2023W C 開催都市紹介 その6、リヨン、サンテティエンヌ

2月26日に 開催のスケジュールとカードが発表されると報道がありました。
今からワクワクです。

その前に全ての開催都市の紹介を済ませておきたいと思います。
予習が終わった時点でワクワク感をより盛り上げて26日の発表を待ちたいと思います。

サンドニ(パリ)         Stade de France 80688人
デシーヌ=シャルピュー(リオン) Parc Olympique Lyonnais 59186人
マルセイユ            Stade Vélodrome 67394人
ニース              Allianz Riviera 35624人
ボルドー             Matmut Atlantique 42115人
トゥールーズ           Stadium Municipala 33150人
ナント              Stade de la Beaujoire 35322人
ヴィルヌーブダスク(リール)   Stade Pierre-Mauroy 50157人
サンテティエンヌ        Stade Geoffroy-Guicharda41965人

注)収容人数は1月現在のもの、実際のチケット販売数は当然違います。

スタジアム名は現在ネームライツが使われていますが、W杯ではネームライツは使えないので名称も変更になります。
3月には開催のスケジュールが発表されます。

 

 

今回はその6回目 サンテティエンズとリヨンとなります
この2つの都市はオーベルニュローヌアルブ経済圏の中にあります。
リヨンはローヌ県の県庁で、サンテティエンヌはロワール県の県庁です。
パリからリヨンへは470kmですがリヨンからサンテティエンヌまでは60kmほとどしか離れていません。。

リヨンはフランス第3の都市ですから、大きなカードが組まれると思います。
2007年のW杯ではジャパンーオーストラリア戦など3試合が組まれました。サンテティエンヌでは2試合組まれました。オーベルニュには松島孝太郎選手のラグビーマッド地帯で黄色のクレルモンがありますが、クレルモンは今回も開催都市には選ばれませんでした。

 

1、場所とスタジアム

リヨン

リヨンはソーヌ川がローヌ川に合流する地点で、古代から取引の重要拠点でした。ソーヌ川の上流域はワインで有名なブルゴーニュがあり、ローヌ川は地中海に流れ込みます。

 

Parc Olympique Lyonnaisは2012年に完成したスタジアムです。
リヨンの中心部から東の外れにあります。

 

ジェノバ、フィレンツエなどの商人はこの地の市場で世界からかき集めた商品を売りました。特に絹織物の中心でした。また、貨幣交換も行われていますの。フランス、イタリアのみならず、ヨーロッパの重要な商業の中心地であり続けています。

ルネッサンス、食文化など多くの文化、芸術がイタリアからこの地を経由してフランスにもたらされました。その多くは、ルイ11世の妃となるメディチ家のカトリーヌ、カトリーヌドメディチが持ってきました。嫁入り時に多くのコックや食材を持ち込みました。

フランス革命時に悲惨な事件「リヨンの大虐殺」が起こりました。2000人もの人が反革命と烙印を押されて処刑されました。そして一時はリヨンという街の名前も変えさせられてしまいました。

19世期、日本はリヨンから技術者(ポールブリューナ)を招いて、富岡製糸場を作りました。日本の絹を一手に扱ったのがこのリヨンでしたので、日本との関係も深いところです。ジャポニズムなど日本の文化がフランスにもたらされたのもリヨンからです。

 

サンテティエンヌ

この地はリヨンから山を越えたところ(距離にして60km)にあります。なんとそこにはロワール川が流れているのです。ロワール川はフランス最大の河川で、全長は1000Kmにtっします。ローヌ川が南に流れるのと違って、ロワール川はまず北に向かって流れ、突然西に流れを変え、ナントを通って大西洋に注ぎます。

スタジアム

中心部から徒歩で30分でスタジアムに行けます。

サンテティエンヌは古くから金属加工が盛んで、武器工場の中心でした。ナポレン時代は武器の都と言われたくらいです。そのご第二次大戦まで、銃器が製造されておりました。今では、その細かい技術が工芸品や家具などに応用され、工場の跡地はトリエンナーレというデザインのイベントが行われます。

 

3、見所と観光など

リヨンは大都会なので、なんでも揃います。
また、フランス料理の名店がそれこそ軒を連ねています。ブルゴーニュのワインも全て集まり、美食にはこと欠きません。ボージョレはリヨンのすぐ北に当たります。今ではボージョレヌーボーの主要消費は日本がダントツですが、昔からリヨンのワインはボージョレでした。

リヨンでの光の祭典で盛り上がります。その始まりは黒死病を追っ払うためにマリア様に蝋燭をたむけて祈っただったということで、コロナを吹き飛ばしてもらいたいものです。その時に絹のクッションに金貨を置いて蝋燭と一緒に奉納したことです。また、普仏戦争の時にも同じようにプロイセンの軍が攻めこないようにも同じようなお祈りをしました。この伝説をもとにしたのがリヨンのお土産で人気のスウィーツ、クッサン・ド・リヨン(Coussin de Lyon)となったということです。エメラルドグリーンの小さなクッションの形をしたお菓子です。

 

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