イングランド戦 観戦記その1 「勝負とは」

誤解はないとは思うが、
「テストマッチ」は、日本語でいうところのテストではない。練習ゲームでもなければ国際交流ゲームでもない。

負けて良い「テストマッチ」など何処にもない。

テスト(=試す)+マッチ(=合う)=試合なのだが、
それに「シアイ」という言葉(語感)を当てられた背景には、少なからず日本に古くから存在していた「果たし合い=決闘、真剣勝負」という言葉や文化?の存在があったからとも思われる。

「勉強になりました」
「成長の糧になります」
は言い訳にすぎない。

昨今はラグビーワールドカップの盛り上がりと感動で、テストマッチの価値は相対的に低下しているように感じて仕方ない。

しかし、「勝ち」ってなんだろう、「負け」とはなんだろう。

ワールドラグビーが掲げる「ラグビー憲章」。5つのラグビーのコアバリューを掲げている
「品位・情熱・結束・規律・尊重」

その前文には「ラグビーの目的」という記載がある。下記に引用する

目的

ラグビーという競技の目的は、競技規則、スポーツマンシップ、そして、フェアプレーの精神に則って、ボールを持って走り、パスやキック、そして、グラウンディングをして、相手チームに対して可能な限り多くの得点を挙げることである

「勝つことが目的」とは一言もかかれていない。
「相手よりも多くの得点をあげることと」でなく「相手チームに対して、可能な限り多くの得点をあげること」なのである。

さて、仏教の古い教えにもこんなモノがある。

「戦場において百万人に勝ったとしても、ただ一つの自分自身に勝つことの出来る者こそが最高の勝者である」

『ダンマパダ(法句経)』より

はたして、その意味で昨日のテストマッチの勝者はイングランドなのか、ジャパンなのか、個々のプレヤーはそれぞれ自分自身に勝てたのか?また監督やコーチやスタップも自分自身に勝てたのか。

矢崎くんはどうだっただろう、期待や注目をあつめての抜擢、20歳の若者には、不安や緊張があったはずである。そんな自分に勝てたのだろうか?U20のプレーぶりなどからするとこんなものではない。ももう少しはできたはずではなかっただろうか、積極性がたりなかったかもしれない。

エディさんにとってはどうだったろう。私にはエディさんが今回ゲームに「勝ち」に行ったとはとても思えない。指導したイングランドを、そして監督の旧友で部下だったボーズウィックを最もよく知る男である。対するジャパンは世代交代が緒についたばかり。力の差は歴然。エディさんに取っての「勝ち」は「ラグビー憲章でいう目的」や、「ダンマバダの教え」に即したものであったはずだ。矢崎の抜擢もその考えに即したもものであるのだ。

当初のメンバー発表では、ラグビー通からは、驚きと期待と不安の声がいりみだれた。その中には「矢崎を試すのはいいけど、せめて保険のために松田でなく山沢を控えに入れてはどうなのか」というものもあった。そんなことを承知の上で、エディさんは自ら退路を断って勝負に出たはずなのだ。

しかし、ハプニングはおこる、直前のライリーの体調不良での離脱である。ここで山沢の23番の投入はきまった。期せずして矢崎の抜擢にたいして「保険」がかかってしまった。この「保険」の発生は、ゲーム前から微妙な心理状態を及ぼしたに違いない。

下記は妄想にすぎないが

矢崎:安心して思いっきりできる
OR やっぱり信頼はまだなのか
山沢:出たら実力を魅せてやる
OR 「骨は俺が拾ってやる」
エディさん:自信をもって送り出すのだ
OR それでも自信をもって送りだすのだ(自分への言い聞かせ)

観客サポーター
山沢への期待もあり、少しは安心
OR、やはり矢崎採用には不安や迷いがあるのか
ライリー不在でCTBのディフェンス連携のほうが心配

イングランドにとっても、保険の発生に対し、日本側に不安や迷いの存在の片鱗を見て取った。それは、矢崎という未知の存在への警戒感を薄れさせる結果になったのではないだろうか。

結果は途中出場した山沢がトライというまぎれもない記録を残す実績を刻んだのだった。

エディさんは「最初の勝負で自分に負けた」と言うこともできる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です