桜の開花も宣言されて、いよいよ日本列島春本番です。
ラグビー日本代表の胸のエンブレムはご存知のように桜です。
ただし、この桜のエンブレムは徐々に変化してきています。
世界中でエンプレムのデザインが変わっていくということも珍しいのですが、そこには当時の深い意味合いが込められているのです。
時は1930年に戻ります。
この時日本ラグビーは初めての日本の代表チームを編成し、海外遠征を計画していました。遠征先はカナダです。BCコロンビアとのゲームが組まれました。
さて、遠征の計画は決まりましたが、ジャージやパンツ、ジャージのエンブレムはどうするのか、まだ何も決まっていません。
まず、ジャージの色から議論が始まりました。
「やはり、日の出る国、ニッポンは、日の丸の赤でしょう」この意見が多数ありました。
しかし、赤は英国の強豪国レッドドラゴン ウェールズと同じになってしまいます。
そして、赤白の段柄とすんなり決定しました。
今ではラガーシャツといえば横縞の段柄を思い浮かべると思いますが、当時もすでに日本では慶応のタイガージャージ、早稲田の赤黒(臙黒)、など段柄でした。
やはり英国や先輩の国に少し遠慮して、段柄を選んだのでした
次はエンブレムをどうするかです。
ここで意見が真っ向から2つに分裂します。
それは「動物派」と「花などの植物派」です
確かに、海外の代表チームのエンプレムは国を代表する動物か花などに由来するものが多いわけです。当時もそれを参考に意見を出し合ったと聞きます。
「動物派」はオーストラリアはワラビー、南アフリカはスプリングボック、ウェールズはドラゴン(龍は動物?)、フランスは雄鶏。
「植物派」は、イングランドの薔薇、スコットランドのアザミ、アイルランドのシャムロック、NZのシダなど。
「動物派」の主張は「強さを表したい」というものでしたが、日本を代表するものとして、候補に上がったのが、ニホンザル、イノシシ。
一方「花植物派」が出した案は 「桜」一押しでした。
そこで「動物派」は反論します。
「桜はすぐに散ってしまって、負けることを連想させ縁起が悪い。」
確かに、戦国時代の家紋には桜を描いたものはなぜがほとんどありませんん。
「桜派(もう花動物派ではありません)」は反論します。
「桜は国際的にも日本を連想させる花だ」
「潔く散るということも武士の魂を象徴している」
「それは負けるのではなく、正々堂々と戦えということだ」
「さるやイノシシでは選手からも文句が出るでしょう」
こう言われては。「動物派」はぐうの音も出ません。
そして、やっと桜に決定し、大急ぎでデザイナーにデザインを発注しましたが、できてきたのが次のものでした。
「桜派」としては満開の桜をイメージしたデザインを要望したのに、デザイナーが間違えてしまったのです。なんと3つの桜の花のうち、1つは蕾、一つは半開きではありませんか。
議論が長すぎてしまい。もう作り変える時間がありません。もはやこのまま使用するしかありません。
当時の団長、香山はこう言っています
「確かに日本のラグビーは、まだ蕾か半開きだ、今回の相手もカナダがやっと受けてくれた。」
「いつの日にか本場の英国のチームとゲームができるようになった時その時にエンブレムを満開にしよう。それまではこのエンブレムで行こう。」
日本らしい奥ゆかしい話です。
エンブレムが今のように満開に花になったのは、それから時を経つこと22年。1952年。日本も戦後の混乱も収まりつつありました。英国からオックスフォード大が遠征してきます。
最初のゲームは大阪花園でした。本場の英国のチームとのゲームがかなった瞬間です。
その時、晴れて胸のエンブレムは今と同じ満開の桜になりました。
この話、信じるか信じないかはあなた次第です。