JAPAN USA戦 テストマッチのステイタスと品格

強烈すぎる猛暑だった2014年の日本の夏。
その中でももはや暑さの代名詞でもある「熊谷」。
この日も9月になったとはいえ、日中は摂氏35度に迫る状況。

一般の人ならば、こんな時にわざわざ都心から熊谷までなど、足を運ぶのは避けたいと思うのが本音だろう。その上チケット代真ん中の席では1万円を超える高額ときている。チケットの購入方法も一般人にはわかりにくい。ワールドラグビー主催のパシフィックネーションという新しい大会のフォーマットもわかりにくい。

案の定、高額な真ん中の良い席はがらがら、左右の安価な席にはそれなりの観客で埋まっているそいう光景。それでもこんな条件の元、2万5千人収容の熊谷ラグビー場に1万人を集めたのはかなりの上出来であったとみるべきなのかもしれない。

キックオフの3時間以上前の16時には、すでに熊谷駅からスタジアムまでの3.5kの灼熱の行程には、桜のジャージを身にまとって歩いてる人も多く見かけた。

この者たちは、きっと新生エディジャパンの成長の過程を一瞬たりとも見逃したくない人たちなのだ。一刻も早く長い時間を同じ選手を同じピッチと一体化したいのだ。そんな人の多くがこの熊谷に集まった。この1万人こそは、生粋のラグビーファンであったはずだ。

残念ながら、現状の日本のラグビーの実力は成長過程であり、世界のトップレベルは更に先に行っている。世界と間には格段の差があるといわざるをえない。

この日に同時期に行われたケープタウンの南アとオールブラックスのゲームには5万7千人が詰めかけた。ケープタウン出身のエツベスの出身高校の生徒数百名がピッチの中央で南アフリカ国歌を歌った。感動的であった。オールブラックスのカパオパンゴに対して前戦のハプニングの謝罪のリスペクトがあった。そしてゲーム内容も熱や緊迫感が伝わってくる。一つ一つのプレー身のこなし、激突などそのものが何度も繰り返して観ても飽きないような質の高さだ。観客もキックオフ直後から甲子園の9回裏のように一つ一つのプレーに一喜一憂する。

また、南米のサンタフェではアルゼンチンがワラビーズと対戦した。日本はアルゼンチンと昨年のW杯、フランスはナントの地で8入りをかけて競った相手だ。そのアルゼンチンは躍進している。先週はオールブラックスを破り、この日はオーストラリアを67−27で破る圧勝という快挙なのだ。差は広がる一方だ。(まさに、あなたは先の方、もっと先の方なのだ)

対戦相手のアメリカチームはアウェイ、猛暑&中4日の長距離移動という不利な条件の中、よく戦ったと思える。11番の素早い移動や8番の攻撃、キャプテンのペーターソン選手の風格など魅力的な面も多い。

ただ残念なことに、アメリカチームもラグビー発展途上と思えてしまう面が目についてしまった。
たとえば、ゲーム前の練習内容を観ても、なんとも気が入ってないようだ。贔屓目に見ても理にかなったウォームアップには思えない。コーチングレベルの質の程度がうかがわれる。そこからいったんロッカーに引き上げる時も、今やどのチームも行っているような一塊になって引き上げるようなこともなかった。
ゲームの最中でさえ、高校生でも監督に大目玉を食らうような、ボールに背をむけて戻る選手が居たりもする。(流石にSHの藤原は見逃さない)。ノーサイド直前も勝敗はもう決まっていても最後の最後までトライをとろうとする意識がなく、自らボールを蹴り出して試合を終わらせてしまった。
勝ち負けに関係なく準決勝進出がきまっていたからだろうか、残念である。

だが、今の日本のラグビーには、そんなアメリカチームを嘲笑する立場や資格など全くない。ちょっと前までの日本のスタッフも選手もファンもメディアもファンも世界のラグビーのレベルや常識を知らないことでは、まったく同じレベルかそれ以下だったのだ。大畑は最新のインタビューでその当時「だれからも世界のラグビーのことを教えてもらえず、いきなりW杯で対戦した時にその差に愕然とした」と語っている。その中で、先日75歳で亡くなった小林深緑郎さんは、たった一人で世界の情報を仕入れて世界のスタンダードなラグビーとその文化、歴史、裏話などを熱心に伝えてくれていたのだった。そして前回エディさんが就任してからのジャパンは格段の進歩をとげている。19年のW杯では「にわかファン」を大勢獲得できた。「ワンチーム」は流行語大賞を獲得した。しかしそれでもラグビーの人気や文化などの定着には至っていない。

協会の運営マネジメントや試合の演出は、なんともお粗末きわまりない。二流三流で品性が感じじられない、なんともまだまだなのだ。

身の程知らずに法外に高額な価格設定。しかも訳の分らないグッズ付きチケット。先行抽選という取得システムの怪しさ。熊谷という会場の地政学的な問題。陳腐な場内のアナウンスと曲でのジャパン応援の強要(イングランド戦から続いている)。多数のキッチンカーによる飲食、物品販売。イベント。主催者はサービスを提供しているつもりなのだろうが、安直である。それらにテストマッチの品格を上げるようなリスペストがあまり感じられない。そこに日本のラグビー文化の未熟さを感じざるをえない。スポンサーのアサヒビールは20本いりのスーパードライをTVカメラが捉えた数十組のグループに当たるという大盤振る舞いで観客を盛り上てはいたが、それもどうなのだろう。短絡的で陳腐な企画ではなかっただろうか?(そういう私もアンチドライ派なのに、箱いりドライが貰えないかと観客席で猛アピールしてしまったのも事実なのだが・・・)

こんなことにお金をつかうより、ラグビーそのものや両チームのプレーヤーたちをリスペクトするようなこと、さらに将来のある子どもたちがラグビーを好きになってもらえるようなことに、費用や時間をかけるべきではないだろうか。(スーパードライは未成年の子どもたちに無用な代物である。すくなくとも近隣のラグビースクールの子どもたちを招待するくらいはできたはずだ。)

そして、最低でも国歌は録音テープを流すだけでなく、生演奏、生歌で行うべきである。そして、日本応援に偏った応援の強要を煽るだけでなくアメリカチームへの尊敬や感謝も表すべきであった。(その応援ソングの一つがアメリカ民謡だったことは、勘違いされたかもしれない。それともそれを気づかないほどの浅はかさだったのか。そしてハーフタイムに「サーフィンUSA」が流されたのは果たしてどんな思いつきなのか。)

前日にパシフィックのフィジー、トンガ戦もあった。会場はまるで日本にある地方の陸上競技場でバック席は芝生という素朴極まるスタジアム。なんとそこを野良犬が悠々と闊歩している。観客も300人くらいだったかもしれない。それでも、そこにはテストマッチとしてのラグビーの価値の重さを感じさせるものがあった。
トンガのトゥポウトア・ウルカララ皇太子殿下が民族衣装に正装して貴賓席に陣取って、両チーム全員を祝福して迎える。両チームのメンバーは順に階段をのぼっていき、国王はリザーブを含む全選手と握手し激励をおこなった。
もちろん国歌斉唱は生歌だった。双方の歌い手は共に着飾って登場し、通常よりもゆっくりなテンポで、言葉の一つ一つを丁寧に歌った。情感がこもている。意味がわからなくてもビンビン伝わるものものがあった。
その後のゲーム前の両チームのハカは圧巻だった。トンガが先に仕掛け、感極まったフィジーがそれに呼応して、ハカの応酬が始まった。とてつもない気合のいれようだ。もちろんゲームも激しく29−0と差がついた後でもトンガの気迫は最後まで切れなかった。

そんなわけで、まだまだ日本のラグビーやラグビー文化は世界的なテストマッチにはほど遠いと言わざるを得ない

しかし、このジャパンは伸び代がある。ただいま急激な成長中であり、果たしてどこまで伸びるか楽しみである。それには選手だけでなく、スタッフやファン、協会などの地道な活動の継続や実績の積み重ねが必要なのである。

そうすれば、いつの日にか日本のラグビーの、そしてラグビー文化の花は開き、花は実をつけ、種となり、地に根付き、しっかり将来に繋がっていく、そんな世界が実現する日がきっと訪れるはずである。

それは早ければ、27年のW杯のときかもしれない。
それ以降にも及ぶ長い道のりが必要かもしれない

その時が本当に訪れた暁には、新生エディジャパンが国内テストマッチで初勝利を上げ最初の一歩を踏み出した2024年のこの日、暑かった夏の熊谷の夜を思い出して、ビールを片手に笑いながら語り合うことができるはずである。その際はパインドグラスは何杯もが空になることは間違いが無い。

その特別なプライスレスな幸せを享受できる資格があるのは、この日に熊谷に集まったラグビーを愛する1万人だけの特権なのである。

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