コロナ禍の中 アルベール・カミュ「ペスト」を読む(その2)

カミュの「ペスト」から、言葉を拾い集めて紹介したい。少しだけ引用をさせていただいて、一緒に考えてみようと思う。(ペストとあるのはコロナと置き換えて読んでみてください)

1、緊急事態宣言に際して

アルベール・カミュ「ペスト」1部はこういう言葉で締められる。
市長が植民地総督からの電文を見せる。
(前略)「ペストチクデアルコトヲセンゲンシ シヲヘイサセヨ」

そして2部はこう始まる

この瞬間から、ペストはわれわれすべてのものの事件となった

「ペスト」でのオラン市のロックダウンでは、街から逃亡しようとしたものは逮捕されるだけでなく、銃殺もされる強制力を持っている。

欧州の街は、城塞都市であるので、門を閉めれはロックダウンが可能である。そもそも都市とか市民という概念がある。日本の歴史上では堺市など数例しかない。現在日本の場合は無秩序に都市は広がっているのでロックダウンはできない。行き来は自由で封じ込めは難しい。そこには個人の意思と協力が必要。

日本では都市のロックダウンができない。しかし個人の意志での家庭でのロックダウンは可能であり、外出を避けることはできる。

この緊急事態宣言で、今度こそ、地域のすべての人の問題になったであろうか。

人々は自分が自由だと信じていたが、天災が存在する限り誰も自由になれないのだ

2、抽象には抽象で戦う

現在毎日コロナの感染者の数字が告げられる。数字は具体的なようだが、それは意味を持たない。感情を持たない。数字という抽象的な状況だけが変化していく。数字の下に隠れている感染者の苦しみや犠牲者の痛みを伝えてはない。

 

ペストは抽象と同じく単調だった

抽象と戦うのは、多少抽象に似なければならない

 

行動を変えることは具体的であるが、意識を変えることは抽象である。自分が感染者であると思っての行動が必要である。自分が保菌者であるならば人にうつさないためにどうすれば良いか?そこには想像力が必要。想像は抽象であり、その抽象性で戦わなければならない。そうやってこそ意識を変えた行動に結びつく。これはやっても良いのか、やってはダメなのか、緊急事態宣言でも具体的に事細かに禁止行動すべてを明らかにすることは無理である。

一つ一つは些細な行動を変えた力の結集として、感染者数や増加率など抽象的な数字で戦わなければならない。

3、思考停止になるな


絶望になれるのは絶望そのものよりも悪い

緊急事態宣言は5月6日までとされる。しかし、それ以上の長期戦になることがおそらく予測される。

「ペスト」の場合はやはり春4月16日に始まって、収束は冬になっている。

これから単調な毎日が続くことが予想される。

怖いのは慣れである。
さらに怖いのは思考停止である。
行動は停止しても思考は停止してはならない。

4、ヒロイズムは入らない

医師のリウーの言葉として

ペストと戦う唯一の方法は、誠実さです。(中略)
私の場合は自分の仕事を果たすことだと思います。

誰か救世主(スーパーヒーロー)が現れて、すべてを解決してくれることなんてない。また、過大な正義感に燃えて自分の力以上のことをやろうとしたり、個人の偏った理念や意見を押し付けようとすることなんて返って逆効果になる。

医学や専門知識の持たない私たちは、自分のやれることを誠実に地味にやることが仕事を果たす事になる。

 

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