「ラグビーを哲学する」のシリーズは、多くの哲学思想にラグビーを当てはめて考えようとする試みです。ラグビーの本質をよく知ることにもなりますが、同時に哲学のおさらいになり、普段の生活を見直してみることにもつながっていくかなと思っています。
ニーチェ
ニーチェはその有名な言葉である「神は死んだ」と神を否定します。
ここで言う神はキリスト教のことで、キリスト教は強くなりたいのになれない、弱者が救われるとする宗教で、その根本にあるのが、妬みや嫉妬感=「ルサンチマン」だとし、「奴隷の道徳」として非難しました。
ニーチェはそれまでの哲学が客観的真実や理性、道徳を追求する立場のなのに対し、個々の個人のあるべき姿を思考します。実存主義(=今ここにいる私)の哲学はニーチェから始まりました。
「人間は道徳的に生きるだけが幸せではなく、もっと自分らしい生き方があるはずだ」「人として、音楽や芸術や文化を愛して、美を表現したり、感動したり、愛を語り合ったりすることが幸せだなんだ。」としたのです。
そのような理想の人間を「超人」としました。
そして行き着いたところが「永遠回帰の思想」でした。
人生は段ども繰り返すとした場合、人生にはいいことも悪いこともあったが、それらを全て肯定し受け入れ、一度でも心震わせる善いことがあればその人生は何度も繰り返す価値があるのだと主張します。究極の前向き志向です。
ニーチがこの考えにたどり着いたのは、ニーチェの壮絶な人生があります。ドイツの牧師の家に生まれ、子供の頃は神童と呼ばれ、学問や音楽、試作などの才能をあっきします。24歳で大学のになります。しかしこの後が悪く、書いた本は全く売れず、音楽家ワーグナーとの関係にも失望します。17歳下のザロメに恋しますが、親友レーとの奇妙な三角関係の生活に悩み、ついに破局を迎えます。そしてその失墜の中で書いたのが、「ツアラストラはかく語りき」です。(ストラウスの名曲=2001年宇宙の旅のテーマでも知られています。)
しかしその本も全く売れず、44歳の時ニーチェはついに、イタリア、トリノの路上で、突然馬の首にしがみつき発狂します。そして2度と正気に戻ることなく10年後になくなっています。
下記、この「ツアラストラはかく語りき」に沿って、1980年代ごろから今までの日本ラグビー会の歴史をなぞってみたいと思います。
「ツアラストラはRUG語りき」 1980年代のことです 山の洞窟でこもって一人でラグビーの修行していた男がいました。ツアラストラです。長い間の思索と鍛錬の結果、一つの真理にたどりつきました。 「ようしこれから山をおりて、ラグビーの真実を人々に伝えよう」 山を降りる途中に年老いた聖人と出会います。 聖人はアマチュアリズムの美化と、なんでもコーチや先輩の言う頃を黙って聞くような体育会的ラグビーの信仰者であり、そのラグビーを神のように祭りあげ、それを頑なに主張し続けています。 ツアラストラはこんな老人の様子にびっくりして、こう叫びます 「知らないのか!もうそんなラグビーは死んだと言うことを!」 ツアラストラは街に出ます。 街でどれだけこれまでのラグビーが間違っていて、新しい自由なラグビーが必要なのかを説きます。 しかし、街の人は誰一人、その話を聞いてはくれません。当時の国内ラグビーは人気の絶頂を極め、経済も右肩上がり、バブル期を迎えていました。ラグビー部出身者は、体やコロロが丈夫でタフで、従順で、脳味噌も筋肉で、24時間働ける戦士として企業でも重要視されていたからです。 ツアラストラは、そう言った人を実は「ルサンチマン」だと言います。頭脳明晰で、創造性があり、柔軟に機転がきいて、新しい価値を創造できる人材それこと本当は優秀なことを知っていながら、それを認めず、体力勝負しかできない人たちの負け惜しみの産物だったのです。 ツアラストラは人だかりのある場所にでました。 そこでは綱渡りの見せ物が行われていました。高くピンと貼られた一本のロープに一人の男が立って綱渡りをしています。 そころが後ろから一人のピエロが現れました。ロープを揺らします。激しく揺れたせいで男は綱から転落してしまいます。 その前にもロープから落ちてしまった人が2人いました、その2人は自由に生きようとしたために、アマチュアリズムに反したとして協会や世間からパッシングを受けた、◯尾、◯八木というラグビー選手でした。 「ラガーマンは、動物と超人の間に張った一本の綱を渡っているような状態なのだ。」 1990年代に入ると、その後、日本のラグビーは完全に「ニヒリズムの状態」に陥りました。145失点の記録も残すなど、何をやってもうまくいきません。関係者もファンも国際舞台で勝てるなんで思わなく、期待もしなくなったのです。打つ手は全くなくなりました。関係者はなんの希望も持たずただ生きているだけの「末人」の状態になっていました。 そんな中、ツアラストラは夢中で、口からへびの尻尾が垂れ下がり、もがき苦しんでいた牧人に出会います。 ツアラストラはへびを牧人の口から引き抜こうとしますが、全くびくともしません。 「そのベビの頭を噛み切ってしまえ。」 牧人は蛇の頭を噛み切り、その頭を吐き出しました。蛇の頭ははくんくん言いながらも去って行きました。 蛇の頭を噛み切った牧人はもう牧人の姿をしていませんでした。「超人」の姿だったのです。かつてはラクダのような忍耐を耐え、獅子のような強靭な意思を持ち、幼な子のように純粋でわがままな性格の持ち主でした。 その超人のもとで、日本代表は南アを破ると言う衝撃を世界にもたらしたのです。 その超人は日本を去りましたが、日本代表チームはすでに超人の粋に達していました。そして続いて、2019年ではベスト8に残ると言う実績を残します。 この勢いを受けて、◯宮と言う人物が、日本ラグビーリーグの完全プロ化の大風呂敷を広げ、大改革を実行しようとします。しかし、なんとこの考えはこれはまだ生き残っていた森の妖怪達によって、完全に破壊されてしまいます。 これは日本ラグビー会がいつかきた道です。 ツアラストラはこう語ります 「これこそ永遠回帰である」 私たちラグビーファンは、この永遠回帰を認めなくてなならないのです。こんな繰り返しが永遠に続くと言う事実を、事実として受け入れなければなりません。その上でラグビーを愛し、ラグビーから目を離さずにいなければならないのです。 ニーチェは言います。「一生に一度でも、心躍る瞬間に立ち会えたらなら、その一生は何度でも繰り返す価値のあることである。」 私たちは、4年ほどの間に「ブライトンと横浜」と言う一度ならず2度までも心おどる瞬間に立ち会えたのですから、、、、。
この記事はを下記の資料を参考にしています。