世代ごとのキャラクターの考察
(登場人物の自由と孤独と幸せを考える)
第一世代 その1ウルスラ
自由奔放で欲望のまま行動する登場人物たち。そのなかで、初代ウルスラだけがたったひとつだけのタブーを信じている。それはは近親相姦によって「豚の尻尾」が産まれるという恐怖である。このウルスラは一番まともである。一家の女主としてでんとしてている。奇想天外な出来事には全く動じない。精力的に家の中を取り仕切り、飴細工の家業にも打ち込み、140歳まで生きて、孫やひ孫達のハチャメチャぶりを見届ける。夫や家族、家への愛を最後まで貫き通している。晩年視力を失っても心の目で観続けている。そのためウルスラの孤独はそれほど大したものではない。最後は先に死んだ両親や夫、子や孫にかもまれて、赤ん坊のようになって死んでいく。同時に町中の小鳥も次々に自爆する。
エンリッヒフロムによれば「見守る、見届ける」というのが愛の本来の姿であるとされる。本当に愛するということを知っているウルスラには「孤独」は「孤独」でなくなり、幸せだったに違いない。
第一世代 その2ホセアルカディオ 最初の者
初代のホセーも幸せである。タブーを犯して従兄妹のウルスラと結婚し村をでてマコンド集落を建設。彼にとっては献身的で愛することをしっているウルスラと結婚したのが幸せであった。メルキアデスのもたらす外来の文明とであって、それに時間や財産をすべて打ち込、一途にはまりんで、それがすぎて遂に気が狂れる。最後は庭の栗の木の下に繋がれて死んでいくのだが、その時に街中に黄色の花がふりそぞぐのだ。
しかし、彼はやるときはやるのだ、町が大きくなれば、区画整理を取り仕切り、行政府が送り込まれれば反発しながらも統治権を禅譲する。栗の木に縛り付けられても教会の神父とラテン語で宗教討論をおこなったりしている。栗の木の下でも孤独ではなかった。過去の亡霊や友人たちとの会話も楽しんでいた。彼も自分の作ったマコンドという集落を一番愛している。
ミシェルフーコーの言うように、気が狂れたかどうかの判断はその時の時代が決めつけるものであり、過去の亡霊と話したするのもも彼にとっては正常な行為でなのである。やはり愛を知っている登場人物であるといえる。その愛の向け先が家族でなく村や当時最先端の科学であっただけであった。
第一世代 おまけ
メルキアデス
世界中を歩いて回るジプシーであり、最初のころがは毎年3月にやってきては世界中の最新の文明品をマコンドにもたらす。
何度も死亡の知らせが入るが、最後には屋敷住み着いて部屋をあてがわれそこにこもりっきりなって、羊皮紙に謎の文書を書き連ねる。そして、最後は突然あっさりと川で死ぬが、実在なのか幽霊なのか、何度も屋敷に現れれる。その亡霊のすがたは曾孫のアウレリャノには見えるが、ウルスラのような常識人には姿はみえない。最後の謎解きのためのヒントも与えたりする。
彼が羊皮紙に書き残していたのは、村の行く末をサンスクリット語で書き記したものだった。後に解読された一部には「最初のものは栗の木に繋がれ、最後のものは蟻の運ぶところとなる」
このメルキアデスの存在は結局なんだったのかは全く不明。またなぜどのようにしてこの村の行末を知り得たのかも謎のまま。
近代文明以降、科学でなんでも解明できるかに思われるが、実はは錯覚であり、最近の理論物理学がそうであるように、まだまだ人類のしらない世界や現象がたくさんあるはずである。
メルキアデスはその象徴であるといえる。
メルキアデスは古代ギリシアでのアルキメデスと名前が似ているが、アルキメデスに端を初するそうした西洋科学的論理志向のアンチテーゼとしての命名であったと思われる。