なんだかんだでエディさんが返り咲くことになりました。
色々言いたい事のある人は協会内外に多いことと思います。戦々恐々としている選手や関係者も少なくないでしょう。8年前は歴史的な貢献もした一方、軋轢も残して去っていきました。イングランドでも、オーストラリアでも同じようにグランド外の言動に周りが振り回されてしまいます。
3つの懸念事項があります。
1,エディジャパンは2027年までもつのか
心配なのは協会内からの内部崩壊です。
エディさんは現状を変えるには長けていますが、継続していくのは不得手です。いわば天才肌で、過激なアイデアでも思い立ったら周りを気にせず、すぐに実行しなければならない性分です。それにとてもついて行けない関係者は多くいます。とくにラグビー界は保守的で古い考え方に凝り固まった古狸の巣窟のようなところです。やりかた次第では大混乱が生じます。
たとえば、ジャパンを強くするにはジュニア層からの取り組みが必要です。現在の大学ラグビー、高校ラグビーの大会フォーマットや指導方法、運営などに問題があるのはわかっています。そこには有望な才能が眠っていますが、仕組みの中でスポイルされてしまっています。そこはこれまで何度も改革派がチャレンジしましたが変わりません、今では協会内では完全にアンタッチャブルな世界となっています。
会見でも出ましたが、エディさんはここに鋭いメスを入れる可能性があります。そのメスの入れ方次第では、大量出血、大反発が起こる可能性があります。
2,完全アウェイな2027年大会
そしてもう一つは、2027年のオーストラリア大会までエディジャパンが継続したところで、そこでは完全にJAPANは完全アウェイで戦わなければならなくなったことです。
なぜなら、現在オーストラリアでは、エディさんの日本監督就任に際し、多くのパッシングが起こっています。「出来レース」、「国民に18回の嘘をついた」「裏切られた」などです。オーストラリアのラグビーファンはとても怒っています。オーストラリア国民を完全に敵に回してしまいました。
それもそうでしょう、オーストラリアはフランスの大会でプール戦敗退という結果になったのですから。そのなかでさまざまな噂が飛び交い、憶測も飛び交いました。エディさんのオーストラリア国内での発言がいつも怪しげでした。そして遺恨をのこしました。
こんな状態のままでオーストラリアにのりこんだらどうででしょう。まず、歓迎されないでしょう。これまでのワールドカップのようにジャパンがどこでも好意的に迎えられ、友好的な交流ができたのとは全く異なることが予想されます。
これも、ジャパンが強豪国の一つとして認められた証なのだと思えばそうなのです。しかし、日本から観戦にむかう人はかなりの覚悟を強いられそうです。これまでのように現地の人にビールをロハで奢ってもらうことなどはなさそうです。
3,勝利至上だけでよいのか
3つ目は、これは上記と関連しますがもっとも重要なことです。エディさんの方針は常に勝利至上主義で「勝つためには手段を選ばない」というところです。
2019年大会でエディさんは2015年大会で予選プール敗退のイングランドを準優勝にまで引き上げた手腕は見事でした。でも準決勝のオールブラックス戦のハカへの対応、南アにやぶれた決勝戦のメダル授与の対応など、まったくのこのましくありません。結局イングランドは世界中でまったく尊敬されないチームになってしまい。その後の低迷を招き、結局エディさんも解任されています。問題なのはエディさんの解任は、インテグリティの問題でなく、成績の低迷の問題なところです。その後のイングランドも横暴さがめだって好きに慣れません。
これからの世の中は「勝利至上主義(ゲームに点数で上回る)」だけでいいのででしょうか。本来さまざまな価値観があり、さまざま勝利の形があるはずです。競争だけが目的ではありません。
世の中、高度資本主義、グローバル資本主義などもう見直しの時期にきています。代表チームが良い成績をだせば、日本のラグビーの裾野は広がると思います。強大なマーケットが形成されます。それを金儲けにつかおうと、また強大な資本、利権が交錯します。もう今はそんなことで良いのか考え直す時期にきているのではないでしょうか
代表チームが良い成績をあげれば、ラグビーの文化も広がるでしょう。問題はその時の日本のラグビー文化の中身です。願わくは勝利至上主義以外でも共感を得て、感動をもらえるような、ラグビー文化であってほしいと願います。その頂点としての代表チームであってほしいと思います。
4,一番良いシナリオは
一番いいシナリオは、エディさんがやりたい放題やってもらい、利権や地位や肩書に凝り固まったラグビー協会の古い体質をぶち壊し、新しい若い日本人の監督でオーストラリア大会に乗り込むこことになるというのではないでしょうか
その後、リーグワン、大学ラグビーのあり方やジュニアの育成などの議論が進んでほしいです。大学ラグビーには独自の文化があってよいと思います。高校ラグビーもそうです。それらが、地域や風土に根ざしているのならより素敵です。ラグビーという無形の資産、「社会的共通資本」として、流行りの言葉で言えば「コモン」として共有し、そこから誰もが様々な形の「幸せ」を享受できる世の中になってほしいと願います。