ブルゴーニュの最終回。いよいよその核心「コートドール(黄金の丘)」と呼ばれる地域です。コートドールはディジョンから南にソーヌ川に沿って、北が赤ワインのコート・ド・ニュイ、南な白ワインのコート・ド・ボーヌに分かれます
ここはまさしく超超高級ワインの宝庫です。ワイン界の超重要拠点と言えます。
だたし、葡萄畑の景色はいたって牧歌的、素朴で質素で静かです。この辺が超商業主義で大資本で大量生産のボルドーと対局をなすところです。
1、コートドニュイ(概要)
代表的なのは9つの村があります。
全て赤ワインのグランクリュです。当然ながらぶどうはピノ・ノワールです。
北から、AOCはマルサネ・ラ・コート、フィサン、ジュブレシャンベルタン、モレサンドニ、ボーヌロマネ
全て重要な村や地域ですが、その中から最も重要な2つの村のみ紹介します。
2、ジュブレシャンベルタン
コート・ド・ニュイ最大の産地であり9つものグラン・クリュを擁しています。そこから生み出されるワインは、パワフルで男性的、非常に長命という特徴があります。
13世紀ジュブレ村のベース修道院が管理する畑「クロドベース」のワインが有名になり、これを聞きつけたペルタンという農夫がその畑から美味しいワインを作るようになったのが、その始まりとされます。
その後、ナポレオンによって有名になり、「ブルゴーニュの王」、「王のワイン」と呼ばれてます。ジュブレシャンベルタンの畑は細かく分断され、30名もの生産者がひしめき合っています。しかも、そのテノワールは畝を一本超えただけで微妙に違ってそれぞれが特徴あるものになり、ワイン通にとっては憧れの地です。
3、ロマネコンティ(ヴォーヌロマネ村)
「ロマネコンティ」超高級ワインの代名詞です。
「神に愛される村」と言われるようにその土壌、気候ともに最高のテロワールを持っています。単独の所有者が独占する畑をモノポールと言いますが、ここだけでロマネ・コンティ、ラ・ターシュ、ラ・ロマネ、ラ・グランド・リュと4つのモノポール(単独所有畑)が存在します。これらの畑の中でも微妙にそのテロワールは違い、ミクロクリマと
アマゾンではなんと1本500万円です
ロマネコンティのコンティは、コンテ公のことです。ルイ15世の従兄弟に当たります。若きルイ15世の摂政も勤めたことがあります。
しかし、その後宮廷はルイ15世の愛妾ポンパドール夫人の思うがままになります。衣装、建築、料理から人事外交までが自由自在です。オーストリアに近づき、外交革命、7年戦争を進めるポンパドール夫人とコンテ公は対立します。そして、コンテ公はついに失脚させられます。
そのあとに、このヴォーヌロマネ村のワイン畑の所有を巡って、ポンパドール夫人とコンテ公の対決に至ります。(当時からロマネコンティのワインは超高級で、ルイ14世は病弱な晩年、毎日薬代わりにロマネコンティをスプーン1杯所望したとされます)
お互いの意地の張り合いで、どんどん買い付けの金額が上がっていき最終的に法外な金額でコンデ公が競り落としました。しかもコンデ公はこの畑のワインをプライベートな畑にして全て自分の屋敷内で消費するとし、市場には流通しなくしてしまいます。
ポンパドール夫人は対抗としてベルサイユのブルゴーニュのワインを全て禁止し、ボルドーのにラフィットに換えることになります。
4、コートドボーヌ(概要)
コートドボーヌは、コードドニュイの下流に当たります。ここはコートドニュイ以上にテノワールは変化に飛んでいて畑の個性に沿ったワインが作られます。
特に、ここはシャルドネに適した砂の地質があり、高級な白ワインが作られます。グランクリュの数こそはコートドニュイには劣りますが、プリミエクリュ(一級畑)の畑はよりたくさんあります。
さらにこの地区の一部では毎年、慈善活動のワインオークション(オスピス・ド・ボーヌ)が開かれています
5、コルトンシャルルマーニュ
シャルルマーニュは、カール大帝のことです。(カールのフラン語読みがシャルルです)カール大帝はワイン好きだったのですが、赤ワインだどどうしてもヒゲについてしまって困ります。そこで白ワインを作るようにし、この白ワインが気に入り、遠征にも白のワインを持ち出す王になり、「王のワイン」と呼ばれるようになりました。
重要な畑はコルトンの丘に集中します。