実はこのホールがプロモーターのビルグラハムによって「フィルモア・イースト」として開業していたのは1968年から1971年の3年間という短期間である。この短期間に下記に列挙するような数々の名演奏が繰り広げられ、現代に残る名ライブ盤として残っている。
そして、閉鎖した1971年6月27日は 「フィルモア最後の日」として、いまでもロックファンにとっては一つの記念日となっている。
おなじくサンフランシスコのフォルモアウエストも1971年7月に閉鎖となる(こちらもフィルモア最後の日として映像も残っている)が、サンフランシスコでは、ブルグラハムはウィンターランドも経営しており、こちらが70年代後半まで開業している。(THE BANDのラスト・ワルツはこのウィンターランドでの収録)
フィルモア・イーストに話をもどすと、場所はイーストビレッジ、収容人数は2700名。
毎晩3組のバンドが登場し2ステージのショーだったそうである。
オールマンブラザーズ
『フィルモア・イースト・ライヴ』(原題:At Fillmore East)
録音 1971年3月12日から13日
フィルモアイーストのライブ盤ではこちらが一番知られていると思われる
完全版として下記がでたが、まだ完全には完全版ではない。
オールマンはビルグラハムのお気に入りで出演回数はもっとも多い。
ジミヘンドリックス 『バンドオブジプシーズ』
録音1969年12月 1970年1月1日
これは実は編集版の寄せ集めであった
実際のコンサートの音源は、『Live At The Fillmore East』として1999年に発売になった。
1969年12月録音
マイルス・デイビス– At The Fillmore
1970年3月7日
これも近年発売になった。メンバーにはチックコリア、ジャック・デジョネットなど。
ジョー・コッカー、『マッドドックスアンドイングリッシュメン』
録音 27–28 March 1970
レオン・ラッセル、リタ・クーリッジ、クリス・ステイントンなどを含む大所帯で、サーカス団のように全米をまわった。
CSN&Y 『4ウェイストリート』
フィルモア以外のライブも含まれている。
ちなみに昨年12月に未発表をあつめた完全版、『アット・フィルモア・イースト1969』が発売された
デレクアンドドミノス 『inコンサート}
23 & 24 October 1970
レイラは入ってません。ギター1本でやるのは流石に無理?
ハンブル パイ 『ロッキンオンフォルモア』
May 28–29, 1971
ビーターフランプトンが在籍中。マリオットとの絡みが最高!
イギリスのバンドにとってもフィルモアは聖地だったのだ。
アル・クーパー
代表作『フィルモアの奇跡(名義はアル・クーパー&マイク・ブルームフィールド)』は68年12月のサンフランシスコの「フィルモアウエスト」でのライブであるが、その直後のニューヨークでのライブが『フィルモア・イーストの奇跡』として発売さている。
ちなみに、フィルモアの奇蹟はフィルモアウエストでのライブ
ジャケットはなんとノーマンロックウェル
グレイトフルデッド 『グレイトフル・デッド(スカルアンドローズ)』
1971年4月録音
一時期ミッキー・ハートが抜けていた時期でドラムはクラフツマン一人だけ。ビッグベンにとっては最後のアルバムとなった。その後のトレードマークになった骸骨がこのアルバムで初めて登場する。
その後もデッドのフィルモアでの違った日のライブが何種類もリリースされてつづいている。
その他では、まだデビューしたてのレッドツェッペリンが、アイアンバタフライの前座として出演したり、ジョンレノンがマザーズオブインベンションのアンコールに参加したり。ザ・フーのコンサートではピート・タウンゼントが結局ギターを壊さなかったなどの逸話も多い。
しかし最も象徴的なのは、ドアーズのジム・モリソンとの関係だろう。ドアーズはデビューしたての頃、1968年フィルモアが開業した直後3日間ステージをこなした、そしてフィルモアが閉鎖した1971年6月27日の直後7月3日にジムモリソンが命を断った(死因はアルコールと言われるが不明)。
レイ・マンザレクやグラハム・ナッシュも登場しフィルモアのことを語っている。
どれもこれも全てが伝説にのこるライブである。
いまから考えると当時のニューヨークってところはすごすぎる。
現在はアップル銀行が入っているが、建物には当時の面影も残っている
私は2006年にニューヨークに仕事で行った際、休日この近辺を半日ブラブラしたことがある。近くにはニューヨーク大学、ビレッジバンガード、エレクトリック・レディランドスタジオもあった。