ジャパンの戦いは見事であった。フィジカルや戦術やスキルやスタミナやははほぼ互角と言えた。気力やファイティングスピリットはイングランド以上だったとも言える。灼熱のニースのスタジアムに集まったファンにもジャパンの実力やその戦う姿勢の魅力の程は十分に示すことができたといえる。
ジャパンは勝つことのできるゲームであった。そのチャンスは十分にあった。
ジャパンの前半は、いきなりの自陣5mスクラムをはじめ、昨年やられた課題のスクラムで互角に戦えた。まさに「痺れるスクラム(長谷川コーチ)」だった。具くんの痛みを隠しての頑張りには涙が出た。そのほか、何度かゴール前の猛攻もふせげたし、心配されたコンテストキックの対応も問題はなかった。さらにイングランドのWTBを封じるようなラッシュディフェンスに対して、その裏のスペースを狙った小キックも多用した。いきなりのマシレワの離脱にたいしてもレメキが控えていた。つまり、あらかじ想定したイングランドの戦い方に対し、チームとしてしっかり研究、何手先までも想定し、十分に準備できて対応できていた。「勝つ準備はできている(姫野)」のだった。
でも結果はノートライに抑えられ、最後は点差を離されての敗戦である。
事実、まだイングランドとの差は歴然であった。
それはフィジカルやスキルや戦術、練習量などの差ではなかった。
いわば「ラグビー感覚」「勝負感」など肌感覚の差である。
それはイングランドが200年積み重ねた「歴史」や「伝統」「ラグビー文化」との差と言ってもいいし。イングランドが母国としての「威厳」や「誇り」「意地」の差であるとも言える。
具体的にはその差はゲームの中で、チャンスやピンチの一連の時間の流れの場面、もしくはその「流れ」の中で突然現れるコンマ何秒かの「一瞬の場面」に、見ることができる。
たとえば、前半終了間際に得点10−9の場面で、インゴールからタッチキックを蹴ってしまい逆襲され反則を犯し、PGをきめられ13−9とリードを広げられ前半終了となった場面。イングランドが逆の場面だったら、時間をつかって確実にタッチに蹴り出したであろう。たとえば、後半のイングランドのパスミスでマーラーのノックオンとおもわれジャパンの一瞬ディフェンスが緩んだ場面(結局ヘディングでノックオンではなくトライ認定)。それが不運だったでは済まされない。イングランドであったらその時、近くのものは絶対に無意識にタックルにはいっているはずである。
更には3番のそのマーラーが後半にゲンジに交代する際に、ジャパンのスクラムの特徴を耳打ちしてピッチを去った場面。それは、その後のスクラムは徐々に差がでてきた。マーカススミスなどゲーム終了前に交代で入ってきた選手たちもそうだ。自分たちの役割が何かを全員がわかり切っており、最終的に4トライ目も取り切りBPも獲得してしまった。
イングランドはその時間の流れやその瞬間を見逃さない。その結果チャンスは多くの確率でものにし、ピンチも多くの確率でのりきることになる。
その場面やその瞬間に、何が必要か、何をなすべきか、なにが成されるのか、それらが肌感覚として身についている。血肉になっている。しかもピッチにいる全員がそれを身につけている。各選手はその瞬間に特に特別な判断などしていない。無意識のうちにただ的確に動けている。
残念ながら、まだ頭で理解しているジャパンがこの域に達するにはあと2世代(=60年)ほどはかかるだろう。日本の日常生活にラグビー文化が根付き、現在の孫の世代までそれが継続できたときにはじめて肩をならべることができる。例えばお茶の間でおじいちゃんとお父ちゃんとお母ちゃんがこの日ゲームをTVで見ていて、ああだこうだと意見をかわしているのを、そのそばで3歳の息子がおもちゃをいじりながら聞いて育つとかだ。
(不可能なことではない、日本の野球文化はベースボール文化と肩を並べている)
振り返ってみれば、この日もイングランドの出来はイマイチだった。はっきり居てもたついている。フォードやミッチェルのキックも精度もよくない。フィールドキックは長すぎたりしている。あれだけ神がかっていたフォードも簡単なPGをミスしたり、キックのチャージ受けたりしている。ハンドリングも十分とは言えない。アルゼンチン戦で100%だったラインアウトもミスが目立った。
ジャパンは60年遅れているといっても、イングランドに全く勝てないことはない。例えば10回やれば1−2回ほどは勝てるほどにはなっていると思う。その中の1回が18日早朝のゲームだったのにそれを逃してしまったのが残念だ。
今回トライがなかったことも気がかりである。
しかし、ジャパンはまったく悲観することはない。コーチングは的確で、事前準備は万全で、遂行能力もかなりの水準にある。次のサモア戦、アルゼンチン戦には期待できる。全力で応援したい。