日本国中をラグビー漬けにし、感動の渦を巻き起こし、いわゆる「にわかファン」を増大させた今回のW杯。ラグビーが、単なるスポーツの枠を超えた文化的現象として、広まり認められつつあると実感する。私が1年と45日前にこのブログを始めるにあたり、願いを込めて「ラグビー現象」と名付けたが、今の日本は、その理想に徐々に近づいていてきている。
ちっぽけな不安や幻影を見事に吹き飛ばした
一方で、今回のW杯は、私の様な昔ながらのファンにとっての事前の心配事が、あまりにも凝り固まったちっぽけなマインドセットに過ぎないことであったことを、痛烈に反省させられたことでもあった。
私は、これまでの海外でのラグビーW杯の観戦体験から、日本でのW杯が決まった2009年から、ずっとその心配事が絶えなかった。それは「これまでの海外でのW杯の様な盛り上がりが日本で実現できるのであろうか」「ジャパンが強くなり、日本中から応援される対象になれるだろうか」という不安から出るものであった。
しかし、結果的にそんな心配は見事に吹き飛んでしまった。
今回のW杯は、掛け値無しに過去のどんなW杯よりも大きな盛り上がりを見せた。そして、ジャパンは確実に実力をつけ、日本中からの応援だけにとどまらず、世界のラグビーファンをも虜にしてしまったのだ。
実に軽々とはるか遠くの域に達していたのだった。
昔なながらの私たちがだけが、矮小化された幻影、すなわち、JAPANの負け犬的思い込みや、漠然とした夢や願いを持っていただけであった。私たちは、ラグビーの人気がなかなか定着しないことに、もはや慣れっこになっており、推進するラグビー関係者や日本協会などの度重なる不手際にも、慣れっこになってしまっていた。本当の日本の実力、(これはJAPANのラグビーの実力、やってきたことを信じる力、ということだけでなく、日本国民が、いいものを見極める目を持ち、それを素直に楽しめるだけの文化的成熟が進んでいるということ)すら、見失ってしまっていた。それほどまでには日本は、日本という国は、日本人はまだ捨てたもんではなかったのだ。ごめんなさい。
過去のW杯を知るファンの多くは、JAPAN以外に他の国にも勝手に思い込みを持ってしまっていた。それらをも今回のW杯はあっさりと飛び越えてしまった。
例えば、「アイルランドはどこまでも硬いディフェンスで粘り強い魂のラグビーだ」、とか。「オールブラックスも変幻自在でどこからでもトライが取れるものだ」とかである。このような思いもあっさりと吹き飛ばされた。アイルランドは日本に完敗しただけでなく、最後は自ら攻めることを放棄してボールを蹴りだしてゲームを終わらせた。さらにオールブラックスに全く歯が立たなかった。そのオールブラックスも用意周到のイングランドも前にあれよあれよというまに1トライのみしか奪えずに敗退する。W杯では若手を多く配したチームは安定しない。フランスはアルゼンチンには劇的に勝利しながら、反則でウェールズに敗れ、ウェールズも怪我人が出て、代わりの若手では、拮抗するとこまでが精一杯で、最後まで局面を変えられなかった。そんな光景は、あまり見たくはなかった。幻想は幻想として宝としておきたい気持ちはあった。あまり見たくはない光景が、目の前に残酷にも出現した。ちょっと寂しくなった。
やはり優勝できたのは、控えにも老練なベテランを配した南アであった。南アだけは、終始自分の戦い方を貫いた。そしてエリスカップを手にした。初の黒人キャプテン、シヤコリシのコメントもすごい、他の国とは背負っているものが違う。決勝戦が若手を配したオールブラックスとの再戦であっても、同じ結果であったろうと思う。南アが優勝となって本当に良かった。
「ラグビーっていいもんだね(藤島大)」
藤島大さん曰く、「ラグビーって面白いね」でなく「ラグビー っていいもんだね」という事である。正確に言えば、これは藤島大さんの言葉ではなく、藤島大さんがたまたま飲み屋で一緒になった人(今回のW杯で初めてラグビーに触れた人)が口走った言葉だという。私も似たような言葉を何度となく聞いた「ラグビーはすごいね」。ラグビーのゲームのことでだけはなく、いろいろな出来事やTVの番組の多さやさまざなま逸話から「すごいね」という言葉がでたものらしい。そうなんだ、「ラグビーっていいもんなんだ、ラグビーですごいものなんだ」これまで伝えようとしても伝わらななかったことは、それなんだ。
JAPANもそうだが、どのチームにも様々な肌の色の選手がいて、国籍もバラバラである。大男もいれば小柄な男もいる。スマートな選手もいれば、冷蔵庫とみまかうばかりの体型の選手もいる。それらは一つになって=ONE TEAMになって力を結集する。ダイバーシティーである。多様性を認めてお互いの長所を使って戦う。日本代表がガイジンばっかじゃないかなどという人はもはやほとんどいなくなった。
大男が体をぶつけ合って、本気で相手を打ち負かそうとする。あるいは驚異的なスピードで走り回る。血だらけににっても、アザができても、足がつってもそれでも向かっていく。しかしノーサイドになればお互いの検討をたたえ合う。ゲーム中勢い余って相手を傷つける様な事をしてしまったらまずは謝る。謝りきれなかったらゲーム後ロッカーまで出向いて謝る(カナダの選手や南アのビーストなど)。謝ったらそれを快く許す。そして、握手をして、肩を組合い、当然のごとく汗の染み込んだジャージを交換する。
「ラグビーっていいもんだ」「ラグビーってすごい」
観客席は敵味方なく、席は隣り合わせである。良いプレーには両方に声援を送る。鳴り物やリーダーがいないのに、自然発生的に応援の歌声が響く。キッカーがゴールを狙うときはそれをリスペストし、7万の観客に静寂が生まれる。ゲームが終われは敵味方なく選手を拍手で送り出す。そして、そして、ゲーム前から健闘を期してビールを酌み交わし、ゲーム中もゲームが終わってからも、ビールをしこたま飲み交わす。最初のうちは、ラグビーの観戦よりも騒ぐのが優先の輩達がいて、不要なウェーブが起こったり、日本では珍しくなったストリーキングが現れたりしたが、大会が進むうちにそんなものは皆無になっていった、真にラグビーに集中して応援に声を枯らしていて、そんな暇など全くない。
一般的な人は、過去の日本ラグビーの歴史や実力、世界のラグビーとの関係など全く知る由もない。そんなことはもはやどうでも良い。どちらが勝つかワクワクし、最後はトライの取れない負けているチームのトライを願って必死で応援する。ラグビーのゲームそのものだけでなく、全体のW杯の雰囲気も、楽しんで、喜んで、悔しがって、笑って、歌って、ビールを飲んで、握手をして、ハイタッチをして、語り合う。痛みを分かち合う。困ったら助け合う。共に成功を喜ぶ。相手を讃える。
「ラグビーっていいもんだ」、「ラグビーってすごい」
今の世の中忘れていたものがまだラグビーの中にはある。釜石で台風のためゲームのなくなったカナダチームが、自らボランティアをかって出る。ナミビアも選手たちも地元を勇気付けるイベントを行う。(震災の時もワラビーズの一人のファーディが、母国に帰らずボラティアで釜石に残ったこともありました)。六本木では、チケットを持っていないJAPANのファンのために、すでに負けてそのゲームに出場できなかったアイルランドのサポーターが、プラチナとなったチケットを惜しげもなくその場の日本人にプレゼントする。「君たちこそスタジアムに行く資格がある」「今からすぐスタジアムに走れ!俺たちはここでTVでJAPANを応援する」と。
オールブラックスが始めたゲーム後の日本式お辞儀は、たちまち自然と参加全チームに浸透する。日本でプレーした誰もが、感謝の気持ちを素直に表現したいからだ。さらに、プール戦でもトーナメントでも最後となるゲームが終わった後、いつもは離れ離れの生活であった、可愛いジャージを着た息子や娘をピッチに向かい入れ、ラグビーの人から解放され、普通の家庭の人に戻った姿は微笑ましい。
「ラグビーっていいもんなんだ、ラグビーに関わっている人っていい人なんだ」
JAPANの躍進
日本中にラグビーの渦を巻き起こした要因の筆頭は、JAPANの躍進であることは間違いがない。8強入りという結果がそうさせたのではない。開幕から1戦1戦全力で勝ち続けた経緯そのものが、日本中をそうさせたのだ。この一連のムーブメントに比較すれば、4年前の「ブラントンの奇跡」と言われる出来事さえ、単なるこの過程にすぎないと思えるほどだ。だが今回の躍進も、4年前のブライトンの奇跡があって、それに着実に積み上げたものであるのだ。
実は、開幕戦が一番危なかった、格下のロシア相手にミスを連発、先制のトライも献上してしまう。相手のミスに助けられてのやっとのBP取得。この先が心配になる立ち上がりであった。しかし普段のラグビーを知らない一般の人は、そうは取らない。「あの大国のロシアにラグビーで勝った」、「しかも大差で勝った」、「勝ったと」いうニュースだけが広まった。松島幸太郎という名とともに、W杯始まったことなどもそれまで全く興味がなくても「日本なかなかやるなと」いうことになった。
アイルランド戦の勝利はまた違った形で世間に伝わる、一般の人にはアイルランドがどれだけの世界の強豪であることなんて実感はない。「また勝った」それだけで歓喜の渦は「にわか」の間にさらに広まった。それまでは不安に思っていた私も前半35分のスクラムとその後のグーくんの拳に涙し、8強入りを確信できた瞬間であった。
サモア戦。こうなると「にわかファン」もさずかに情報を得て楽しみ方をわかってくる。リーチ、福岡、田村などの選手の名前も知れ渡る。最後の劇的なBP取得も、それなりの人には意味の重要性を解説できるようになってくる。ビーストコールならぬ、リーチコールも飛び出し、「北出丼」の事や、JAPANの面々がロッカールームで歌う「ヴィクトリーロード」など話題も広まってくる。
スコットランド戦。一般の人でも、敵将レイドローの名も記憶に蘇り、共に4年前の屈辱や、スコットランド強しの様々な情報も入ってくる。決戦の雰囲気が最高潮に達する。しかも迫りつつある台風も心配になり、果たして実現できるのかも含めて気をもむ1週間を過ごすことになる。
台風は日本列島に甚大な被害をもたらしたが、関係者の努力もあって奇跡的にゲームは開催され、そして、そのスコットランドには実は普通に勝った。一般の人にも最後の20分間の必死のディフェンスは、感動を与え涙腺を緩めるには十分すぎるものであった。私はノーサイドの瞬間は逆に冷静であった。強い方が勝ってよかったなぐらいの感覚であった。
その後の南ア戦も、誰もが、前半から必死に戦う姿に感動した。このころになってくると、「にわかファン」もラグビーが分かってくる。ラグビーは勝っても負けても感動する「いいもんだ」ということが分かってくる。
最終結果ではなく、この1戦1戦の戦いのプロセスが日本全国に感動の渦を巻き起こしたのであった。
地上波メディアおそるべし
そしてもう一つ加えるべきは、「TV地上波おそるべし」、「ワイドショーおそるべし」である。TVという媒体は、普段は全くスポーツファンでない、全国の老若男女に、ラグビーとその周辺に起こる出来事の魅力をあっという間に、分かりやすく、伝えて広めてしまうのだ。時には話を実話以上に演出してしまうこともあるかもしれない。しかし、そんなことはどうでも良い。何気ない日常の中に、田舎のおばあちゃんの茶の間に、昼間の専業主婦の掃除の時間に、病院の待合室に、突然ラグビーの話題が舞い込んでくる。毎日毎日、五郎丸を担いたNHK、人気タレントを用意した日テレだけではない。その前にTBSによる日曜劇場「ノーサイドゲーム」の「浜畑効果」も大きかった。NHKなどにも解説で露出する廣瀬を指して、あの俳優は「やけにラグビーが詳しいんだね」という人も大勢いた。朝日やフジ系列の昼の番組もすごい影響力である。福岡や堀江、レメキ、リーチらの怪我との戦いや普段の生活が紹介される、笑わない稲垣が大人気になる。
このように「コト」を語り繋ぐことはラグビーに似合っている。脚色したっていい、話を大きくしたっていい、そうやって過去の伝説は作られてきたし、これからもそうで良い。
また、関連のガイドブックや図書も多く出版された。ベースボール社のラグビーマガジンは雑誌コードが足りなくなったのでボクシングマガジンの雑誌増刊号として特集号を出版。ナンバーなどその他の雑誌も特集を組んだ。今後も今回のw杯、JAPAN関連の図書は多く出版されるだろう。そこで追体験をするのも良いし、知られざることをより深く知ることもでき、感動も新たになることだろう。
(しかしよくあるビジネス書にラグビーを無理やり繋げるのは個人的に賛成しかねる、理由はいつかまた)
80万人の黒船襲来
また、50万人とも60万人とも言われる、海外からの多くのラグビーファンの作り出すスタジアム周辺の雰囲気も素晴らしい。彼らは黒船のごとく日本に襲来し、海外でのこれまでのW杯の雰囲気そもものをそのまま持ってきてくれた。いやいやそのままではない、彼らはこれまでのW杯よりも確実に数倍は楽しんでいる。ラグビーも楽しんでいるが、日本での滞在を楽しんでいる。どちらかというと年配の方、裕福な方が多いようだ。分別もあり受け答えも風貌も紳士的。きっと彼らは過去のw杯にもきっと何回も足を伸ばしているはずだ。そして今回のW杯はきっと特別なものだったに違いない。
そしてその雰囲気は一緒にスタジアムやファンゾーンを埋め尽くし、周りの日本人をことごとく巻き込んでしまった。ファンゾーンも入るのにも長い行列で入場規制がかかるほどであった。応援するチームのジャージを着て、あるいはその色を身につけ、ビールをしこたま飲み、共に歌って楽しむ。彼らは、にわかではなくW杯の楽しみ方を知っている心底のラグビー信者だ。その信者たちが応援するのは自国のチームに決まっているが、セカンドフェイバレットは誰に聞いても決まってJAPANである。日本に負けたアイルランドも完敗をあっさり認め、その後はJAPANを応援している。JAPANを力でねじ伏せた南アのファンもJAPANのラグビーが素晴らしいので、ぜひジャージを交換してくれを頼まれた。
「おもてなし力」が世界に拡散
彼ら海外からのファンをこれまでのW杯以上に楽しませたのは、日本の「おもてなしの力」に他ならない。
各キャンプ場では、子供達が、ハカでおもてなしをする。国旗を単に振るだけでなく、国歌や応援歌を一生懸命に覚えて合唱する。エスコートキッズもピッチ上で一緒にアンセムに声を張り上げる。他の国の国歌を覚えるなんて海外では考えられない。多くの国歌には、色々問題のある政治的な歴史や特定の宗教に関わることが歌われていることが多いからである。実は血生臭い内容の歌も多い。でも何事も受け入れてしまう日本人にはそんな意識は毛頭もない。
街ではボランティアでなくても、一般人が気軽に声をかけて道案内などをする。もちろん宿泊や食事などのサービスもどこの国よりも心がこもっている。財布をなくした、スマホを無くしたとしても確実に自分の手に戻ってくる。こんな国は世界中どこを探しても他にない。そしてこれらの出来事は、今や世界共通言語となったSNSを通じてあっという間に世界中に拡散する。
組織委員会や各開催地の対応もまさしく神対応であった。柔軟な対応とは、日々の「KAIZEN」の努力であり、それこそ日本の自動車産業が発祥で、日本的で、日本が世界に誇るものである。
課題となるだろうと危惧されたビール問題は、ほとんど本番では問題にならなかった。スタジアム内売り子の配置や大量の仕入れなどで、あれだけ大量のビールの需要に対してスムースな供給ができた。水、食べ物ぼ持ち込みの禁止も問題が大きなる前にすぐに許可された。釜石や熊谷のアクセス問題も大量のシャトルバスなどで非常にスムーズであった。歌舞伎式掛け声や、拍子木、太鼓から、ドラによる終了の合図、太鼓カム、カラオケタイムなど日本をらしさを楽しめる演出も見事であった。カラオケの選曲も毎回観客の様子を見て変えるなど工夫が凝らされた。(ただし、トイレが足りない問題だけは、最後までKAIZENは難しかった)
今後の日本のラグビー
今回でラグビーの魅力と理解は日本国中隅々に伝わった。今後はその継続が課題である、嬉しいことに私が関係するラグビースクールにも問い合わせが殺到、毎週多くの体験者がおとづれている。
世界中のラグビーファンがJAPANの魅力的なラグビーを見たくて、6カ国対抗への参加や、南半球のラグビーチャンピオンシップへの参加が望まれている。スーパーラグビーからサンウルブス の除外を見直すべきという検討も始まっている。
7月のイングランドの来日と、11月の欧州遠征の対戦相手がアイルランドとスコットランドと早々と決まって発表された。
国内では、清宮副会長がプロリーグ構想をぶち上げた。サンウルブス もその中に入れる案も出てきている。
ジャパンの選手は今や引っ張りだこである。ワイドショーはもちろん、始球式や地域のイベント、卓球の国際大会の解説に3選手が呼ばれ、コメントを求められているのはびっくりした。
様々状況が同時に進んでいるが、どうやってこのムーブメントを継続させるか、にわかファンをとどめてにわかからコアのファンにつなげるかである。
一つはラグビーのゲームの魅力であることは確実である、大学ラグビーはもう再開している。日体大が慶応を破ったり、筑波に提供が89分の同点トライとGで逆転勝利したり、凄まじいゲームが展開している、しかしまだまだスタジアムは閑散としているのは気になる。各地では花園の予選もクライマックスを迎えようとしている、1月からはトップリーグも始まり、NZや南アで活躍した多くの選手のプレーも間近で見ることができる。「にわかファン」もW杯のにわかで終わらずに是非ともスタジアムに足を運んでもらいたい。どのレベルもラグビーでも拮抗したゲームは面白い、迫力があり、ハラハラし、感動する。そうすることで「にわか」からの卒業も間近である。スタジアムに行けない人のためにはトップリーグも大学ラグビーも地上波で中継できないものだろうか。
それだけでなく最も大事なことは「ラグビーっていいもんだ」ということがまだまだたくさん生まれ続けることだと思っている。それは終了後も一部で続いてる。ウェールズは毎日新聞にキャンプ場の北九州に感謝のための全面広告を掲載した。釜石ではすでに台風で中止になったカナダーナミビア戦を実現させようという動きが始まっている。関東の各地で、台風で使えなくなった河川敷のラグビーグランドのために学校を練習場として解放してくれる取り組みも始まっている。