スポーツと政治・スポーツとカネ その6 ボイコットと転換

1980年のモスクワオリンピックに日本はボイコットし参加を見合わせた。日本にとってこの時ほど、スポーツの自由や主体性や独自性が、政治圧力によって貶められた大会はない。

1979年のソ連によるアフガニスタン侵攻により、アメリカは即座にボイコットを表明し、カーター大統領は同盟国各国にボイコットに賛同するように発言した。

イギリスでは政府が、イギリスオリンピック協会にボイコットするように指示を出す。これにイギリス協会は「スポーツへの政治介入だと」と孟反発、圧倒的賛成多数で、独自に選手団の派遣を決めた。

フランスも政府の意図に屈せず参加を表明する

しかし、西ドイツは不参加を表明した

日本政府は常にアメリカ追従なのでボイコットの意向を表明、
そしてボイコットを進める政府の伊藤官房長官は、「政府とJOCは99%一体である」とまで言い切り、体育協会、JOCにあからさまに圧力を掛ける

柔道の山下、レスリングの高田らは、公衆の目をはばからず涙でモスクワへの参加を訴えた。

エントリー提出の締め切り日は5月24日だった。

その5月24日の当日、日本体育協会の臨時理事会が開かれる。ここで日本体育協会は不参加に同意するという決定がなされる。しかし、この場には、文部省体育局から柴田局長3名が出席、政府方針に反対すると言った空気を寄せ付けないような雰囲気があったという。

それを受けて午後には、岸体育館地下講堂で、J O Cの臨時総会が開かれる。そこにもやはり、文部省体育局の柳川局長らが参加した。

この時の大西鐵之祐の言葉が残っている
この時大西鐵之祐はJOCの学識経験者委員だった。この中ではラグビーは新参者でこの時までまだ政治的発言などなく、ラグビーのロッカールームやグランドと違って大人しく「借りてきた猫」のようだったという。

しかし、その大西もこの時ばかりは、感情が爆発しこう叫んた。

「オリンピックの根本精神に反している。スポーツの自由と民主主義が脅かされている。オリンピック運動そのものに対する挑戦だ。」

これに対し、体協会長でもと参議院議長の河野謙三が恫喝する。

「大西くん、政府がどこに介入したというのかね」

水泳の柴田明委員も政府の根回しや圧力を指摘した発言を行う

「率直に言ってJOC自治権への介入だ。背後に大きな圧力がある。」そう言って大西を援護した。

JOC総会は揉めに揉める

最終的に本来は満場一致でないと決まらないはずの決議事項だったはずが、政府のお偉方の目の前での挙手による投票という高圧的な決議方法が採用され、賛成29反対13危険2でボイコットが決定されてしまう。

実な政府のお偉方の前では、各スポーツ団体は頭が上がらないという実情があった。それは、この年の体育協会の予算30億円半分以上の15億8千万円が国庫からの補助金から出ていたのである。さらに国はモスクワへの派遣費用6000万円を引っ込め、公務員の派遣もしないという決定をちらつかせていた。

つまり、日本政府は補助金を身代金に使っていたのである。

この事件は体育協会、JOC内部ではトラウマとなり、内部で反省を促すことになった。曰く、「スポーツに政府から口を出されるのはごめんだ、スポーツの自主性、独立性を守らねばならない。それには国の補助金などに頼ってはいけない。かかる費用は自分たちで稼ぎ出すのだすべきなのだ。」

すなわち「商業主義」への大きな転換である

こうして、もう一部では崩れかけていたアマチュアリズムを完全に崩壊させた。もう誰もが後戻りも後戻りはできなくなる。

商業主義は1984年のロス5輪では完全におし勧められて、しかも大きな黒字に終わる。それは続くバッハ体勢になると、カネまみれの体質になってしまう。

世の中はシカゴ学派フリードマンの提唱していた。「規制緩和」「新自由主義経済」「クライシスドクトリン」の時代だ。倫理や人権、弱者、歴史などを無視し経済優先で突き進んでいた。それは利権や名誉、機会、歴史、どんなものでも商品化されていく欲望を追求する経済システムだ。
ソ連の崩壊、社会主義の敗北とも絡み、増殖し、高度化し、複雑化する資本主義は誰も止められない。誰もどんな事もそれからは逃れられなかった。その中にスポーツ界もどっぷりと浸かったままでいる。頭のてっぺんから爪先までカネが第一優先の血に染まってしまった。

近代オリンピックから100年の記念大会であるはずの、1996大会だったが、開催地がコカコーラの地元のアトランタとなり、グローバル資本とメディアによって完全に乗っ取られてしまう。そして爆破事件も起こる。それはメディアとFBIなどによってイメージを守るためのエスケープゴードを作り出すことで難なく鎮静化させてしまう(クリントイースト監督の映画「リチャード・エンジェル)。

そしてついにTOKYO2020を迎える頃には「商業主義」が行き着くところまで行ってしまった。内部に矛盾を抱えたまま、増殖する商業主義に内部崩壊を起こして、臨界点に達し、核爆発を起こしてしまったのである。その崩壊のままTOKYO2020は実施された。

参考文献
大西鐵之祐『闘争の倫理』二玄社
藤島大『知と熱 日本ラグビーの変革者 大西鐵之祐』文藝春秋
川上康博『日本史リブレット スポーツと政治』山川出版社
沢木耕太郎『オリンピア1996冠<廃墟の光>』新潮文庫

 

 

 

1964年の東京五輪は日本政府による国策としておこなわれ、経済復興、国際社会への復帰をアピールのための大会であった。突貫工事で新幹線、首都高、モノレールなどのインフラ整備がなされれた。様々な問題があったとしても、スポーツの理想や純粋さ、感動などで、完全に洗い流されてしまった。「スポーツウォッシング」として政治や経済の道具として機能した。

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