現在真っ最中の6ネイションズ、1822年から始まっていますが、最初は英国の4チームだけで、フランスが加盟したのが1910年、なぜならフランスは弱小で当時全く英国勢に歯が立たなかったからです。
フランスが初めての1勝をあげたテストマッチは、2年目の1911年パリ、コロンボ競技場で行われたスコットランド戦でした。16−15でフランスが勝利したのですが、このテストマッチではいまでは考えられないとんでもないことが起こっています。
1911年パリ
パリのコロンボ、スタンドはすでに大観衆で埋まって、スコットランドを迎えてのテストマッチのキックオフを今か今かと待っています。
ところが、フランス代表のウィング、シャルルがまだ到着していません。
試合時間は刻々と迫っています。
フランスの監督、GMはイライラしながら、それでもまだシャルルの到着を待っていました。
この時フランスの首脳陣には2つの選択肢がありました。一つは14人で戦うこと、もう一つはマッチコミッショナーに申し出て、キックオフ時間を伸ばしてもらうことです。
フランスの首脳陣は揉めます、選手たちは14人ならもはや負けたも当然だから、試合を放棄しようというじゃないかという者も現れました。
シャルルはまだ捕まりません。騒然ながら当時は携帯電話やメールなどありませんので、シャルルのいどころさえわかりません
試合開始時間はさらに刻々を迫って来ています。
フランス代表首脳陣がとった行動とは
この時フランスの首脳陣はとんでもない手を取ります。
観客席の最前列の観客の中に、当時の陸上短距離界の大エース、アンドレ=ブランケネルを見つけます。
GMは決めます。「彼ならウィングができるだろう」
まず、チームのメンバーの説得に回ります。
「実は今日は皆に隠していた秘密の策がある。陸上のスターのアンドレがウイングをやってくれることになっているので、皆、是非初勝利を目指そう!」
「おう、やってやろうじゃないか!!」
これにフランスメンバーは答えます、意気が上がります
そう考え、今度はアンドレに、試合に出るように画策に回ります。どう説得したかはわかりませんが、ロッカールームに連れ込んで、正規ウィングのシャルルのジャージを着せてしまいました。
もちろん、アンドレ=ブランケネルは陸上選手なので、ラグビーなどやったことはありません。自分でもなぜ今ジャージを着させられているかもよくわかりません。目を白黒させながらロッカールームにいるとついにキックオフの時間がきてしまいます。
何もわからず、そのままの流れで、他の14人とグランドに飛び出してしまいました。
その後の顛末
その頃、大遅刻の正規ウィングのシャルルはやっと競技場につきました。大慌てでロッカールームに行きますが、自分のジャージはどこを探してもありません。
グランドを見てみるとすでに15人揃っているではありませんか、その時彼は自分が「クビ」になったことを悟りました。
ゲームは、士気の上がるフランスがスコットランドに挑み、前に書いたように16−15で勝利します。アンドレもトライことあげませんでしたが大活躍です。観客も大喜び、そしてこれは、フランスが英国のホームユニオンからあげた歴史的1勝になったということです。
陸上スターのアンドレは、そのまま代表チームに残りテストマッチにも何度か出場しています。
クビになったシャルルはその後一度も代表に選ばれることはありませんでした。
大河ドラマ「いだてん」に出てきそうな話ですね。フランス代表のGMはちょうど役所広司演ずる嘉納治五郎みたいです。「いだてんは来る、絶対に来る」と言ったかどうかはわかりませんが。
この話信じるか信じないかはあなた次第です。