サッカーの強豪国とラグビーの強豪国を調べると、出てくる国の名前が、明らかに違っています。
おさらいしておきましょう (こちら参照)
サッカーはベルギーやドイツ、スペイン、クロアチア、南米のブラジル、アルゼンチン、コロンビアなどが上位。
ラグビーはアイルランド、スコットランド、オセアニアのニューランド、オーストラリアなどが上位。
イングランドは発祥の地だけのことああって、FIFAでは6位、ワールドラグビーでは4位と上位にいます。またフランスもFIFAで1位、ワールドラグビーでも8位につけています。
サッカー大国、ラグビー大国の違いはどこからきたのでしょう
大英帝国、日の静まない帝国のラグビー
一つ容易に気がつくことは、ラグビーは大英帝国連邦が強く、サッカーはスペイン、ポルトガルなどと、その植民地だったところが強いという傾向です。
ラグビーの強豪国 ニュージーランドや、オーストラリア、フィジーなどは国旗にユニオンジャックが描かれているので、それはわかりやすいと思います。
サッカー強豪のブラジルは、ポルトガルの植民地、コロンビア、アルゼンチンはスペインの植民地でした。
ただしアルゼンチンは19世紀に英国との貿易、事業など経済的つながりが強く、ラグビーも早くからプレーされています。
ビクトリア時代、大英帝国は「日の沈まない国」として世界各地に入植地を持ちます。全盛期は世界の陸地の1/4がその領地というほどです。そこに派遣された、役人や軍人の中でラグビーはプレイされました。英国政府としても、ラグビーの勇ましさを士気高揚、体力向上のために推奨しました。有事の際、女王陛下の元に馳せ参じるために、心身の鍛錬にラグビーの練習に励みます。
NHKの「チコちゃんに叱られる」で、
問)なぜ日本に運動会があるのか?
答)それは兵隊さんがグレないように、、、でしたが
大英帝国がラグビーを推奨したものでもまさにその通りの理由でした。(パプリックスクールでラグビーをさせたのも同じ理由)
駐在員のラグビーチームはたまに本土から寄港する部隊とラグビーの試合を行うのが恒例でした。駐在員は本土の奴らを返り討ちにしようと普段から猛練習に励んだそうです。学校の先生も学校で教育のためにラグビーを指導します。そして、現地の先住民を巻き込んで強力なチームを作り上げました(註:南アだけは別でしたが)。また近場の強い相手を求めて、近隣の島国にも普及して行きます。元から民族や国家主義ではなく、多国籍主義で、ダイバーシティがその中に組み込まれています。(現在、その国のパスポートを持たなくても、居住3年でその国の代表になれるというのは根っこはここからきています。)
民間人の楽しみのためのサッカー
一方のサッカーは商人や移民など民間人がもっぱら楽しみのために現地で普及させました。最初から民族のスポーツとして発展して行きます。プロ化になるのも早く、またW杯も1930年から行われます。経済的な問題、国家の政治的不安定などから、社会では格差も生まれますが。庶民は貧困に苦しむ中、貧民街がらサッカーの大スターに上り詰める例も多く、子供達もサッカー選手になるのを夢見て小さい頃からプレーしています。サッカーが人気になるのは納得できます。
それではベルギーやドイツではなぜラグビーが盛んではないのでしょう。お隣のフランスではラグビーもサッカーも非常に盛んなのに不思議です。
その前にIRBという組織について考えてみます
IRBの存在
ラグビーには、今のワールドラグビーの前身にIRB(インターナショナルラグビーボード)という組織があり、長い間アマチュアリズム(の幻想?)にこだわり、閉鎖的で新規加入をことごとく拒みます。主要8カ国だけの都合で物事を決めてしまいます。欧州内でも対立が続きます。一方でプロを容認した「ラグビーリーグ」という別な競技組織が立ち上がり、13人制ラグビーが、独自に発展して行きます。こちらを「リーグラグビー」、昔からあるIRBの方はこれに対し「ユニオンラグビー」と呼ばれます。日本では馴染みは薄いかもしれませんが、オーストラリアやパプアニューギニア、イギリス国内の一部の地域ではいまでも「リーグラグビー」が人気だったりします。
IRBがプロ化を容認したのは1987年、W杯も1987年に初めて行われました。実施にプロ化がされていくのは93年ごろからです。
イタリアの5カ国対抗への加入さえも最近(2000年)のことです。日本もIRBでの投票権もなく、中心メンバーには入れてもらえませんでした。
日本のラグビー協会森会長(当時)曰く「自分たちだけでボールを回し、ほかに回そうとしない」状態が続いていたのです。
ベルギー、スペイン、ドイツ のラグビー
19世紀 ラグビーが英国中心に世界の入植地で盛んになって行くのですが、ドイツはヨーロッパの各強国と比べ、統一が遅れ、世界に植民地もあまりありませんでした。全く事情が違っていたと思います。
かつて、IRBが主催していた5カ国対抗ラグビー(今は6カ国)からフランスが締め出されたことがありました。原因は厳格なアマチュアリズムの追及の意見の違いです。1934年のことです。その時にフランスとドイツが中心になって、「国際アマチュアラグビー連盟」が組織されます。そしてヨーロッパ各地にラグビーを広げようとします。このまま行けばよかったのでしょうが、フランスは、その後1939年に5カ国対抗に復帰が許されます。
また、ドイツは第一次大戦に引き続き、第二次大戦でも他国と戦争になり交流は阻害されます。
そしてドイツは孤立します。ドイツでのラグビーは発展が遅れたままになります。この「国際アマチュアラグビー連盟」とIRBは対立したまま、仲が悪いまままでした、
戦後になると、サッカーは、ドイツ国内でプロリーグが人気を博し、強化も進みます。
スペインもベルギーもクロアチアもスイスも強豪国の支援がないまま、わざわざラグビーを発展させようとする動きにならなかったのは仕方のないことです。
しかし時代は進みます。
IRBもW杯を1991年から(87年の第1回は主催ではない)主催、プロ化も容認し、名前も2014年から「ワールドラグビー」と変え、「国際アマチュアラグビー連盟」とも和解します。
そのドイツですが、現在2019W杯、最終予選に残っていて、まだ出場の可能性を残しています。カナダ、香港、ケニアと最後の20番目の椅子を競っています。
スペインは過去にW杯出場経験があり、ベルギーもW杯出場に手の届くところまできています。
スペインは今回は予選の途中で不正がみつかり、失格になってしまいました。スペイン対ベルギーの試合で、スペインが負ければルーマニアの出場が決まる試合のこと、結果ベルギーが勝利します。ルーマニアの出場が一度は決まったのすが、この試合の審判団がルーマニアでそのレフリングに不正があり、ルーマニアも失格。またスペインにも選手資格の不正も見つかり、こちらも失格、その結果、ロシアが出場権を得ました。またその結果、次点のドイツが最終敗者復活戦に出場することになったのです。(過去のいろいろな経緯があるのでこの時の調査や裁定は難しかったと思います)
世界最終敗者復活予選の日程は下記です。
場所はフランスのマルセーユです。
11月11日 カナダーケニア 香港ードイツ
11月17日 香港ーケニア カナダードイツ
11月23日 ケニアードイツ 香港ーカナダ
ここでの勝者がニュージーランド、南アフリカと同じB組に入ります
まとめ
ラグビー
英国連邦の兵士、駐在員からラグビーは普及
IRBの閉鎖的考え方で8カ国以外への発展が阻害
ただし国際化への道は進んできている
サッカー
サッカーは英国連邦以外、民間の移民や商人から普及
プロ化など早く、庶民の憧れのシンボルとして発展
こうやってみてくるとサッカー人気は必然で、ラグビーは「ちょっとお高く止まっていて敷居が高い」と感じる面は仕方がないかなと思います。しかし、今ラグビーもやっと考え方を改めて変わろうとしています。