ラグビーの世界史 楕円球をめぐる200年 トニーコリンズ著 北代美和子訳 白水社
今回は第二回 「第一部キックオフ」です。第一部キックオフは下記の章からできています
第1章 伝統
第1章は、今でもブリテン島の各地で祭事として行われる民族フットボールが紹介されます。12世紀には始まり、大抵は村の教会区を二分して村中を舞台におこなられます。ルールは様々ですが、決まって告解の火曜日(謝肉祭)に行われ馬鹿騒ぎです。これはフットボールがキリスト教の暦と非常に密接に結びついていることが、私たち日本人にも理解できます。
そしてその祭事としての民族フットボールですが、今でもアッシュボーンの街では伝統行事として残っています。
(私は、博多の山笠や岸和田のだんじりを見たときに、これは「ラグビーそのものだ、スクラムそのものだ」と感じたのを覚えています。ユーラシア大陸を挟んで西と東、同じ島国ですが、全く違った宗教観を持った2つの国で同じような祭りが行われていることに奇妙なつながりを感じます。)
ここでトニーコリンズは最後に重要な指摘します。この伝統的なフットボールは、ずべて手でボールを扱い、スクラムがあり、ほとんを足を使っていないのにフットボールと呼ばれている事。民族フットボールでは足しか使えないことの方が異常な状態である事。そして、民族フットボールからサッカーもラグビーも生まれたが、
「その伝統に最も深く根を下ろしているのはサッカーでなくラグビーである。」 と結論つけます。
(私の謎も解けました、ラグビーこそが真のフットボールと呼ぶべきものであることがわかります)
蔵書の中から関連図書を紹介します
第2章 ラグビーと呼ばれる学校
ここでは、ラグビーのルーツと言われるラグビー高とその学校生活を描いたビクトリア時代のトマスヒューズの小説「トムブラウンの学校生活」から引用されます。
(「トムブラウンの学校生活」は私も持っています。当時のパブリックスクールの学校の様子がわかります、体育会のような上下関係やいじめなんかもあったようです)
(この本は、ラグビーのルーツに興味を持つ人にとっては必読書です。当時ベストセラーになっています。この本がトマスヒューズが自分の息子に向けて書かれたものだということを知りました。)
この本にも書かれている当時のフットボールの姿が克明にあります。特に今回注目しているのが、「何故白いパンツを履くのか」、「何故赤いキャップをかぶるのか」という部分。
(この辺は読んでいただけると面白い。特に白いパンツは次の章で問題になるハッキングというプレー繋がっている)
また、エリス伝説は伝説でしかないが、当時、本当にボールを持って走った少年がいて、記録にも残っているが、その少年は問題があり放校になってしまったために、名を残すことがためらわれた。という史実が明かされます。
(その年にラグビー校は正式にボールを手に持って走ることをルール化したので、その少年が事件を起こさなければ、エリス伝説は違った名前になっていたと思うと興味深いです)
第3章 次にトムブラウンがしたこと
ビクトリア朝時代は、生活様式が著しくかわり、ホワイトカラーの出現などで、健康への意識が強くなり、それがラグビーそのものの変化に影響したことが語られます。
一つは、健康促進のためのクラブラグビーの発展であり
もう一つは、ハッキング(すねを蹴る危険な行為)を禁止する方向へのルールの統一の動きです
校内でそれぞれが違ったルールで行なっていたフットボールはやがて学校同士の対抗戦になっていきます。そこで問題となるのが、ハッキングをどう取り扱うかでした。さらに学校を超えて社会人のクラブチームが増えていくと、怪我が心配で血に染まったスネで月曜に会社に行くのは耐え難いとくことで、ハッキングをどうするかが問題になるわけです。
そして、ボールを手に持ってはいけないことと、ハッキングも禁止するとにしました。これを決めたチームが集まって、FA (ソーシャルフットボールアソセイション)が設立しました。「サッカー」の誕生です。
その後数年遅れて、手で持ってよく、ハッキングOKのラグビー校中心になってRFU(ラグビーフットボールアソセイション)が結成されます。ラグビー校のフットボールなので「ラガー」になった。
(ここで明確にサッカーがそうであるように、ラガーはラグビーそのものを指す名詞です、サッカーとラガーは同レベルの言葉です。日本ではラグビープレヤーのことをラガーと呼ぶように誤用されています。)
ここでの史実は当時一般的には、手で持って走って良いフットボールが主流で、足だけのフットボールを志向しているチームは少なかったということです。
ラグビーの統一ルール化を手がけたのが、ロンドン近郊のブラックヒースとリッチモンドのクラブ関係者ということです。
(ホームズ物語の「サセックスの吸血鬼」ではワトソン君はかつてのブラックヒースのウイングで、依頼人がリッチモンドのウィングだったことが出てきます。(ここ参照))
またこの章では、ラグビーボールの起源についても語られます。ラグビー町の靴屋のギルバートの話が定説なのですが、実はその商売仇のリチャードリンドン氏こそラグビーボールの発明者であるという史実が明かされます。
第4章 ラグビー大分裂
ラグビー大分裂とは、プロのリーグラグビーとアマチュアリズムのユニオンラグビーの分裂のことです。
物語は、当時のイングランドのキャプテンで大スター、ディッキーロックウッドの物語からスタートします。彼は永久追放の危機に直面していました。
彼は労働者階級出身であり、ラグビーで何らかの報酬を得ているのではないか疑いをかけられ、審理の席に立たされてしまいます。果たしてどうなることでしょうか?
ラグビーでの報酬の禁止は1887年に決定されます。それば、早くにプロ化したサッカーが、屈強な労働者階級の選手たちの台頭によって、中産階級のジェントルマンが次々にプレイから離れていくという状況に対してのRFUの鉄槌というものでした。
(つい最近までラグビー界にあったラグビーのアマチュアリズムの問題、日本でも随分厳しかったことを覚えています。プロ化を果たしたのは1995年、ディッキーロックウッドが審理の席についた1889年から1世紀以上経過していました。)
1891年には、北部の改革運動の指導者ジェイムスミラー氏が「休業補償制度」を提案します。ところばこれがRFUのお偉方から猛反対をくらいます。
ということで、ラグビーはリーグとユニオンに大分裂します。
(その後ディッキーとミラーはどうなったでしょうか、それは読んでのお楽しみということで。
日本ではリーグラグビーはあまり知られていませんが、欧州やオーストラリアではユニオンラグビー以上の人気を持っていました。十三人制のラグビーです。最近はリーグからユニオンへの移籍が多く見られます。)