ストライキと長髪の話  Long time goneとAlmost cut my hair

LONG TIME GONE

CS&Nのデビュー作のB面に納められ、ウッドストックの映画でクレーン作業なんかしてステージの準備をしている場面で流れていました。先々週亡くなったデビットクロスビーの渾身の曲と歌唱です。

It's been a long time comin'
It's goin' to be a long time gone

長い時間がかかった
長い時が過ぎ去った

And it appears to be a long
Appears to be a long
Appears to be a long time
Yes, a long, long, long, long time before the dawn

見えるまでが長いのさ
見えるのは先なのさ
夜明けまでのとってもとっても長い時間の事さ

Turn, turn any corner
Hear, you must hear what the people say
You know that somethin' is goin' on around here
It surely, surely, surely won't stand the light of day, no

何度も苦労を重ねてきた
聴け、人々の声を聴くのだ
実に実に実に、日常の明かり(今の現状)には絶えれれない


And it appears to be a long (Yes it does)
Appears to be a long (Mm)
Appears to be a long time
Such a long, long time before the dawn
Speak out, you got to speak out against the madness
You got to speak your mind, if you dare
But don't—no, don't no—try to get yourself elected
If you do you had better cut your hair, mm

声を上げろ、狂気の沙汰に抗議の声をあげるんだ
勇気があるなら、思いのたけを話すんだ
だけど立候補なんかするんじゃねえ
そんなんだったら髪を切っちまえ

And it appears to be a long (Yes it does)
Appears to be a long (Mm)
Appears to be a long time
Such a long, long, long, long time before the dawn, yeah[Verse 4]
It's been a (Long) long (Time) time (Comin') comin'
It's going to be (Long) a long (Time) time (Gone) gone

But you know the darkest hour
Is always, always just before the dawn

知ってるだろ 夜明け前はいつでも一番暗いだって事さ


And it appears to be a long
Appears to be a long
Appears to be a long time
Such a long, long, long, long time before the dawn
当時、長髪は反体制の象徴でした。
「髪の毛を切った方がいい」というのはもう体制側に寝返えってしまった方がいいという意味です。(ALMOST CUT MY HAIR 参照)
平和ボケしてしまっている今の日本。労働組合さえも賃上げ闘争の仕方さえわからない烏合の衆になっている。滑稽に見えるでしょうがこれが日本の現実です。でも考えてみれば経済成長がそれほど重要なのだろうか?お金よりももっと価値のある物や事でたくさんあるのではないだろうか?もっと大きな問題を議論すべき時になっているのではないだろうか?日本でもきな臭い臭いが強くなってきています。

Almost cut my hair

Almost cut my hair
It happened just the other day
It was gettin' kinda long
I could-a said, it was in my way

But I didn't and I wonder why
I feel like letting my freak flag fly
Yes I feel like I owe it to someone

ほとんど髪を短くするとこだった
そいつはある日のことだった
ちょっとばかり長くなっていた
それも俺風だって言えるかなって

けどなんでだか、切らなかったんだぜ
自由の旗を掲げたい気持ちなんだ
負い目を感じている

Must be because I had the flu for Christmas
And I'm not feelin' up to par
It increases my paranoia
Like lookin' at my mirror and seein' a police car

But I'm not givin' in an inch to fear
'Cause I promised myself this year
I feel like I owe it to someone

クリスマスに流行病(はやりやまい)になったに違いねえ
テンパってはいなかった
鏡を見ているとパトカーが来るんじゃねえかと
妄想癖が湧き上がってくるんだ

でも一ミリたりとも譲れないぜ
今年は胸に誓ったんだ
負い目を感じたんだ

When I finally get myself together
I'm gonna get down in that sunny southern weather
And I find a place inside to laugh
Separate the wheat from the chaff
I feel like I owe it to someone

自分が取り戻せたなら
ポカポカ天気の南部に移るんだ
笑いの中で居場所を見つけるのさ
そこで小麦を脱穀するのさ
負い目を感じているんだ

クロスビーは結局髪を切らなかった。

当時、長い髪は自由の象徴、反体制の象徴だった。髪を切ることは、徴兵制に屈してベトナムにいくことや、体制に屈して平凡なサラリーマンになることであった。(「いちご白書をもう一度」の文脈)。ヤクをやっていると警察が怖くなって来ることもある。クロスビーももうちょっとで、髪を切ってしまうところだった。しかし仲間のみんなの手前もあってその線を行くなんてことはできない。そうだ誰もいない南部に行って百姓でもやって小麦を収穫して気ままに暮らすんだ。という歌です。

その後ニールヤング は大ヒットアルバム「ハーベスト」で本当に田舎に戻って「収穫」してしまっています。「サザンマン」では南部をあれほど批判していたのにです。アルバムタイトル曲でもある「ハーベスト」では、彼女は予定が変わっただけなのと、It was only a change of plan?  と疑問を問いかけてきています。彼が追い求めていた彼女とはなんなんでしょうか?活動の象徴なのかと思われます。大人の約束でなだめてもらって、この辺で実りの部分だけでも収穫、確保して自分を納得させようとしている様に聞こえます。

 

その頃の日本では

拓郎
「僕の髪が肩まで伸びて、君と同じになったら」

ユーミン、バンバン
「・・髪を切ってきた時、もう若く無いさと、君に言い訳したね」

でも結局は、日本でも髪を伸ばす意味も変わってきて、最後にはほぼ全員がこの様に髪を切ることになってしまいました。

「大きな物語(byリオタール)」は終わり、70年代に夢破れていったのです。

しかし日本以上に、米国の音楽界の転換は激しすぎました。反体制のバントと見られたシカゴは、軟弱バラード路線にいち早く転換。ビージーズもディスコ路線に転換。CCRも解散し、版権の問題からジョンフォガティは訴訟に負け、裁判所から10年以上も自分のCCRの曲を歌う事を指し止められてしまいます。

そんな中、共有していた喪失感を歌いあげてくれるイーグルスが大ブレーク。そこまではまだ良かったのです。その後ボストンやジャーニー、フォリナーなど産業ロック(by渋谷陽一)が台頭します。ジェファーソンエアプレインもジェファーソンスターシップへそしてジェファーソンの名の無いただのスターシップになってしまいます。反動としてパンクやニューウェーブが出現しましたが全体の流れを変える声ではありませんでした。

そして89年に天安門事件があり、ベルリンの壁が崩れるのです。

ブランデンブルグ門の前で 数年ぶりに再結集したクロスビーとスティルスとナッシュが喜びの歌声を披露しました。
その光景は夢の様でした。誰もが時代の転換を感じました。平和が訪れるものだと思っていました。

しかしそうはならなかった。

世界はより混迷を深めて現在に至っているという状況です。戦争は無くなりません。日本にでは、いやひたひたと近づいてきています。

この様な時代を生きてきた僕らの世代こそ、今、若い世代に語りかけはじめなけらばならない時なのだと思います。

最後まで髪を切らなかったし、田舎へも行かなかったクロスビーも亡くなりました。亡くなる前のクロスビーは、ミュージシャンとして完全復活できて、若い世代のミュージシャンと一緒に音楽を作っていました。日本でも桑田佳祐がダサイと言われても大晦日に「時代遅れのロックンロール」で同世代の仲間と一緒に世の中に平和の意味を問いかけています。

私たちもできるところで、なんらかの形で若い世代に語りかけはじめなけらばならない時なのだと思います。その後は僕らの世代ではなく、次の世代が選択する事だと思うのですが、年寄りは年寄りなりに若い世代に語り継がねばならないことがあるはすなのです。

 


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