ラグビーの世界史を読む 第四回 第3部ラグビーを世界へ

いよいよ第3部です

下記の9章から12章で成り立っています。

第9章 ニュージーランド
「色く長い雲のたなびく国のオールブラックス」

第10章 南アフリカ
「ゴクのゲームからスプリングボックスへ」

第11章 オーストラリア
「ワラビーズとカンガルーズ」次回

第12章 アメリカ合衆国とカナダ
「ラグビーからアメリカンフットボールへ」次回

 

第9章 ニュージーランド
「白く長い雲のたなびく国のオールブラックス」

白く長い雲の国は国歌にも歌われれる「アオテアオロラ」ニュージーランドのことです。

オールブラックスよりも先に、マオリ族中心の代表(今のマオリオールブラックス)がイングランド遠征をおこなったという史実が明らかにされます。

その上にイングランド代表とのゲームでは、タックルを受けたイングランド代表のセンターの選手のパンツが脱げ、ふる●●になってしまうというハプニングも勃発します。しかもニュージーランドの選手が集まってパンツ履き替えを隠してやっている間に、イングランドがチョン蹴りからトライをとってしまい、それをレフリーも認めてしまうという珍事も起きます。さらにさらにこのゲーム、そのレフリリングに呆れたニュージーランドの選手がやる気を無くしてしまい。結局イングランドが4−0で勝利するという話です。

マオリ中心というのは当時のイングランドの南方ブームにあやかって興行という面もあったようです。マオリ族だけで構成する計画が、人数があつまらずマオリ以外もメンバーに入っています。が、既にハカは披露され、ジャージは黒一色になっています。

1905年続いてイングランド遠征をおこなったのは、おなじみの伝説の「オリジナルオールブラックス」。

連戦連勝で、最後のアームスパークのボブディーンスの幻のトライがあった遠征です。オールブラックスの名前もここから付けられました。ジャージは黒にシダのマークが入っています。

この本では、ウェールズの前のスコットランド戦、さらにアイルランド戦についても詳しく描かれています。

 

ところで、この章の書き出しはこうあります。

一見しただけでニュージーランドがラグビーの超大国になるのは避けられなかったように思えるだろう。なんといっても「トムブラウンの学校生活」でラグビーの手ほどきをしてくれたトムの親友ハリーイーストは続編「オックスフォードのトムブラウン」で大英帝国の新たなるフロンティア征服を助けるために、ニュージーランドへ移住するのだから。

(私は「トムブラウンの学校生活」に続編があるなんて知りませんでした。本当なのかと調べてみたら確かにありました。)

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第10章 南アフリカ
「ゴクのゲームからスプリングボックスへ」

 

南アフリカのラグビーの起源は、1849年、ケープタウンに設立され、のちにビショップスと呼ばれる事になるディオセサンカレッジです。

ここの教諭のジョージグルービーが英国のウィンチェスター流のフットボールを教育に導入します。

丸いボールを使ったが、ホットと呼ばれるスクラムがゲームの中心。得点はゴール、コンバージョン、ビハインド(キックによってゴールラインを割った時)に与えられる。(中略)チームは十五人だった。

これはグルービー先生のフットボールから「ゴクのゲーム」と呼ばれるようになった、

その後1860年代には、ダイヤモンドラッシュにより、多くの英国人が移り住むことになり、スポーツを楽しみ富ももたらした。

1876年からはルールをめぐる論争が起こり、その決着はイングランド人のミルトン氏が行い、1873年にいわゆるラグビールールでの統一が実現する。最後まで抵抗したのが当初に名前が出た、ディオセサンカレッジのみが最後まで統一化には反対した。

経済と移民が南アフリカの諸地域を一つにまとめるにつれて、ラグビーは国家統合の役割分担を果たし始めた。

19世紀には、これらはすべての人種のスポーツであった。
あらゆる肌の色、あらゆる地位の男たちの姿が見られた。

ただし、アフリカーナだけは唯一この流れから取り残された。彼らは集団スポーツが嫌いで、射撃など個人競技中心であった。また何年もの間イングランドとの抗争があったので英国式のスポーは嫌われた。
しかし、それが1、2世代でガラリと変わる事になるのです

このアフリカーナへのラグビー普及の功労者として、スコットランド人のビルマクラガンの物語が語られます。

ビルマクラガンは、スコットランドのキャプテンとして25キャップを果たしたがその花道として、スコットランド、イングランド合同チーム(初めてのライオンズとされる)の南アフリカ遠征のキャプテンに選ばれます。
(ビルマクラガン)


(汽船ダノーダーキャッスル号での南アフリカ遠征する第一回ライオンズ)

このチームは3連勝するが、どのゲームも観客で埋まらましした

さらに、彼はアフリカーナの抵抗の象徴であったボールクリューガー首相とも対談が行われます。南アフリカ人たちは英国を本国と見ており、英国の一番のスポーツがラグビーだったので、この対戦は本国との絆や国際競争を戦うことを思い起こす事になるのでした。

 

この章の冒頭では、ボーア戦争のことが書かれます。ここでの主人公はソミーモーケルでという人物です。

1900年モーケルらアフリカーナー1500名がブルームフォンティンに集結し、英国軍の前進を阻止しようと待ち構えますしかし英国軍は強制突破、モーケルなど22名は最後まで抵抗しました

(第二次ボーア戦争 イングランドとアフリカーナが植民地の支配を巡って争った)

しかしついに捕虜となり、セントヘレナ島の捕虜収容所に送られてしまします。セントヘレナ島は、ナポレオンが島流しにされてその生涯を終えた大西洋に浮かぶ孤島です。
モーケルらはここで2年の服役の間を過ごす方法として、ラグビーを提案しました。
その提案は受け入れられ、収容所の中でトーナメントが行われるようにまでなります。

話はこれからで、
なんとソミーモーケルは帰国後、スプリングボックスのメンバーに選ばれます。

(英国遠征する初回スプリングボックス、前段真ん中がソミーモーケル)

そして、その年スプリングボックス英国遠征を行います。同じチームのメンバーには、戦争では敵同士であった、英国人のミラー、ドビン、ラフの三人もいました。そして、ロンドンの4万人の観客が埋まるクリスタルパレスで、自分を撃ち殺したかもしれないイングランド代表とのテストマッチを戦うのです。

 

第11章 オーストラリア
「ワラビーズとカンガルーズ」

 

第12章 アメリカ合衆国とカナダ
「ラグビーからアメリカンフットボールへ」

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