藤島大さんの「北風」を読みました。
1980年台、昭和の終り頃、学生ラグビーの全盛期の青春群像が描かれます。
主人公は、中学時代はもとツッパリで福島県の公立高校でラグビーに出合い更生、一郎して早稲田のラグビー部の門を叩いた1年生のフッカー、草野点(ともる)です。
この草野君の目を通して、昭和の早稲田ラグビー部(正式には蹴球部)の最初の1年が語られます。
早稲田のラグビーの「美学」がそこにあり、同時に「理不尽さ」もあります。
今では考えられないような不思議な練習方法だったり、部の不文律などが、先輩から後輩へ受け継がれています。そこには独自のコトバもあります、それが文化です。
早稲田ならではの価値観、上下関係ではなく実力主義、自由でありながら自己責任、勝利至上主義です。
その中で主人公は、ちっぽけな自分を知り、もがき苦しみ、少しでも上へと自分の居場所を求めていきます。
それにしても、主人公の点はもとより、先輩や同僚の無機用で素朴ながら魅力あふれる猛者達。(早稲田だなー)
周辺の監督やコーチ、また、いわゆる族やラーメン屋の店主なども魅力的。
自分の限界と戦い耐えられず去る者、自ら放棄してもなお戻る者、焦燥感、怪我、さまざまな想いや行動が交錯、すべての登場人物にドラマがあり、すべての登場人物が非常に愛すべき存在です。
現代では、肉体的、精神的な人間科学の進歩があり、医学的根拠のある栄養管理、肉体増強維持管理が当たり前で、スポーツ心理学も取りいれられています。カロリー計算や血液管理、はたまた、組織運営にはリーダーシップやチーム形成の理論手法が取りいれられるなど。練習やゲームのパフォーマンス分析にはGPSやドローンの映像分析なども取りいれられています。数値やデータで管理されています。
平成が終わろうとしている今、この「北風」にえがかれた世界は、時代錯誤に映るかもしれないが、このような一時代は確かに存在し、その時代の独自の光は輝き失われていません。
(もしかしたら輝いてはいるが情報化過多の現在、すこし。目立たない存在かも)
いや今だからこそ、この時代の輝く青春群像を何らかの形で残しておくことは重要なのでなないでしょうか?
この本は小説という形を取ってはいるが、ほとんどは同時代を早稲田ともにあった藤島大さんの、記憶や取材に基づいた、ノンフィクション、ドキュメンターだと思えます。証拠に過去の藤島さんのコラムで読んだことのある内容もふんだんに織り込まれています。だが、小説という形でより「ろまん」を感じさせる仕上がりになっている。それがまた成功してるのでしょう。中大生との交流や早慶戦の後の渋谷の奥地のバーでの両校OBとの交流なども本当にあったことかもしれない。いや、普通にあったに違いない。
読書中はまさに35年前くらい、昭和の時代最後の、当時の空気感を感じただけでなく、清涼でありながら濃く、ピュアで精気に満ちた東伏見のその空気を一緒に呼吸していました。
今週末から「早慶戦」「早明戦」として大学選手権となります。
創部100年の早稲田ラグビー部、応援したいと思います。同時にライバルの慶応、明治も応援します。
今年も早稲田の寮に「寮内緊張」の文字はきっと描かれていることでしょう。
学生ラグビーには、ワールドカップ、トップリーグとはまた一味違うラグビーの魅力があります。
ところで、
藤島大さんは、ラグビー中継解説の最後に、普通なら「有難うございました」と過去形で終わるところ、いつも「有難うございます」と言います。
個人的に気になって、不思議だったので、直接お会いした時に聞いてみました。
私:なぜいつも最後が「有難うございます」で「有難うございました」ではないのですか」
藤島さん:「有難うございました」だとそれでその場で関係が終わってしまう気がして、まだまだ続くので「有難うございます」としています。
藤島大さん、さすが言葉選びが深いなあ、、、