6月30日今日で6月もおわり、開幕まであど70日です。
先週末から、「チリウィークエンド」としてチリの勉強を始めたのですが、だらだらといってしまいついに「チリウィーク」となってしまいました。この1週間で見た映画などを紹介します。
1、「サンチアゴに雨が降る」
1973年9月11日のチリの軍事クーデターの1日が描かれます。回想として、1970年の大統領選から社会主義政権の状況が挟み込まれます。制作がフランスブルガリア合作であり、され発表されたのが1975年とクーデター直後であります。
この後しばらチリでは軍事政権が続き、反対勢力が次次に捕まり処刑されます。アメリカの経済的植民地とされ、アメリカの資本や経済に都合の良い「新自由主義」が推進されます。
9月11日の描写は、大統領府の襲撃の状況だけでなく、学生や労働者の抵抗に対する残虐な弾圧がこれでもかと赤裸々に描かれます。
中でも競技場で「べンセレーモス」を歌い抵抗をした学生(ビクトル・ハラがモデル)を軍部が銃尻で殴り殺すシーンは胸が締め付けられます。
WCではチリの応援歌としてこの「ベンセレモス」が歌われるはずです。70年代には日本でも「うたごえ運動」で歌われました。
日本語の歌詞も載せておきます。
祖国の大地深く 叫びが沸き起こる 夜明けが告げられて、チリ人民は歌う 勇敢な戦士を われらは思い起こし 祖国を裏切るより われらは死を選ぶ ベンセレーモス ベンセレーモス 鎖を断ち切ろう ベンセレーモス ベンセレーモス 苦しみを乗り越えよう
9.11は米国ではニューヨークテロの日ですが、南米では米国による国家テロの日とされていまでも反米感情を思い出す日になっているということです。(9月11日はチリのRWC初戦の日本戦の次の日です。)
2、「ミッシング」
1983年ジャックレモン主演のアカデミーとパームドール賞受賞作品。
こちらは軍事クーデター9月11日直後の様子が描かれます。クーデターに巻き守られ行方不明になった息子を息子の父のジャックレモンと現地に居た息子の妻の二人で探すと言う展開です。実際にあった話をもとに作られています。捜索に協力的でない米国大使館、そのあと徐々にニクソン政権やCIAの非合法な行為がわかってきます。息子はCIAや米国政府の活動を知りすぎてしまったがために、抹殺されたのでした。無残にも死体がころがったままになっている街や、悲惨な現場となった競技場の様子も出てきます。1983年作ですからクーデターが起きて10年後であり、米国政府へ批判が込められています。
ジャック・レモンの演技が素晴らしいです。チリを離れニューヨークに帰還する際に米国要人にたいして「民主主義を甘く見るな!!」と吐き捨てる言葉が印象的でした。
3,「孤独のダンス」スティング
スティングも1973年の軍事クーデターとその後のピノチェト政権のことを批判した曲を書いています。
1987年の 「ナッシングインザサン」に収録されている、「孤独のダンス」です。スティングは1980年代にポリスでのチリ公演の際に、チリの街角で一人で踊っている何人もの女性達を目撃しました。そしてそれが、夫や父が軍部に連れさられ行方不明となったことへの抗議の踊りだということを知って、この曲を書いたそうです。
著作権上私の訳のみ載せておきます。
何故独りだけで踊っているのか 何故その目は悲しそうなのか 何故仏頂面した兵士がいるのか その軽蔑の先は何なのか 会えない者との踊り 死者との踊り 消えた者との踊り 苦しみは黙されて 父たちと踊っている 息子たちと踊っている 夫たちと踊っている でも独りだけ 許された唯一の抗議活動 静かな顔は叫んでいるようだ 言葉を出せば、同じく消し去られる 拷問台にまた一人 一体何ができるというのか いつの日か 苦難を乗り越えて 自由を歌い 喜びにほほえみ 二人で踊ろう
この曲がきっかけでチリのクーデターやその後の軍事政権への批判が高まり、ピノチェト軍事政権は89年に倒れました。
4、「チリ33人 希望の奇跡」
こちらは2010年のチリの銅山で実際におきた落盤事故とその奇跡の救出劇の映画です。ずさんな安全管理と人権無視の経済優先の鉱山経営で落盤事故が発生しで32人のチリ人と一人のボリビア人の合計33名に生き埋めになってしまいます。
予備の食料もすこしばかりで、暗闇でパニックになります。しかし自然とリーダーができ、食料などを管理し取り決めをして、チームワークが生まれます。それでも一まで続くのかわからない極限状態のなか何度も仲間割れや脱落者が出そうになります。なかでも一人だけのボリビア人は疑心暗鬼になります。
地上では家族はいらだち、技術的に可能性は薄く、間にはいった若き鉱業大臣も苦悩します。
生存が確認されたときには一度は歓喜につつまれます。世界中から注目され、世界からの最新のボーリング活動がはじまります。しかしそれも困難をきわめます。そんななかノーテンキなマスコミや世論は33人をヒーローに仕立て上げて、巨額な版権などの契約がオファーされたりします。そんなことも33人の結束を揺るがす誘惑になります。結局そんなマスコミの誘惑に屈して脱落する者はおらず、33人の結束はいまでも強いままであるということです。
でも軍事政権のままだったら、きっと闇から闇にほうむりさられていたことでしょう。
10月の12日から13日に33人全員やっと地上にもどれました。9月11日がチリにとって忌まわしき日ならな、10月12日は歓喜の日です。
映画の最後に実際に救出された33人が海辺につどい、笑顔で昼食をするシーンが映し出されますが、みんないい顔をしています。
33人といえば、RWCでの各国のスコッドの選手の数33人とおなじです。ワールドカップのチリの33人は英雄となってチリへ帰還できるでしょうか