ナポレオン物語 その2

この度、たまたまナポレオンのフィギュアが手に入りましたので、この機会にナポレオンの生涯について数回に分けて書きたいと思います。

5、パリ バラス亭

政府の中では兄貴分のバラスのとりなしで、出世します。

ある日バラス亭に招かれた時に、年上の思わせぶりな女性にばったり会います。
バラスの愛人となっていたジョセフィーヌでした。

田舎育ちのナポレオンは一目で、妖艶で魅力的なジョセフィーヌの虜になってしまいます。

バラス
「よかったらくれてやっても良いぜ」

ナポレオン
「いいんですか、ありがとうございます」

そんなわけで、ジョセフィーヌと電撃結婚となります。

こんな風刺画が残っています。

(でっぷりして椅子に座っているのが、バラスで、幕の奥で裸で踊っているのが、タリアン夫人とジョセフィーヌ、顔をあからめて覗き見をしているのが、ナポレオンです。)

結婚はしたものの、恋多き未亡人ジョセフィーヌは、熱烈なナポレオンに対してなんの感情も持たず、全く素っ気ない態度です。

イタリア遠征時に毎日、熱烈なラブレターを送るナポレオンに対し、ジョセフィーヌは、その手紙を全部友人に見せて、

「なんて変な人なんでしょう」と言いながら、今まで通り手当たり次第に浮気しまくっていたと言います。

 

(この時なかりは、ナポレオンの計算機は全く役にたちませんでしだ)

6、エジプト

エジブトに遠征したナポレオン軍はイングランドのインドとの貿易の要地。エジプトを制圧、圧勝。6千人の捕虜を取ります。

これに対しイングランド海軍はフランス軍の帰り用の空の船を全て撃沈してしまいます。

「隊長、帰りの船がありません」

「なんだと」

「隊長、食料がもうありません」

「なんだと」

「カラカラカッキーん』

(確かにこのままだときっかり〇〇日後には食料はなくなるな。捕虜さえいなくなれば〇〇日は耐える計算だ)

「まいいっか、やっちゃえ」

6千人の捕虜は全員が銃剣で処刑させました。

ナポレオンが嫌いな人はこの辺の冷徹さが我慢できないと言います。実際はあとさき考えないで行動した結果ではないかと思います。

 

「隊長、パリでは大変なことになってみたいです。クーデターが起きるかもとのことです。」

「なんだと(今帰ればカッコいいかも) ようしすぐ帰ろう。」

「でも船はありません。」

「カラカラカッキーん」

(この小舟で数人で帰れば、10月9日後にはパリにつける)

「俺たちはどうしたらいいんですか」

「いいから待ってろ」

捕虜の虐殺、敵前逃亡、明らかに軍法違反ですが、あとさき考えないナポレオンは全く気にする素振りはありません。

この遠征時にはエジブトの調査団も派遣され、持ち帰ったのが、ロゼッタストーンでした。

 

7、パリ近郊、サンクルー

クーデターのシナリオを書いていたのは、シェイエスです。革命初期の有名な演説と書面「第三身分とは何か」のあのシェイエスです。地下に潜ってまだしぶとく生きていました。「革命のモグラ」と言われる所以です。当初はシェイエス自ら演じる役だったが、ナポレオンにやらせれば効果的と思い直し、その役をナポレオンに譲ると言います。

なんだか大変だと軽い考えで戻ってきたパリですが、その案を聞かされたナポレオンは、

「カッコいいかも」

としてその案にのることにししました。クーデターが起こるのではと心配して帰ってきたナポレオンはクーデターの当事者になってしまいます。

結果は皆さんご存知のとおり、ナポレオン帰国の1ヶ月後の11月霧の月、ブリュメールのクーデターとなります。

シェイエス
「とにかくセリフを間違えずに発言をお願いしますよ』

ナポレオン
「わかったわかった。おやすい御用」

ところが、壇上に上がったナポレオンは慣れない演説でしどろもどろになり、議会ではやじが飛び交います。ますますナポレオンは訳が分からなくなりついにセリフが飛んでしまいます。

シナリオでは
「私が戦争の神と幸運の神とともに歩んでいることを知っていただきたい」
でしたがこのセリフはナポレオンには難しすぎました

ナポレオンは
「ワワ、私が戦争のカカカ神であり、ココ、幸運の神であることを 知っていただきたい」
と言ってしまいます。

「何を言っているんだ」これで議場が大混乱になります、
ナポレオンは議会から追い出されてしまいます。

次の議会では全く聞いてもらえません。ナポレオンも壇上でただ立ち尽くすのみです。

シェイエス
「全くしょうがない、これでは失敗になってしまう、やっぱり私がやればよかったかも」

ここでシェイエスの「Bプラン」が炸裂します。
使いたくなかった軍隊を議場に乱入させます。

この案であれば、ナポレオンは得意です。

政権を奪取します。

 

ナポレオンが政権のトップ(第一頭領)に立ちます。

 

8、パリ、ノートルダム

第一頭領となったナポレオンは、次は皇帝になります。
戴冠式は、パリのシテ島、ノートルダム大聖堂になりました。

「かーちゃん、ついに皇帝になったよ、戴冠式には絶対にきてよ」

「おんめえバカ言うんじゃねえ、田舎貴族のおんめえが皇帝なんてなるもんじゃねえ、わたしゃいいかないよ」

と言うわけで頑として出席しません。どこまでも全く素晴らしい母です。

また、ローマ教皇を呼んで冠をもらうシナリオでしたが、待ちきれないナポレオンは自分で手にとってかぶってしまいます。ローマから遥々やってきた教皇は全く何をしにきたのかわかりません。
その上、もらったばかりの王冠を妻のジョセフィーヌに被らせて得意満面になります。

カッコつけたいナポレオンは、母が出席したことにして、母の姿を画家に描かせます。

この時点がナポレオンの絶猟期です。

(この記事は、史実を基にしてはいますが、創作も含まれています)

 

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