日本ウルグアイ戦 (「モーメンタム」と「勇気」について)

「モーメンタム」、最近のラグビー観戦でよく耳にする言葉である。
株の世界やビジネス用語でもつかわれいる。

ラグビーは難しそうな言葉が多くてややこしくなるし、なにやら難しい言葉を使うことで、特別な雰囲気や、お高く止まった感を醸し出してしまう。これが実は一般のファン層の拡大を阻んでいるところかもしれない。

しかし、何のことはない。「モーメンタム」とは、どんなスポーツやビジネスなどにも「流れ」や「勢い」のことであり、波に乗れるかどうかということなのだ。

他のスポーツなどでも同じであるが、どんなゲームにも流れがある、波がある。それを掴んだほうが勝利に近づくことは間違いない。一方波に乗り切れなかったり、すれば力を発揮できずに負けになってしまう。

ラグビーはスポーツの中でも特にこの流れというものが大事なスポーツである。
ラグビーで、この「モーメンタム」が重要なのは多くの理由がある。

まずは第一に、ラグビーというスポーツの特性と性質がある。そしてラグビーは精神性が影響する繊細なスポーツであるということだ。

ラグビーは肉体同士がぶつかり合う格闘技的要素が大きい。そこには闘争心や気迫が必要である。大抵のほかの格闘技の試合時間は短いが、ラグビーの競技時間は長時間であることである。相撲で数秒間、柔道でも約10分、ボクシングは3分おきに休憩がある。ラグビーは80分間戦い続けなければならない、その間常に張り詰めているのは人間としては絶対に無理である。したがって、かならず波がおとずれる。

また、一般にラグビーが大雑把で粗野なスポーツであるとおもわれがちではある。それは表面を見ているに過ぎない。「ラグビーとは勇気が試されるスポーツ」であると定義できると思う。つまり精神性が重要なのだ。気持ちの入り具合が勝負に直結するスポーツであるということだ。

体を張ること、例えばタックル一つにしてもそこには恐怖はある。少しでも気持ちに「萎え」や「迷い」があれば差し込まれる。それだけない。大怪我にも繋がりかねないのだ。

それだけではない。ミスを恐れていてはチャンスは生まれない。勇気をもってプレーしそれらを克服したものが勝利者である。常にミスや反則を恐れずに勇気をもったプレーをしなけれなならない。

たとえば、ディフェンスでもオフサイドギリギリで飛び出すときに反則を恐れてはいけない。また、キックにするか継続するかランでアタックするのかなど、プレーの選択もそのとおりである。

そして、その「勇気」はチーム全体に伝染する。

自分たちの仲間が勇気あるプレー選択、実行すれば、それは必ずチーム全体に勇気をもたらすのだ。一つのすばらしいタックルが決まることで流れがかわるなどはよくあることである。気がはいれば、同じコリジョンでも力の入り方はちがう。そして勇気が沸いてを積極的なプレーををることができる。

しかし、ゲームではミスやハブニングは必ず起こる。

そのとき、人間ならだれしも緊張の糸は一瞬途切れ、そのとき気持の緩みがでてしまうものだ。「ぽかあん」とした穴があいた状況となる。
よくパスがバウンドしてしまうことでディフェンスに穴が空き、トライに結びついたりするいたりこのためである。記憶にも新しい、23年W杯イングランド戦でのヘディングからのトライなども同じメカニズムである。

また、積極的なプレーでミスをしても揺るがないが、勇気のない消極的なプレーでのミスは気持ちを萎えさせる。そしてそれを引きずってしまえば、体は硬直し、体は縮こまり、ミスの上にミスを重ねてしまうのだ。さらにそれを払拭しようと意識すればするほど、こんどは必要以上の力が入ってしまっっておもったようなプレーができなくなる。

そんなものなのだ。

ウルグアイ戦の松永のGKがそうだった。ゴールキッカーの彼は、最初のコンバージョンで60秒ルールのプレッシャーがあるなかで、キック直前でボールが倒れてしまった。あわててドロップで蹴ったが、あえなく大きく右にそれた。その後のキックも今度は左に右にそれてしまう。

レフリングにかんしても同じである。この日、姫野のジャッカルはレフリーに反則と解釈された。前半、勇気をもって再度同じように入っても同じだった。後半のキックオフ前に勇気をもってレフリーに自らコミュにニケーションを取りに行っていた。こういったことも勇気をもったプレーの一つである。

第二の問題は、昨今のラグビーのルール変更によるTMOの多用(乱用)状況である。すばらしいプレーが実を結び、レフリーのトライのホイッスルが鳴らされた後に、非情にもTMOから無線が入る。

「チェック、チェック!!」

何フェイズも前のプレーに遡って、厳密に映像で判断される。そして、そういった場合ほとんどといってトライはキャンセルになる。

昨日のウルグアイ戦。濱野の最初のトライキャンセルがそうだった。横浜でのNZ戦のディアンズのこぼれ球のキックからセブリースを振り切りインゴールへグランディングしたプレーもそうだった。
同日の夜、南ア戦に連敗したイングランドにも、TMOによるトライキャンセルが何度も在った。ありすぎである。

こんな事があると一度はトライの喜び満ちあふれ、盛り上がったチームの士気は一挙にしぼんでしまう。喜びが大きいほど落胆とのギャップは大きくなる。

トライキャンセルだけなら良いが、詳細な映像確認で、別な場所での反則が見つかったりすることもある。そしてそれがシンビンに繋がってしまうことも多々ある。まさに泣き面に蜂、これは不幸である。

思い起こせば、横浜でAB戦、ディアンズのトライキャンセルのあとは、ほとんど流れが戻ってくることはなかった。相手がオールブラックスであったからである。オールブラックスこそ流れを引き寄せ、それを維持し続ける世界最高のチームである。

このウルグアイ戦、濱野のトライキャンセルの前からたしかに流れはおかしかった。そのあともそのショックを引きずっていた。負けゲームの典型的パターンである。

そんなときににチームに勇気をもたらすのが、誰か一人による勇気のあるプレーである。

日本には勇気をもって献身的に動き回る下川がいる。

濱野のトライの取り返しに繋がるラストパスは同じようなパスだった。しかし今度はレフリングに有無を言わせなかった。このパスは勇気がいるプレーであった。しかも、それだけでない。直後にはゴールしたに飛び込みトライをあげた。これぞ超速といったプレーでチームに力を呼び戻したかに見えた。

しかし、まだ引きずっていた者は居た。この日初めてキャプテンをまかせられた斉藤である。キャプテンの重圧が在ったに違いない。ペナルティのときのプレー選択に自信がなさそうである。いちいちFW陣に確認している。そして安全をみて22m内いから明らかに消極的にタッチをねらったキックは距離が出ない。しかもノータッチになって逆にピンチをまねいてしまう。さらにはハイパントのキャッチの際には最後でボールから目をきることでシンビンをうけてしまう。相手の9番の勇敢さ勇気が上をいっていた。

こうして、「モーメンタム」は簡単に失われる。

今回は後半には、日本が再度モーメンタムを得て逃げ切ることはできた。ウルグアイのミスにもたすけられたが、時間がかかっても流れを引き戻し、さらに14人になるというハプニングを克服できたことは、僅かながらも成長していると喜ぶべきである。

以前のレフリングにはTMOなどといったテクノロジーはなかった。レフリングはそれこぞ流れや勢いで吹かれていた。まさにレフリングこそが「モーメンタム」であったのだ。レフリーも人間であり流れや勢いでトライの宣告や判定が決まるのは仕方がなかった。

ミスジャッジは確かにあったが、一度吹かれた笛が取り消されることなど殆どなかった。その頃はメディアやファンからは批判が出ても、プレーヤーからの不満が出ることは決してなかった。(100年前、死の床で「あれはトライであった」と言ったという「ディーンズの幻のトライ」の話は誰もが教えられていた。)レフリーは絶対であった。選手たちには諦めや、切り替えが早く出来、その後の影響は少なかった。

そして、それはドラマになった。

レフリーも含めて、ラグビーはあくまでも「人間」が行うものである。

人間ならば、ミスも起こすし、歓喜し、そして落胆し、落ち込み、悔しがり、また奢りもあり、勘違いもある。恐怖もあれば、不安にもなる。

一方、AIやテクノロジーの判定ではドラマにさえならない。

TMOという最新のデクノロジーの導入はレフリーを守ることには有効だが、人間性から見て非情にやっかいなものである。

そのため、今やラグビープレーヤーには人知を超えた精神的タフネスさが要求されるようになってしまっている。ラグビーが勝敗を重視する傾向が続く限り、トレーニングにさまざまなハプニングに対しての精神的な向上のプログラムが必要になってくるであろう。

そんなではなく、ゲーム勝敗は、もっと大らかであってよいのではないだろうかと思いたいものだ。

 

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