平成を振り返る 日本のラグビーこの30年で変わったこと

ワールドカップも近くなり、昔のラグビーファンや経験者が久々にラグビー場に戻ってくる機会も多くなったと思います。久々だと平成30年間のラグビーの変容にビックリするかもしれません。平成から令和を迎えるに辺りこの30年に大きく変わったところをまとめたいと思います。

1、厳密なアマチュア主義からオープン化、プロ容認

30年前のラグビー界は、厳格なアマチュア主義でした。スポーツ界の中でもラグビーがもっともアマチュア主義が強かったのでした。昭和の終わり頃には平尾誠二はファッション誌に掲載されただけで、追放に近い非常に重い処分を課せられたりしました。雑誌に載るのもジャージ姿でなければならないほど。30年前は世界の超一流プレーヤーでさえ、ラグビーで大きな金銭はもらわず、自分の仕事の傍でラグビーを続けていました。例えばアルゼンチンのコンテポーミは医者だし、ニックファージョーンズは弁護士です。改革半ばで倒れた宿沢監督は、大手銀行のロンドン支店長でした。

当時はちょっとでも派手なことをすると協会から大目玉の時代でした。ラグビー場で音楽を流したりすることなど思いつきもしません。チアガールなんてもちろん存在しません。大八木選手が縦縞のジャージをデザインしただけで処分を受けたりしたなど、今では考えらないことばかりです。

今は2003年にトップリーグが開幕し、2016年にサンウルブス 結成、ゲーム前にハーフタイムに郷ひろみが登場するなどスタジアムの雰囲気は大きく変わりました。トップリーグではプロ契約の選手が増えています。

ダンカーターなど一体いくらで神戸製鋼と契約したのでしょうか?

 

2、体育会から脱体育会へ

昭和から平成初めまで、ラグビーは学校スポーツの体育会の中でももっとも典型的な体育会気質でありました。1日5部練や、絞り、罰走、ランパス100往復、地獄の菅平合宿、練習中に水分をとるななど、不条理で非科学的練習が当たり前。さらに上級生に口を聞いてはならない、革のボールを夜中に先輩に見られないように唾で磨くなど、上下関係は非常に厳しい「掟」が存在していました。

本家スクール⭐︎ウォーズは昭和の最後でしたが、続編「スクールウォーズ2」は1990年と平成の放送、2004年には映画版スクールウォーズが公開されています。

それを変えたのが9連覇した帝京ラグビー部でした。帝京大学では「社会では当たり前のことを正しいことを行うことが力になる。」この信念で改革を行い。1年生もラグビーに専念できる環境になっています。今では不条理な上下関係のあったあの明治大学でさえも脱体育会化図って、平成最後には帝京の10連覇を阻止し、見事復活を果たしました。

さらに最近はハラスメントに関しては異常なほどにセンシティブになっています。社会の風潮としてラグビーだけでなく全ての組織で、インテグリティが重要になっています。

3、不条理なラグビーから科学的ラグビーへ

この帝京大学が導入したのが、最新の運動医学の研究成果を基にした科学的管理ラグビーです。体重管理、体脂肪率、血糖値などを管理し、食事メニューも徹底し、ラグビーに適した体格体力を個人別にプログラムし実行します。

さらに今では練習やゲームにGPSを用い、運動量や加速度をデータ化、さらにドローンで真上からの画像を確認。確認した画像はすぐに練習の会場のモニターで確認できます。このようなことをできるのは日本ではJPANやトップリーグと一部の大学くらいですが、今では、資金力もないと強いラグビーはできなくなっています。

またどうしたら早く疲労を回復できるかも研究実践されています。オフの日を設けることや、短時間の集中した練習計画、アイスバスの導入などが当たり前に行われています。

コーチングにもモチベーション管理や科学的手法が用いられます。スポーツ心理学も取り入れられ、ルーティーンなども取り入れられます。

今ではデータ管理は当たり前ですが、平成の初めの宿沢ジャパンで取り入れられ始め、平尾ジャパンの時はゲームのデータを分析するなどの大胆な手法の導入には驚かされました。その後、私も中学生のゲームでビデオを見ながらノックオンの数などを数えることを何度も必死でやったことを覚えています。

今ではトップレベルではプレイ回数からパス、ランキックの回数、タックル回数、成功回数、ランメーターやディフェンスブレークなど様々なデータは数値化されています。

 

4、選手の安全重視にシフト

平成の30年で、ラグビー場から「ヤカン」が消えました。

科学的ラグビーで個々の体格が巨大化し、スピード重視になると、人と人がぶち当たる力が尋常でなくなり、体への負担が大きくなります。

世界的に脳震盪の危険性が指摘され始めます。その頃日本では脳震盪を軽視し、ヤカンの水をかけただけで回復しゲームを続け全くゲームのことを覚えていないことなど、日常茶飯事だったはずです。その結果選手生命だけでなく、普通の社会生活に戻れなくなる悲劇もありました。世界からの圧力もあり、日本協会も必死で脳震盪の予防、重篤事故の減少に力を入れています。

トップレベルではHIAの導入など非常に理解導入が進んでいますが、日本での高校生部活レベルでは、まだまだ脳震盪などの危険性に対する認識、管理、対処が行き渡っていないのが現実です。

 

5、国際化、世界標準の導入

世界がワールドカップ中心に回りだすと、国際的基準が日本にも要求されました、組織体制や問題とレフリングなど解釈の統一です。

まずはコーチングのシステムが導入され、スタートコーチ、育成コーチなどIRBの基準で研修を受けたものでないとコーチできなくなります。(実はコーチングの資格制度も今年からまた変わっています)。レフリーも国際標準の資格制度が設けられ、知識、体力、パフォーマンス、コミュニケーション力など様々な条件をクリアできないとトップレベルの笛は吹けません。昔は線審をタッチジャッジといいましたが、今はインカムをつけてアシスタントレフリーとして、資格を持ったレフリーがチームを組んでレフリングします。

国際的なコーチ、レフリーの育成にはまだまだ課題があります。

前に書きました組織や個人のインレグリティのところもそうです。ここは国際的に当たり前なのに日本ではまだまだ遅れていて平成の最後になってやっと署についたところです。

 

6、継続、見ても楽しいラグビーへ

平成の初め1989年はトライは4点、ラインナウトのリフティングは禁止、先発メンバーの交代は怪我をした時のみという、それだけでも今とは全く違ったものでした。

しかしもっとも大きく変わったのは、2008年のELV(試験的ルール変更)の実施でしょう。ラブビーはそれまで全く違ってスピーディーなものに変化しました。内容はスクラムのオフサイドラインの下げと、ダイレクトタッチの導入、斜めのクイックスローインの導入でした。

それまでは、ディフェンスのシステムが研究され尽くされ、なかなかトライができなくPGのみで決まるという退屈なゲームが多かったのですがそれが変わりました。

さらにレフリングでは、ブレークダウンの解釈が多く変わりました。攻撃有利になりラックでもボールが繋がるようになります。ブレークダウンでのディフェンス側にはジャッカル(和製単語です)など職人技が必要になります。

これでそれまではディフェンス有利で、スクラムやラインアウトばかりでぶつ切りのラグビーだったのが、継続プレーが当たり前になってきました。

昭和には釜石の十五人つなぎトライが伝説ですが、現在ではフェイズ15や20のノーミス継続は当たり前、花園でも桐蔭学園は、2018年決勝ではに最後になんと65フェイズを重ねています。

オフロードの片手フィリップパスなど、30年前のコーチなら大目玉で怒りだすところでしょうが、今では戦略的に重要なスキルとなっており、小学生でもソニービルを真似る生徒もいるくらいです。

 

7、その他 見た目が変わりました

・ラグビーボールが茶色い皮から軽くグリップの良いラバー製へ
・だぶだぶジャージからピチジャーに
・選手の髪型がかなり派手に
・パンツの下には何もなかったのがスパッツに
・枯芝から冬でも緑の芝のグランドに
・呉越同舟のスタンドの応援が個別のサイドがあるように
(これは日本だけです、W杯には応援サイドはありません)

 

8、それでも変わらないもの 日本協会の体質

それでも変わららないものがあります。それは日本協会の体質です。平成の30年の間、何度かは改革、若返りのチャンスはありましたが、どうにもこうにも未だに古いままです。とうとう平成もこのまま終わってしまいます。新しい時代「令和」には、是非とも変わってもらいたいと期待します。

 

 

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