100回目の花園が開幕した。いや花園になったのは1961年からであるので左記の表現は誤りである。正式な名称は、「第100回全国高等学校ラグビーブットボール大会」という。そこには選手権大会の文字はない。多くの高校、学生の全校大会は選手権大会である。例えばサッカーは、「全国高校サッカー選手権大会」、バスケは、全国高等学校バスケットボール選手権大会(ウィンターカップ)夏の甲子園は、「全国高等学校野球選手権大会」である。「選手権大会」とは、チャンピオンシップでナンバー1を決める大会につけられる呼称である。したがって、「選手権」の文字のない花園のラグビー大会は「特にナンバー1を決めるのが目的の大会ではない」という思いが込められているはずなのだ。逆にいうと勝ち負け、勝ち上がりよりも、出場しそこでゲームを行うこと、さらにはそこで自分たちのラグビーを精一杯披露することに価値があるのだ。
例年と違う1回戦をリモート観戦しながら、上記の様なことを思った。
前回の記事で日本でのトーナメントという言葉の歪みを書いた。(かいつまんで採録すると、トーナメントは中世の馬上槍試合からの名称で、大会そのものを表し、チャンピオンシップを決める大会のことではなく、いつしか日本で負けたら終わりのノックダウン方式ののことをトーナメントと呼ぶ様になってしまったこと)日本人一を決めたいという日本人の感情がこの負けたら終わりの大会が当然のこととなって根付いてしまっている。「選手権」の文字のない花園の大会も例外ではない。
今年の100回大会はコロナ禍のことを除いても特別である。様々な試みがなされた。記念大会ということで、出場校を64校(最優的には63校になった)に増やしたことだ。
それがこの1回戦である。例年なら2回戦から出場する強豪校が、一回戦から出場する。近県同士の対決も組まれた。それよりも、出場枠を増やすことで、一部に2枠与えられ、さらに秋に各地区でオータムチャレンジトーナメントという大会がおこなわれ、各県で2位のチームに再チャレンジできる機会が設けられたことである。それにより今回4校の初出場校が誕生した。27日にはそのうち3校が出場した。
2枠に増えた埼玉からは、川越東高校が初出場した。近県同士のマッチアップとなった、相手は、近くを流れる荒川の上流に位置する群馬代表の明和県央、残念ながら敗退したが、溌剌としたプレーを十分に発揮でした。特にキャプテンの江田君のがむしゃらに前に出るプレーぶりは好感がもてた。
中国地区でオータムチャレンジトーナメントを勝ち抜いた創志学園は、同じ中国地区の島での石見智翠館にチャレンジした。中国地区と四国はラグビーの普及に関して難しい状況になる。石見智翠館は旧名称の江の川時代から数えて、なんと31回の連続出場であり、地区予選は1試合のみ、それも例年100点ゲームで勝ち上がるという状況。旧世代のいわば形骸化し、歪んだトーナメント方式の遺物の象徴であると言える。(石見智翠館には責任はない。素晴らしいチームであり、それがが古いと言っているわけでななく、大会の方式としての旧世代の遺物と言っています)対する平成22年設立という岡山の比較的新しい学校。岡山では玉島高校に花園の道を阻まれてきた。今年も玉島に決勝で敗れ、新しい方法のオータムチャレンジで再度勝ち上がってきた。いわば新世代の新方式の象徴としての出場であると言える。ライバルであった玉島も全く歯が立たない果敢に挑戦した。結果は惨敗。それでもその足跡はしっかり花園のグランドに刻みつけた。
そして、同じくオータムチャレンジで再度勝ち上がり花園の地を踏んだ四日市工業は、素晴らしく前に出るディフェンスを披露し、花園常連である長野の岡谷工業を圧倒したほとんどのトライはターンオーバーからという素晴らしいラグビーであった。解説の野澤氏の表現を引用すると、「まさにハイランダーズか」ということである。こんな全く新しいラグビーを見れて感動するし、嬉しく思ってしまう、ニヤニヤが止まらない。
この新しい方式の覇者の2番手としての四日市工業が30日には今度は、新方式1番手の創志を退けた旧方式時代の覇者、石見智翠館にチャレンジすことになった。 これも楽しみである。