、チリは違った。チリでは保守と自由主義の対立がおこり、政権は何度も交代する。一時自由派が政権をとったときに憲法が制定される(1833年)。このころからチリでの民主的な政党制の基盤が出来たと思われる。
サン=マルティン
国旗は先に独立したアメリカ合衆国に敬意を示し、理想として定められた
2、領土の拡大と発展
このころ世界を支配していたのは英国である。ウルグアイや、アルゼンチンなどにも多くの英国資本と欧州各地からの移民が流入した。
北の鉱物資源(硝石)をめぐって、ペルー・ボリビア連合軍とチリが戦争(これもまた太平洋戦争1889年と言う)をして、ペルーが勝ったことでペルーの国土は北に広がった。当時は硝石は無煙火薬の材料であって、世界各国が戦争のために調達に競った時代であった。この硝石の利権を巡って、ペルーにも英国の資本と人材が多量に流入し、経済的には英国の支配下に置かれた。それは国を大きくしたが、貧富の差も生じた。過酷な現地の人たちは過酷な労働をしいられた。
また、南方にも海上交通の要点マゼラン海峡を確保するため進出し、アンデス現住人を追い出して領土を広げた。そこにはドイツからの移民が渡ってきた。
これで現在の南北に長い領土が確定した。北は鉱業、中部が経済中心で、南部が冷涼なフロンティア農業である。
このころの欧州からの資本と人材の大量流入によって、アルゼンチンやウルグアイ、ペルーにラグビーやサッカーが導入されたのである。労働者階級はサッカーを始めた。1912年にはチリ、アルゼンチンが一早くFIFAに加盟する。一方ラグビーは英国人の支配階級に広まった。チリのラグビー協会は1935年に結成され、36年にはアルゼンチンとの間で初めてのテストマッチが行われた。(過去36回アルゼンチンとの対戦があるが、まだ勝利がない。今回のワールドカップでは37回目の対戦となるのである。)
3、アメリカの裏庭 社会主義政権も一転のクーデター
しかし、英国は第一次世界大戦をきっかけに、もう戦争に硝石の価値がなくなると徐々に去っていくことになる。
今度は銅の利権か代わりになる。
それに目を付けたのはアメリカ合衆国であった。第二次大戦以降もアメリカ合衆国の経済的支配がつづき、50年代からケネディ、ジョンソン大統領にいたるまで、政府、CIAはチリ政治にも介入し続ける。多額の資金援助は「進歩のための同盟」とは聞こえが良いが、要は南米の国は「アメリカの裏庭」という様に、アメリカ経済にとって都合のいいようにされた。経済的にアメリカに支配されていた。
しかしそれでは労働者に過酷な環境下での労働を強いることである。労働者の怒りから、何度も大規模な労働争議が起きる。その中心にサルバトール=アジェンデがいた。
1970年、大統領選挙の結果、アジェンデが大統領に就任し。ついに社会主義政権が樹立する。これは世界で初めて民主的な方法による社会主義国家の誕生である。アデンデ政権のもと鉱山は国有化され(鉱山のチリ化)、労働者の権利は保護され、農地改革も行われた。社会保障の施策もなされた。
しかしこれをよく思わないのが、チリ国内の富裕層であり、アメリカ合衆国の資本家と政権であった。社会主義の広がりは冷戦下のアメリカ政府にとっては脅威であった。そこで、ニクソン政権下のCIAが密かに動き出す。
そして、1973年軍事クーデター(チリクーデター)が起こる。社会主義政権が倒され、アジェンデは捕えられ死亡する。その後このクーデターにより3万人もの人が軍事政権とCIAにより処刑された。添付アジェンデの最後の言葉です。
(この日はニューヨークの9.11と同じ日であり、9.11といば南米では今でも、このチリ・クーデターの悲劇のことで対米批判のネタになる。「アメリカ合衆国は人権尊重とか言いながら、過去に人権無視の悪行を尽くしたはないか?」)
4、長期的な軍事独裁の時代
そして、アメリカ合衆国の都合の良い、アウグスト=ピノチェトの長期的な軍事独裁政権の時代が続く。
これは1980年代後半まで続く。「コンドル作戦」と言う秘密警察による監視、暗殺、テロで、反対勢力は尽く潰された。
鉱山の国有化は払い下がれられ、規制が緩和される。経済優先で福祉や生活保護は後回しにされた。いわゆるフリードマンの「新自由主義経済」の実験場になったのだった。見た目は経済発展の様だが、裏舞台では武力を背景に利権を強制的に都合よく配分し私腹を肥やしていた。富は一部にとどまり、貧困層の割合は45%までに上昇した。
5、民主化、新自由主義の継続
1980年代になると、南米各国で民主化の運動が起こる。チリでは、これらを動きを背景に1989年にピノチェト政権の信任を問う選挙が行われ、軍事政権は倒れ、民主政が実現する。キリスト教民主党、社会党など4党を中核とする「コンセルタシオン・デモクラシ」が政権を握る。
新政権はフリードマンの「新自由主義経済」を継続した。経済は民間に自由に任せ、政治は介入せずに、福祉や社会保障制度は削られ、経済優先主義であった。数字上は安定的な成長は遂げる。巨大なアメリカ資本の流入も続き、都市部に富が集中する。都市は発展し近代化する。経済成長も続けていく。
しかしその結果は、貧富の拡大、貧困の増大など、民衆の不満が爆発する。政府への非難が集中する。各地で大規模な労働争議が起こる。
6、現在の状況 新憲法制定道半ば
富裕層と貧困層の溝は深まるばかりで、2019年10月18日(日本ではRWCの真っ最中で台風が直撃中)にサンティエゴで100万人を超える民衆の暴動が起きる。きっかけは地下鉄の料金の値上げだった。
政権はついに、旧ピノチェト時代に作られたままだった憲法を改正するか否かを、国民投票にかけることを約束する。
国民投票は87%という投票率であった。憲法改正賛成派が多数を締めた。そして次に憲法改正の新議会の議員155名を選ぶ選挙がおこわなれ、ここでも改革派が多数を占めた。また、2021年から2022年1月に行なわれた大統領選挙でも決選投票の結果、左派の憲法改正推進派の38歳、ガブリエリ=ボリッチ氏が就任する。(隣国での左派反米政権ができ「ピンクの潮流」の再来と言えれる)
新大統領のもとで1年ほどかけ、新憲法創案は練られ纏められた。その骨子は下記の様な先進的ものである。
1、鉱山の国有化 2、労働者の権利拡大(最低賃金、経営会議への参画など) 3、先住民族の保護 4、生活保護、福祉の充実 累進課税強化 5、環境保護
そしてまとめられた憲法案が国民投票にかけられる。今回も87%以上と言う高い投票率だあったが、今度は新憲法案は否決されてしまう(賛成38.1% 反対68.9%)。ただし、引き続き憲法改正を取り組むべきだという方向は信任された。現在は憲法改正の創案の修正が練られている状態である。秋までには修正案が明らかになり、国民投票がやり直されることになる。
6、まとめ
チリは資源の宝庫である、19世期には硝石 20世期には銅、そして現在21世期はリチウム(世界第2位の埋蔵量)を巡って、世界中からのその利権の争いになっている。今年4月にガブリエリボッチ大統領はリチウム鉱山の国有化を表明した。今年秋には法制化の方針である。閣僚の数は女性の方が多く「ボスト資本主義的」な弱者や自然を保護する法案が次々に提案されてる。ただし、支持率は少し低下している。
スペイン、英国、アメリカと言う、大国による経済的力、暴力による圧政から、国民の力による民主的方法での脱却を図り、そしてそれを実現してきたチリ。労働者の団結。高い投票率。そして「新自由主義経済」の実験場としていち早く導入し、そこで大きな失敗を経験し、いち早く「ポスト資本主義」を目指してるチリ。若い大統領に加え女性の方が多い閣僚陣。まさしく今、政治的には最先端を走り続けている。
その最中2021年から2022年にかけ、ラグビーでは大国で常連国で歴史的にも憎きアメリカを破り、ワールドカップ出場を初めて射止めた。この力は政治的な民衆の活力とは無関係でではないだろう。そして憲法改正で揺れ動くクライマックスの真っ最中、ワールドカップの本番を迎えるのだ。日本との初戦を迎えるのは、ちょうど50年前の屈辱の日「9.11」を翌日に控える9月10日である。
参考文献
ウィキペディア:チリの歴史、チリクーデターなど
世界の歴史「ラテンアメリカ文明の興亡」中央公論社
安藤圭一著 「アメリカのクーデター」WEB版無償公開
トニーコリンズ「ラグビーの世界史」白水社