ラグビーの伝説 オールブラックスの命名

ラグビーの伝説 世にある「伝説」は、実はほとんど事実とは異なります。 途中で脚色されたり、都合の悪いところはしょってしまったりしています。 しかし、世に伝え、語りつぐ意味があるから「伝説」なのであり、 事実と違っていようが、その意味や意図が変わるものではありません。 ラグビーにも伝説があります 一番有名なのが、ラグビーの始まりとされる「エリス少年の伝説」です 昔は情報は非常に乏しかったし、映像に残っているとしても20世紀中盤以降であり、映像すらないことも多い。口から口へ想いが語り継がれて伝承、伝説となります。 今は情報化時代であり、様々な角度からの映像がありますし、当事者もSNSなどで発言したりします。伝説ができにくい時代になってしまいました。 このコーナーはラグビーの伝説を伝説として、聞いたことの記憶を、そのまま記しておきたいと思います。 ここでそうしないと、もはや「伝説」が語り継がれなくなってしまうかもしれません。 (オールドファンの中には同じ話を違った展開で聞いている人も多いと思います。そのように様々な形になってしまうのが伝説の伝説たる所以です) 「信じるか信じないか、それはあなた次第です。」

現在世界最強軍団といえば、ニュージーランド、オールブラックスです。現在のオールブラックスはフォワードもバックスも一体になってパスをつないであっという間にトライラインを陥れます。ワールドカップも2連覇中。

1905年の遠征 圧勝に続ぐ圧勝

1905年 英国連邦に初めて遠征したニュージーランド代表にはまだチーム名のニックネームは付いていませんでした。このチームの英国遠征っは、連勝に次ぐ連勝で、負けたのはアームズパークのウェールズ戦だけ(幻のトライ参照)。今ではこのチームは「オリジナルズ」とか「オリジナルオールブラックス」と呼ばれるようになっています。

9月16日に初めてエクセターでデボンのクラブチームとゲームを行い55−4と圧勝。その後コーンウェルでもブリストルでも圧倒的大差をつけて勝利します。ついに11月15日まで英国の強豪クラブチーム相手に19連勝。この間15戦は完封勝ち、点を取られたのは4試合の合計15点だけという快進撃です。

その後エジンバラに渡り、スコットランド代表とのテストマッチでも12−7と勝利を収めます。そして次にアイルランドに渡りアイルランド代表とのゲームも15−0と完全に退けます。

ロンドンでのテストマッチの衝撃

そして12月2日いよいよイングランドとのテストマッチの日がやってきました、

会場はロンドン南部のクリスタルパレス。会場はこの日、地球の裏側から来たのニュージーランドチームの噂を聞いて駆けつけた4万5千人のロンドンっ子で超満員です。そして、待ちに待ったテストマッチがキックオフされました。

クリスタルパレスの4万5千人のロンドンっ子はキックオフ早々ど肝をに抜かれます。目の前で展開しているラグビーはこれまで見たことのないものだったのです。15人全員が、巧みにステップを切り、鋭いパスを投げ、グラバーキックをしたり、素晴らしいスピードで走るのです。そして、自陣からでも次から次へとボールが繋がり、あっという間にトライラインに迫ります。

なぜかというと当時(というか最近まで)のラグビーはFWとバックスの役割分担ははっきりしていて、FWがボールを持つことなどはボールを持つこはまれでした。たまたまボールを持っても前に突進するだけで、パスなどをすることはありませんでした。

数年前は日本の学生などでも「FWはパスをするな」を教えられたりしていましたほどです。

ニュージーランドは別にして、今でも国際ラグビーでFWでバックス並みの総力やパススキルを持った選手はそう多くありません。練習ではやっていてもゲーム中に柔軟な発想とアイデアをそのまま実行してそのようなセンスをもった選手といえば、ジャパンでは堀江選手ぐらいしか思い出せません。しかるに、当時のニュージーランド代表のチームは今のオールブラックス以上であったと伝えられています。

ある新聞記者の原稿

4万5千人の中の一人、当時のロンドンタイムス(仮名)の記者ロバート(仮名)もやはり相当な衝撃を受けました。

そしては急いで記事を書きます。

全員がバックスのようなチームだ 「ALL BACKS」オールバックスだ!!

もちろん当時はパソコンやワープロなど当然ない時代だったので最初の記事は手書きです。

この手書きの原稿を次の日の朝刊に間に合わせるよう、ロンドンの中心部の本社に届けました。本社で記事を受け取ったのは印刷をするための、「活字組み」を担当するトーマス(仮名)君でした。急いでトーマスは新聞の活字を組みます。

イメージが湧かないかもしれませんが活字組みというのは印刷物とするために活字の文字を棚から拾ってきて、枠木の中に組み込む作業です。当然印刷されるので、文字は逆に掘られています。文章も逆に揃えなければなりません。

(この仕事は結構な細かな重労働です。宮沢賢治、「銀河鉄道の夜」で学校から帰ったジョバンニがランドセルを置いてから毎日働いているのがこの仕事です)

印刷工の致命的ミス

次の日の朝の新聞記者のロバート(仮名)新聞を見てまたびっくりします。

ALLBACKSと書いたつもりでしたが新聞記事のタイトルが「ALLBLACKS」となっているではありませんか。これでは意図する意味が伝わりません。

ロバート(仮名)は悟ります。

「トーマスのやつまたやっちまったな。」

ところがどっっこい。その記事の載った新聞は飛ぶように売れます。そしてその日からロンドンではこのニュージョーランドからのチームをオールブラックスと呼ぶのが一般的になりました。

新聞記者のロバート(仮名)は、オールバックスと書きたかったのですが、彼はここでも悟ります。「オールブラックスも悪くはないな」と。もやた訂正する気持ちなどどこかに飛んで行ってしまいました。

本国ニュージーランドでは

こうして、ロンドンではオールブラックスの名前が一般化しましたが、遠く離れた本国ニュージーランドはまだそんな名前で呼ばれているなんて話は伝わってきませんでいした。

このチームは、ウェールズとのゲームのあと、フランスからアメリカ大陸に渡り、最終戦は2月5日にサンフランシスコでブリティッシュコロンビア戦を行い、それから太平洋を横断してニュージーランドまで長い船旅の帰国の途に付きます。

約1ヶ月後の3月5日にニュージーランドオークランドへ帰国します。ところが、最初のヘラルド紙の記事では、ニュージーランドフットボールチームという名での紹介に止まっていました。遠征チームの連戦連勝の情報は入ってきてもオールブラックスの名前は正確に伝わってきていなかったからです。

その後新聞記事を見た読者の中から質問が出ます。先日帰国した、ニュージーランドのフットボールチームって、ひょっとして数ヶ月前に英国に遠征していた「オールブラックス」なのでしょうか?というものです。

そして、次の日にヘラルド紙はチーム名は「オールブラックスが正解です」という訂正記事が掲載されます。

タイトルはReturn of the All Blacks”

 

それ以降、本国ニュージーランドでもオールブラックスと呼ばれるようになりました。

その後、歴代のオールブラックスの中でもこのチームは特別な存在であるために。オリジナルズとかオリジナルオールブラックスと尊敬の念を持って呼ばれるようになったのは先述の通りです。

 

現在ラグビー界では、最大のブランド力を持つオールブラックスですが、印刷工の間違いからできた名前だったり、本国でなく英国でまず呼ばれるようになった名前だったりと、なかなか興味深い限りです

(この話、信じるか信じないかはあなた次第です)

 

 

 

 

諸説あります

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