2023年W杯でフランス各地を訪れる際に、歴史を知っていればさらに訪問の価値も意義も深まると思います。
フランスの歴史の中には、時代を左右させた様々な女性の姿があります。もちろん誰も知っていて有名なのはマリーアントワンネットやジャンヌダルクなのでしょう。しかしそれ以外にも、数奇な運命の元、私欲と陰謀が交錯し、裏切りと背徳に染まった女性がたくさんいます。そして彼女たちが結果的に歴史を動かしています。それが大抵はおぞましいいほどの血の匂いがして生臭いものなのです。その中には、単なる噂に過ぎないものや、いつの間にか闇に葬られて史実としては認められていないこともたくさんあります。このシリーズではそんな話を掘り起こしてみたいと思います。
時はフランス革命の混乱のさなか、ロペスピエールの共和制を目指すジャコバン派は、対するジロンド派を力で排除して、恐怖政治へと向かう。
その首謀者の一人マラーを入浴中包丁で刺し殺したのが、このシャルロットである。美人で淑やかで上品な女性に見える。ナイフで人を殺すようなタイプにはとても見えない。
その現場はダビドの手による、この有名な絵になっている。見るからに恐ろしい絵である。
マラーは皮膚病を患っており、自宅で薬草の湯に浸ることでその症状を緩和するのが日課となっていた
手に持っているのはジロンド派の反革命者のリストである。メモを取っている最中に刺し殺されたのだ。
シャルロットは地方のカーンに逃げてきたジロンド派の影響を受けた。そして、純粋な正義感と英雄願望で道を誤ってしまった。
シャルロットは1793年7月9日、叔母の家から、パリに単身上京した。7月13日、人民のために門戸を常に開いていたマラーを訪ね、彼らに対して陰謀がめぐらされていると言って傍に近づいた。皮膚病を患っていたマラーは、浴槽からそれを聞いていたが、面会を許す。シャルロットがカーン市でのジロンド派の名前を話し終えると、マラーは言った。「明日この人たちはギロチン送りだ」その時シャルロットが隠し持っていた包丁で心臓を刺され絶命する。
このシャルロットの軽率な行動は、意に反しジャコバン独裁、ジロンド撲滅への道を急がせることになってしまった。